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[横沟正史] 人面疮

_3 横溝正史(日)
 そこには窓はなかったけれど、組みあわせた丸太のすきまから、たそがれの鋭い光が、幾段もの|縞《しま》となってさしこんでいる。
 金田一耕助はちょっとそのへんを探してみたが、べつにこれという期待を持っているわけではない。たとえここが犯行の現場であったとしても、あれからもう五日もたっているのである。そのあいだ村のひとたちが、いれかわりたちかわりやってきているのだから、ここになんらかの痕跡がのこっていたとしても、とっくの昔に踏みあらされているだろうし、もしまた由紀子の義眼が落ちていたとしたら、だれかが見つけているはずだ。
 金田一耕助は南京米袋のカーテンをぴったりしめて、小屋の外へ出ると、窓からなかをのぞいてみた。カーテンをしめると、たとえその奥にだれかがいるとしても、窓からそこは見えないのである。
 それから間もなく駐在所のおもてまでかえってくると、そのへんいっぱいのひとだかりだった。金田一耕助はふと、さっき九十郎の小屋の腰高障子にたかっていた|蠅《はえ》を思い出し、人間も蠅もおなじことだと、ちょっとおかしくなる。
 駐在所の土間には刑事が三人、緊張した顔で立ったり座ったりしている。清水巡査は電話にしがみついてがなりたてていた。
「警部さんは……?」
「奥です」
 刑事の返事に奥へとおろうとすると、なかからとびだしてきた男に、あやうくぶつかりそうになった。色の浅黒い、胡麻塩の髪の毛を、きれいに左でわけた、まんざら百姓とはみえぬ男だった。
「やあ、これは失礼を……」
 金田一耕助がにっこりあいさつするのにたいして、相手はギロリと、|不《ふ》|遜《そん》な|一《いち》|瞥《べつ》をくれただけで、そのまま駐在所からとび出していった。ひどく|横《おう》|柄《へい》な人物である。
 土間からなかへ入ると、ほの暗い電気のついた座敷のなかに、あの異様な臭気が立てこめている。死体が戸板にのっけられたまま、座敷のすみにおいてあるのだ。
 そのにおいを消すためか、線香が猛烈な煙をあげている。
「やあ、金田一さん、いま清水君がKへ電話をかけて、死体を取りにくるようにと言うとるところです。ここじゃ解剖もできませんのでね。まあ、それでこのにおい、がまんしてください」
 警部は机のまえにあぐらをかいて、刑事になにか口述しているところだった。
「警部さん、いまここを出ていったひとはだれですか」
「ああ、あれは村長です。志賀恭平というんです。そうそう、あんたがさっきあのひとの細君のことを気にしたんで、ちょっと聞いてみたんです。ところが、それがすこしおかしいんですよ」
「おかしいというと……?」
「きのうの返事とちがうんですな。きのうは大阪へ遊びに行っとるちゅうとったのに、きょうは体を悪くして、転地しとるというんですが、その転地さきをいわんのです。なんだかひどく動揺していて、しどろもどろという感じでしてね。まさか……とは思いますけれどね」
 磯川警部は|憂《ゆう》|鬱《うつ》そうな眼を死体にむける。
「いったい、いくつぐらいのひとですか。あのひとのつれあいといえば相当の年輩でしょうがねえ」
 そこへ清水巡査が電話をかけおわってやってくると、なにやら警部に耳打ちしていた。警部はそれを聞きおわってうなずくと、
「ああ、そう、それでよろしい。ときに、清水君、あの志賀村長の細君というのは、いったいいくつぐらいなんだね」
「はっ、三十二か三でしょう。なかなかきれいなひとで……」
「三十二、三……?」
 磯川警部も興をもよおしたらしく、
「ひどくまた年齢がちがうじゃないか。あの村長はもう六十……」
「一です。ことし還暦の祝いをしました。いまの奥さん、後妻だそうでありますが、それにはこんな話がありますんです」
 清水さんの話によるとこうである。
 志賀恭平は戦争まえまで大阪で私立女学校を経営していて、みずから校長をやっていた。現夫人の秋子というのはそこの女教師だったが、志賀はいつかそれに手をつけた。むろん志賀にはべつに細君があったが、すったもんだのすえ、細君を離別して秋子と結婚した。
 そういうことから校長の職も辞し、学校の経営からも手をひかねばならなくなったが、そのことがかえって志賀には幸いしたのだ。そのときつかんだ金で郷里に山を買い、家を建てておいたのである。
「それで、戦争で都会があぶなくなりますと、さっさとこちらへ疎開してきまして、まえの村長がパージでやめると、すぐそのあとがまにすわったんであります。女にかけても相当のもんですが、政治的手腕もなかなかのもんだという評判で……」
 清水さんは鼻の頭にしわをよせて笑った。
「それで夫婦仲はどうだったんです。奥さん、美人だという話でしたね」
「はっ、それはもう、あの村長が手を出すくらいでありますから。……夫婦仲はべつにわるいというふうではありませんが、奥さん、いつも寂しそうであります。婦人会の集まりなどへもめったに顔を出しませず、顔を出してもあまり口をきかんそうで……そこらはそこにいる仏のおふくろとは正反対で、こっちのほうは口も八丁、手も八丁……」
 金田一耕助は仏の着ているあたらしい着物に眼をやりながら、
「仏といえば、さっきおふくろさんらしい婦人がかけつけてきましたね」
「ああ、もう、あれにゃ手こずりましたよ。戸板へしがみついて離れんのです。まあ、無理もない話だが……やっと、それを引きはなしたかと思うと、こんどは九十郎にとびかかって、……九十郎、頬っぺたにだいぶんみみず|脹《ば》れができましたよ」
「その着物はうちからとどけてきたんですか」
「はあ、おやじと息子がやってきて、ぬれた着物じゃかわいそうだからちゅうて、その着物を着せていったんですが、事件がどうもあんまり陰惨なんで、顔を見るのもつらかったですよ」
 磯川警部は顔をしかめた。
「義眼についてなにか……?」
「ああ、それについてはだいぶ恐縮しておりました。由紀子は上海にいる時分、左眼をうしなって義眼を入れたんだそうですが、たいへんよくできた義眼で、ほんものの眼とおなじようにうごくんだそうです。それで、村の連中、だれもそれに気がつかなかったんです。ここにいる清水君なんかも、かえってそれに魅力を感じていたくらいですからな。あっはっは」
「あれ、いやだなあ、警部さんたら」
 清水さんは顔じゅうのにきびをまっかにして、頭をかいている。
「いや、冗談はさておいて、ねえ、金田一さん、由紀子はやっぱり水車小屋で殺されたらしいんですよ。あの付近で由紀子を見たというもんが、さっきここへやって来たんです」
 磯川警部の話によるとこうである。
 三日の晩の九時ごろ、儀作という老人が水車小屋のまえをとおって、裏の山路へさしかかると、上からひとりおりてくる足音がきこえた。そこで儀作がかたわらの森のなかに身をかくしていると、おりてきたのは由紀子であった。由紀子は儀作に気がつかず、そのまま山をくだっていった。
 儀作はその晩、浩一郎が水車の当番にあたっていることを知っていたので、たぶんそこへ行くのだろうと、気にもとめずにやりすごしたというのである。
「だから、その老人も小屋のなかへはいるところを見たわけではないが、もうこうなったら、由紀子はきっとそこへ行ったにちがいありませんね」
「しかし、その老人はなんだって、いままでそのことを申し出なかったんです」
「それはやはり、浩一郎に迷惑がかかっちゃならんと考えたんでしょうな。ところが、きょう九十郎の小屋から|死《し》|骸《がい》が出てきたんで、てっきりあいつを犯人と思いこみ、安心して申し出たわけでしょう。しかし、まあ、いずれにしてもこれで由紀子が山越えで、この村へかえってきたということははっきりしたわけです」
「老人はしかしその時刻に、どうして山へのぼっていったんです。隣村の祭りへ行くつもりだったんでしょうか」
「いや、それはたきぎを盗みに行くんであります。このへんでは山と娘は盗みものいうて、平気でひとの山を荒らしますんです。それですから、ひとの足音をきくとかくれるんであります」
 清水君が註釈を加えた。
「なるほど。……ところで、その老人は行きがけに水車小屋のそばを通ったわけですね。そのとき、浩一郎はなかにいたかしら」
「いや、行きがけに窓からのぞいたときには、浩一郎の姿は見えなかったというとりますな。かえりにのぞいたときには、|碾《ひき》|臼《うす》のそばにいたそうだが……しかし、それは浩一郎もいうとるように、行きがけのときには、カーテンの奥でうたた寝をしていたんでしょう。いずれにしてもこうなると、浩一郎の容疑は決定的ですね。これにたいして浩一郎がなんとこたえるか、いま呼びにやっとるところですがね」
 警部のことばもおわらぬうちに、外からいりみだれた足音がはいってきたかと思うと、刑事に手をとられた長身の青年が、|蒼《そう》|白《はく》の面持ちで姿をあらわした。
 実際、金田一耕助はその青年を見た|刹《せつ》|那《な》、まずその体格のみごとなのにおどろいた。身長はおそらく五尺八寸……あるいは九寸あるかもしれない。肩幅もそれに比例してひろく、胸もあつくがっちりしている。|容《よう》|貌《ぼう》はとりたてていうほどではないが、色が白いのでとくをしている。まず、感じは悪くないほうである。それが浩一郎だった。
 浩一郎は刑事に手をとられて、奥へはいってきた刹那、由紀子の死体に眼をやって、ぎくっとしたように一歩しりぞいた。しかし、すぐ気がついたように合掌すると、ちょっとのあいだ眼をつむっていた。
 金田一耕助はそのときの浩一郎の表情にひどく興味をおぼえた。なんだか観念したというふうに見えたからである。
「北神君、三日の晩、きみは一歩も水車小屋を出なかったと、きのういったね」
「はっ、そう申しました」
 そういってから浩一郎は、いそいであとをつけたした。
「もっとも、そのあいだ半時間ほど、カーテンの奥へはいってうたた寝をいたしましたけん、外からのぞいただけではいなかったように見えたかもしれませんが……」
 金田一耕助はそれを聞くとにっこり笑い、うれしそうにもじゃもじゃ頭をかきまわそうとして、気がついてあわててやめると、ごくりと生つばをのみこんだ。
 磯川警部はそのようすをちらりと見て、不安そうに眉をひそめたが、それでも浩一郎のほうにむかって、
「ところがここにちょっと妙なことがあるんだよ。あの晩、水車小屋のすぐちかくで、由紀子君の姿を見たというもんがあるんだが……それでもきみは由紀子に会わなかったというんかね」
 そのとたん、浩一郎の顔面から、血の気がひいていくのがはっきり見えた。握りしめた両手がかすかにふるえたようである。
「そのひと、由紀ちゃんが小屋のなかへはいるのを見たというんですか」
「いや、そこまで見たというわけじゃないが……」
「それじゃ、由紀ちゃん、水車小屋へこなかったんです。それともぼくの姿が見えなかったんで……さっきもいうとおり、ぼく、カーテンの奥で寝てたんですが、それに気がつかんで行きすぎたんかもしれません。とにかく、ぼくは会わんかったんです」
 だが、そういう浩一郎の額には、びっしょりと汗がうかんでいる。
「北神君」
 金田一耕助が横合いから口を出した。
「あんたもしや、水車小屋をあけていたんじゃありませんか。由紀子君がやってきた時分……」
 浩一郎の顔色がまたかわった。かれはなにかいおうとしてことばにつまったが、すぐきっぱりとした態度で、
「いいえ、ぜったいにそんなことはありません。ぼくずうっと水車小屋におりましたんです」
「しかし、そうするときみの立場は非常に不利になりますよ。いまのところ由紀子君は水車小屋で殺されて、それから、あの湖水に沈められたということになっているんですから……」
「しかし、ぼくはあの晩、ぜったいに由紀ちゃんに会わなかったんです。ぼくは第一、由紀ちゃんが、あの晩、水車小屋へくるなんて、夢にも思うとらなんだんです。ぼくたち、そんな変な会い方せんでも、いくらでも、正々堂々と会えるんです。結納もすんで、この村の祭りがすんだら婚礼するちゅうことは、村じゅうのもんがみな知ってるんですから」
 浩一郎のことばにも一理はある。
「北神君」
 と、こんどは磯川警部が、
「その水車小屋に直径八寸くらいの|石《いし》|臼《うす》があったのを、きみは知っているだろう。三日の晩、その石臼があそこにあったかどうかおぼえておらんかね」
「おぼえておりません」
 浩一郎は言下に答えたものの、すぐそのあとで、ちょっとあわてて考えるふうをすると、
「あれはちかごろ灰落としがわりに使われておりますが、ぼく、たばこを吸わんもんですけん」
「北神君」
 と、こんどは金田一耕助。
「さっき刑事さんが呼びに行ったとき、どこにいましたか」
「はっ、家へかえって俵をあみかけておりました。湖水のほうで捜索のお手つだいをしておりましたところ、死体が見つかったちゅうことを聞いたもんですけん」
「しかし、それはちと妙じゃありませんか。だって、由紀子君はきみのいいなずけでしょう。ちかく婚礼することになっていたひとでしょう。そのひとの死体が見つかったときけば、すぐここへとんでくるなり、由紀子君のうちへ行くなり、しなければならんはずだと思いますがね。それとも、死んでしまえばもう用はないというわけですか」
「いえ、いえ、……それは、御子柴のうちへ行こうと思うたんですが、ぼくとしてもショックが大きかったもんですから……」
「なるほど、なるほど。そういえばそれもそうですね。ところできみはあのことを知ってましたか。ほら、義眼のこと……」
「いいえ、ぼく、知らなんだんです」
 と、なにげなく答えてから、突然、浩一郎ははじかれたように顔をあげると、真正面から耕助の顔をにらみすえた。まるで金田一耕助をにらみ殺さんばかりのいきおいだった。いったん|退《ひ》いていたひたいの汗が、またじりじりと吹き出してくる。
 金田一耕助はにこにこ笑いながら、
「ああ、いや、いいです、いいです。警部さん、なにかほかにお尋ねになることがありますか。なかったらこれくらいで……」
 警部はもう一度、由紀子が水車小屋へやってきたのではないかと念をおしたが、浩一郎のそれにたいする返事は、依然としてまえとおなじだった。
 警部もついに|匙《さじ》を投げた。
「とにかく、きみは当分村をはなれないようにしてくれたまえ。変なまねをすると、かえってきみのためにならんぜ」
「はあ」
 浩一郎はもう一度由紀子の死体に合掌すると、|蹌《そう》|踉《ろう》たる足どりで出ていった。
     五
「妙ですなあ」
 浩一郎のうしろ姿を見送って、かれとの一問一答を速記していた刑事が不思議そうに小首をかしげてつぶやいた。
「あいつどうして水車小屋をあけていたといわんのでしょう。そのほうが有利な弁明ができるちゅうのに……」
「それはねえ、刑事さん」
 と、金田一耕助がにこにこしながら、
「あの男、ほんとうに小屋をあけていたからですよ」
「な、なんですって!」
 一同ははじかれたように耕助を見る。耕助はもじゃもじゃ頭をかきまわしながら、
「警部さん、いまのあなたの最初の質問にたいする、浩一郎の答えを思い出してください」
「最初の質問にたいする答え……?」
「そうです、そうです。三日の晩、一歩も水車小屋を出なかったかというあなたの質問にたいして、出なかったと答えたあとで、いそいで、半時間ほどカーテンの奥でうたた寝をしたと付け加えたでしょう。このことはきのう警部さんが質問されたときも、付け加えたんでしたね」
「ああ、そう、しかし、それがなにか……?」
「浩一郎はなぜそのことをいつも強調するんでしょう。つまり、それは一種の予防線ではありますまいか。カーテンの奥で寝ていれば外からのぞかれてもわからない。たとえそこにいなくてもわからないわけです。だからだれかがのちに、おれがのぞいたときにゃいなかったぜと、いうようなことを言い出したとしても、カーテンの奥で寝ていたんだという、予防線をつくっておいたんじゃありませんか。と、いうことは取りもなおさず、水車小屋をあけたということを、意味しているんじゃありますまいか」
「しかし、それならなぜそうはっきりと言わんのですか。いま、木村君も言うたとおり、そのほうが有利な弁明ができるちゅうのに……」
「警部さん」
 耕助は机の上に身を乗りだして、
「あなたは浩一郎が外へ出て、ただなんとなくそこらをぶらぶらしとりました、と、いうようなことを言っただけで満足しますか。いや、それじゃかえって|卑怯《ひきょう》な逃げ口上だと、いっそう疑いを増すばかりでしょう。小屋をあけたのならあけたで、どこへ行ってなにをしていたかということをはっきり言わねばならない。いや、そのうえに証人でも立てなければ、あなたは満足なさらんでしょう。浩一郎にはそれができないか、できたとしてもいやなんですね」
「しかし、殺人の|嫌《けん》|疑《ぎ》をうけるくらいなら……」
「だから、そこがおもしろい問題ですね。浩一郎にとっちゃ、よほど深刻な問題があるんでしょう。これを由紀子を水車小屋へ呼びよせたもののがわから考えてみましょう。由紀子が水車小屋へ行ったってことは、もう疑いの余地がないようですが、さっき浩一郎もいったとおり、あの男がそんな変な呼びかたをするはずがありませんね。もし、浩一郎にはじめから殺意があったとしたら、なおさらのことでしょう。その晩浩一郎の水車小屋にいることは、みんな知っているんだから、由紀子がそこへくる途中でひとに会ったら、それきりですからね。とすると、由紀子を呼びよせたのはほかのものにちがいないが、そいつは浩一郎がいるところへ、由紀子を呼びつけるでしょうか。そんな馬鹿なことをするはずはないから、そいつはあらかじめ浩一郎が水車小屋をからにすることを知っていたか、あるいはからにするように工作したにちがいありませんね」
「金田一さん」
 警部は急に声をおとして、
「浩一郎があの晩、水車小屋をあけてどこかへ出かけたとして、それが村長の細君の|失《しっ》|踪《そう》に、なにか関係があるとお思いですか」
 金田一耕助は無言のまま、警部の眼を見かえしていたが、やがてかるく頭を横にふると、
「さあ、そこまではいまのぼくにはわからない。しかし、清水さん、あの晩、村長はどこにいたんですか」
「それはむろん隣村です」
 清水君が言下に答えた。
「村長の家族は……?」
「奥さんとふたりきりです。雇人はおりますが、子どもはおりませんけん」
「そう、それじゃその晩の村長と、それから康雄というんですか、浩一郎のライバル、そのふたりの行動をもっと徹底的にしらべてみるんですね。隣村にいつごろまでいたか、途中で姿を消しはしなかったか、というようなことを。……ときに、由紀子の弟がひろったという手紙はありますか」
 警部はすぐに封筒をとりだした。それは封筒も|便《びん》|箋《せん》も役場のもので、そこにわざと筆跡をかえたと思われるような、ひどく乱れた|金《かな》|釘《くぎ》流で、さっき湖水の上で、警部のいったような文句が書いてあった。
「清水さん、この便箋や封筒から、手紙の筆跡をさぐるというわけにはいきませんか」
「はっ、そのことですが、このふた品は役場の二階の大広間にもそなえつけてあるんですが、そこでは始終、村の連中の寄りあいがあるもんですけん、ちょっと……」
「なるほど」
 金田一耕助はちょっと考えて、
「とにかく、由紀子と浩一郎について、関心をもっていそうな連中の筆跡をあつめて、研究してみるんですね。……おや」
 金田一耕助はふと、封筒の一部分に眼をとめた。
 それは由紀子の弟の啓吉が発見したとき、すでに開封されていたもので、いかにも女らしく、封筒の上部がきれいに|鋏《はさみ》で切ってある。ところがよく見ると封筒の封じめの、〆という字がわずかながらずれているのである。
 と、いうことは、いったん封をしたのちに、だれかが蒸気にあてるかなんかして、一度封を開いたのち、またもとどおり封をしたということになる。
 金田一耕助に注意されて、磯川警部も眼を見張った。
「け、警部さん、こ、このことは非常に重大なことですよ」
 金田一耕助はいかにもうれしそうに、もじゃもじゃ頭をかきまわしながら、
「だってね。ぼくはいままで、ひょっとするとこの手紙は、事件が起こってから、すなわち殺人がすんでから、浩一郎に疑いの眼をむけさせるために、|捏《ねつ》|造《ぞう》されたものかもしれないという、疑惑をもっていたんです。しかし、それだとここまで小細工をするはずがないし、する必要もない。と、するとこの手紙こそ、三日の昼、由紀子を水車小屋へ呼びよせるために使われたものにちがいないということになる。由紀子はおそらく殺されたとき、この手紙をふところにいれていたのにちがいない。それを犯人が紙入れとともにとっておいて。……」
「しかし、途中でこの封を開いたのは……?」
「さあ、それを考えてみましょう。手紙を書いたやつが、そんな手数のかかることをするはずがない。なかの文句が気にいらなければ、また新しく書けばよいのですからね。由紀子はなおさらのことですね。と、すると、筆者から由紀子の手へわたるまでのあいだのだれかということになる。この手紙を書いたのが浩一郎でないとすると……それはもうほとんどまちがいのないことだと思いますが……偽手紙の筆者はまさか自分で、由紀子のところへとどけるわけにはいかなかったのでしょう。だからきっとだれかに、浩一郎からだといってわたしてくれと頼んだのにちがいない。そこで頼まれたやつが怪しんで、そっと封を開いてみる。……これはありうることですからね」
「そうすると、その封を開いたやつが犯人ということになりますか」
「いや、そこまでは断定できない。ただ、問題はあの晩、由紀子が水車小屋へやってくるだろうということを知っていた人間が、偽手紙の筆者のほかに、もうひとりいるということですね。とにかく、この手紙は非常に重要なものになってきました。とにかく大至急筆跡の比較研究をやることですね」
 磯川警部が耳うちすると、すぐに刑事のひとりがとび出していった。おそらく関係者の筆跡を集めにいったのだろう。
 そのあとで、磯川警部は耕助のほうにむきなおって、
「ときに、金田一さん、あの義眼のことだがな。さっきあんたがそのことを切りだしたときの、浩一郎の態度をくさいと思いませんか」
 金田一耕助は思いだしたように、さっき浩一郎をつれてきた刑事のほうをふりかえって、
「刑事さん、刑事さん。さっきあなたは浩一郎を呼びにいったとき、由紀子の左の眼が義眼だったってこと、お話しになりましたか」
「とんでもない。そんなこと……」
「そうでしょうねえ」
 金田一耕助はなやましげな眼をして、ぼんやり自分の|爪《つま》|先《さき》を見つめていたが、やがてほっとため息をつくと、
「警部さん、あのときの浩一郎の態度は、ぼくをとてもおどろかせましたよ。ぼくにとっちゃ非常に意外だったんです。浩一郎はぼくが義眼のことをいうと、言下に知りませんでしたと答えましたね。あのとき、ぼくは一言も由紀子の名前にはふれなかった。それにもかかわらず言下に、なんのためらいもなく、知らなかったと答えた。そして、そのあとではっと気がついたように、恐ろしい眼をしてぼくをにらみましたね。おそらくぼくが|罠《わな》におとしたとでも思ったんでしょう。このことは、ある時期までは由紀子の義眼のことを知らなかったが、いまは知っているということになりそうです。そして、そのある時期というのが今日であるはずはない。由紀子の義眼のことについては、まだだれにも発表していないんでしょう」
「ああ、それはもちろん」
「と、すると、浩一郎はどうして知ったのか。死体が発見されたときくと、家へかえって俵をあんでいたという浩一郎……まだ、御子柴の家のものにも会っていない浩一郎が、いったいどうしてそれを知ったか。……ぼくはさっきまで由紀子の義眼のことを知っているのは、御子柴家のものと、九十郎と犯人以外にないと思っていたんですがねえ」
 磯川警部はしばらく無言のまま考えていたが、やがて思い出したように、
「それはそうと、由紀子の義眼はどうなったのかな。あれはやっぱり、犯人がくりぬいていったちゅうわけなのかな」
「それはおそらくそうでしょうねえ。義眼がひとりでに抜けおちるなんてはずがない。犯人は由紀子をしめ殺したとき、はじめて義眼に気がついた。そこで好奇心にかられたか、それともいままでだまされていた腹立ちまぎれにか、くりぬいたんでしょうが、さて、その義眼をどうしたか……」
 金田一耕助が考えこんでいるところへ、Kから自動車が死体をとりにきた。
 磯川警部と金田一耕助は、その自動車でひとまず岡山までひきあげることになった。
     六
 その晩、岡山市の郊外にある磯川警部のうちへ泊めてもらった金田一耕助が、ふたたび山峡のあの湖畔の村へ顔を出したのは、翌日の午後二時ごろのことだった。
 警部はむろん朝はやくから先行していた。金田一耕助も警部と同行するつもりだったのだが、旅のつかれかすっかり朝寝坊をして、警部においてけぼりをくらったうえに、警部夫人に大いに迷惑をかけたのである。
 金田一耕助は岡山からKまで汽車にのった。そして、そこから湖畔の村までの、一里ばかりのゆるやかな自動車道路を、ふらりふらりと風来坊のように、秋の|陽《ひ》ざしを楽しみながらのぼってくると、坂の上からけたたましく、自転車のベルを嗚らしながらやってきた顔見知りの刑事が、耕助の姿を見るとひらりと自転車からとびおりた。
「金田一さん、金田一さん!」
 と、刑事は興奮におもてを染めながら、
「見つかりましたよ、見つかりましたよ。志賀村長の奥さんが……」
「奥さん、どこにいたんですかあ?」
「殺されてたんですよ」
「こ、こ、殺されてえ……?」
 金田一耕助は脳天から、真っ赤にやけただれた|鉄《てつ》|串《ぐし》でも、ぶちこまれたような大きなショックを感じた。
「そうです、そうです。|死《し》|骸《がい》になって赤土を掘る穴の奥へ押しこまれていたんです。それをさっき犬がくわえ出したんで大騒ぎです」
「死骸になって赤土を掘る穴へ……」
 金田一耕助は大きく眼を見張ったまま、棒をのんだように突っ立っている。あたたかい秋の陽ざしのなかにいるにもかかわらず、ぞっと全身に冷気をおぼえる。
「そうです、そうです。いま見つかったばかりだからはやく行ってごらんなさい」
「刑事さん、あなたは……?」
「わたしはK署の捜査本部へ報告かたがた、医者を呼んでくるんです」
 それだけいうと、刑事は風のように自転車をとばしていった。金田一耕助も犬が水をはふりおとすように体をふるわせると、眼がさめたように足をはやめた。
 村へ入るとすぐただならぬ変事のにおいが、いばらのように神経にささってくる。あちらにもこちらにも三々五々ひとが集まってひそひそ話をしているが、由紀子の死体が発見されたときとちがって、だれも声高に話をするものもなく、妙にひっそりと押しだまっているのが、いっそうショックの深刻さを思わせる。
 駐在所へくると清水君が、真っ赤に興奮した顔で待っていた。
「清水さん、村長の奥さんの死体が見つかったって?」
「はあ、金田一さん。あなたがお見えになりましたら、すぐに御案内するようにと、警部さんの命令です」
「ああ、そう、お願いします」
 村長の奥さん、秋子の死体が発見されたのは、湖水の西にある山のなかで、そこはKへむかう間道になっているが、村のひとが壁に使う赤土を採りにくる以外には、めったにひとのとおらぬところになっている。
 死体発見の動機になったのは、村のわかいものが壁を修理するために、犬をつれて赤土を掘りにいったところが、その犬がくわえだしたのである。
 清水さんの案内で金田一耕助がたどりついた現場には、警察のひとびとが五、六人、地面を見おろしたかっこうで立っている。
 それを遠巻きにして、口を|利《き》くことができなくなったように押しだまっている村人のなかには、村長、志賀恭平の姿も見られた。
「金田一さん、えらいことができましたわい。こっちのほうもやられているとは、まさかわたしも考えなかった」
 磯川警部も興奮にギラギラと眼を血走らせている。
「それで、死因は……?」
「絞殺ですな。手ぬぐいかなんかでやられたらしい」
「死後どのくらい……?」
「正確なことはわからんが、やっぱり由紀子とおなじ晩じゃあないかな」
 金田一耕助は足もとによこたわっている死体に眼をおとした。
 犬がたわむれたとみえて、赤土によごれた着物のところどころに|鉤《かぎ》|裂《ざ》きができているが、仕立ておろしらしい|結《ゆう》|城《き》につづれの帯をしめ、足袋も履き物もあたらしく、ビニールのハンドバッグがそばにころがっている。
 もう腐敗の度がかなりすすんでいるので、|容《よう》|貌《ぼう》のところはなんともいえぬが、ぽっちゃりとした肉づきの、いわゆる肉体美人というやつらしい。
「これゃどこかへ出かける途中だったんですね」
「そうらしい。この道を行けばKへ出られるちゅう話だが、しかし、なんだってこんな危なっかしい道をえらんだもんかな。いかに月がよかったとはいえ、このさきにゃ、かなりの難所があるちゅう話じゃからな」
「ハンドバッグの内容は……?」
「一万六千円ばかりはいった紙入れがはいっている。それから見ても凶行の原因は|物《もの》|盗《と》りじゃないようですな」
「このへんの農村で、一万六千円といえば相当のもんでしょう」
「まあ、そうだな。だから家のなかにあったやつを、かっさらえてとび出してきたんじゃないかと思うんですがな」
「それにもかかわらず村長は、いままでそのことについて、なんともいわなかったんですね」
「ふうむ。なにかかくしていることがあるんだな」
 磯川警部はちょっと村長のほうをふりかえったが、視線が合うと、すぐ村長のほうから眼をそらせた。
「いったい、どの穴から出てきたんです」
 金田一耕助は死体から眼をあげると、あらためてあたりを見まわした。
 そこは片側が谷になっており、片側には|崖《がけ》がそびえているが、その崖のふもとには一面に赤土の層が露出しており、そこにまるでインカ族の|洞《どう》|窟《くつ》みたいに、点々として穴がうがたれている。みんな壁土をとるために、ながい年月のあいだに掘られたものである。
「この穴です。はいってみますか」
「見せてください」
 磯川警部は刑事の手から懐中電燈をうけとると、さきに立って穴のなかへはいっていった。
 穴はそれほど深いものではなく、せいぜい二|間《けん》あるなしだろう。その奥にまだ葉のついた木の枝だの、枯れ草などが散乱しているが、みんなじっとりとぬれている。
「この枝や枯れ草で死体をおおうてあったんですな。さっきみんなに探させたんだが、べつに犯人の遺留品らしいもんも見あたらんようです」
 金田一耕助は足もとに散乱している木の枝や枯れ草を見つめていたが、急に外にむかって清水巡査を呼んだ。
 清水君はすぐはいってきた。
「清水さん、このへんじゃ四日の晩に大夕立があったそうですが、そのまえに雨が降ったのはいつごろですか」
「あの大夕立が三週間めのおしめりだといってましたけん、九月十一日ごろのことでしょう。そのあいだ、一滴の雨も降らんかったんです」
「ああ、そう、ありがとう」
 清水巡査が妙な顔をして出ていったあと、金田一耕助は警部の手から懐中電燈をかりて、そこいらを探していたが、なにを見つけたのか、急に声をあげて、
「け、け、け、警部さん、ちょ、ちょ、ちょっとここを見てください」
 と、これが興奮したときのくせで、たいへんなどもりようである。
「な、な、な、なんですか。き、き、金田一さん」
 磯川警部がついつりこまれてどもると、
「あっはっは、いやだなあ、警部さん、なにもぼくのまねをしてどもることないです。ほら、この赤土の上に小さなくぼみがついているでしょう。これ、なんの跡か御存じですか」
 なるほど、見れば掘りおこされた赤土の穴の底に、直径七、八分くらいの、まるい、なめらかなくぼみが、くっきりとあざやかについている。それは正常の球状よりすこしいびつになっているところに特徴がある。そして、そのへんてこなくぼみのまわりには、掘りおこされたように赤土が散らばっているのである。
 磯川警部は眉をひそめて、
「金田一さん、それなんの跡ですか」
「ご存じありませんか。これは義眼の跡ですよ。ほら、このいびつになっているところが特徴なんです。こういう跡がここに残っているところを見ると、村長夫人を殺したやつが、義眼を持っていたことはたしかですね。と、いうことはそいつが由紀子殺しの犯人でもあるということになり、これではじめてふたつの事件が、はっきり結びついてきたじゃありませんか。あっはっは」
 いかにもうれしそうに金田一耕助が、五本の指でもじゃもじゃ頭を、めったやたらとかきまわすのを見て、磯川警部はあきれたように眼を見張っていた。
     七
「それじゃ、わしが家内を殺したとでもいうのかな」
 緊張のためにしいんと張りつめた空気のなかに、志賀村長の怒りにふるえる声が|炸《さく》|裂《れつ》した。
 あの薄暗い駐在所の奥のひと間なのである。磯川警部をはじめとして、おおぜいの刑事や警官にとりかこまれて、志賀村長もいちおう尊大にかまえてはいるものの、さすがに動揺の色はおおうべくもなく、|頬《ほ》っぺたの筋肉がしきりにぴくぴく|痙《けい》|攣《れん》している。
 駐在所の内外には、痛烈なまでに緊張の空気がみなぎっていた。
「いや、いや、いや!」
 と、磯川警部は赤ん坊のようにまるまっちい手をあげて、相手をおさえつけるようなしぐさをしながら、
「そんなにはやく結論を出されちゃ困る。いまのところわれわれはいっさい白紙の状態で、どこから手をつけていったらよいかわからぬくらい困惑しとりますんじゃ。それで、被害者のいちばんの近親者として、あなたのお話をうかがいたいと……こういうわけで、いまちょっと木村君のことばがすぎたようだが、それはまあ気になさらんで。……あなたも村長として、この忌まわしい事件が一日も早く解決するように、ご協力願いたいんだが……」
「いや、警部さん、あんたみたいにそうおだやかにいわれれば話もわかるが、このひとみたいにのっけから、犯人あつかいにされちゃあ……なんぼなんでも腹にすえかねるというもんじゃ。で、ききたいというのは……?」
「まず第一に、あなたが奥さんの|失《しっ》|踪《そう》に、はじめて気がつかれたのは……?」
「隣村の祭りの晩のことじゃったな。十二時ごろうちへかえってみて、てっきり家出をしたなと思うた」
「それはまたどういう理由で……?」
「どういう理由て、|箪《たん》|笥《す》のなかがかきまわしてあり、現金を洗いざらい持っていかれたら、どないな|阿《あ》|房《ほう》でも家出をしたなと気がつくじゃろうが」
「しかし、わたしがはじめて奥さんことを聞いたときには、あなた大阪へ行ってるといわれたようだったがな」
 村長は|横《おう》|柄《へい》な眼でギロリと磯川警部の顔をにらむと、
「いや、そのときはそう思うていたんじゃ。あれには大阪にひとり姉がいるんで、そこヘ行ってるとばかり思うていた。ところが……」
「ところが……?」
「四日の朝、わしはその姉のところへ問い合わせ状を出したんじゃが、その返事が今日、つまり八日の朝とどいたところをみると、あっちのほうへは姿を見せんという。それでわしもだんだん不安になってきた。ほかにあれのたよって行きそうなところも思いあたらんのでな。しかし、まさか殺されていようなどとは……」
 村長もちょっと息をのんだ。
「ところで、三日の晩のあなたの行動を、もうすこし詳しくおうかがいしたいんですがな。なにもあなたを疑うてのうえのことではないが、こういうことは万事きちんとしておきませんとな。なんでも三日の晩、今夜はゆっくりしていくと、腰をすえて飲んでいたのが、十一時半ごろになって、突然、むこうの村長がひきとめるのもきかないで、急にかえってこられたそうですな。そのとき、血相がかわっていたというが……」
 村長はまたギロリと警部の顔をにらむと、
「それゃ大いに血相もかわろうわい。これじゃもの」
 と、憤然たる色をみせて、警部のまえへたたきつけたのは、しわくちゃになった一枚の紙。警部がしわをのばしているのを、金田一耕助がそばからのぞいてみると、|漉《す》きなおしの粗悪な紙に、金釘流でこんなことが書いてある。
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 町内で知らぬは亭主ばかりなりというのはおまえのことじゃ。おのがかかあが間男してるのも知らないで、村長づらもおこがましい。今夜もおまえの留守中に、間男ひっぱりこんで楽しんでいるのを知らないか。
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阿房村長どの
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 磯川警部ははっと金田一耕助と顔見合わせた。
「これをどこで……?」
「むこうで酒をごちそうになりながら、青年団の余興を見ているとき、なにげなくポケットに手を入れると、それが出てきたんじゃ。わしはつまらん中傷など気にする男ではない。しかし、今夜げんに男をひっぱりこんでるちゅうからには、相当の根拠があると思わねばならん。わしも村長の体面上、妻がそのような|不《ふ》|埒《らち》をはたらいているとあっては捨ててはおけん。なにはともあれ、実否をただそうとかえったところが……」
「奥さんがいらっしゃらなかったというわけですね」
 と、金田一耕助が横合いから口を出した。村長はうさん臭そうな眼つきをして、耕助のもじゃもじゃ頭をにらみつけると、
「そう、おらなんだんじゃ。しかもふだん着がぬぎすててあり、金が洗いざらいのうなっている。そのとき、わしはてっきり情夫と駆け落ちしたものと思うたが、つぎの日になってみると、男で村からいなくなったもんはひとりもおらん。そこでさっきもいうたとおり、大阪の姉のところへ手紙を書いたんじゃが……」
「おたく、奉公人は……?」
「女中がひとりいることはいるが、三日の晩はやっぱり隣村の祭りへ行っとったんじゃな。家内は都会のもんじゃけん、村祭りなど興味がないちゅうて、自分のかわりに女中を出してやりよったんじゃが、それもいまから考えると、情夫に会うためじゃったかもしれん。それはともかく、そうしているうちに、由紀子のことで、騒ぎがだんだん大きゅうなってきたので、家内のことは二のつぎになってしもうたんじゃ」
「なんぼ二のつぎになったちゅうても、奥さんのことでもう少し、手の打ちようがありそうなもんじゃないかな」
 刑事のひとりが、ひとりごとのようにつぶやくのへ、村長は憤然たる眼をむけて、
「それじゃあ聞くがな。いったいどういう手が打てるんじゃな。ひとりひとり男をつかまえて、おまえおれのかかあと間男しとったんとちがうかと、いちいち聞かれもせんじゃろ。村長の体面もある。かかあに逃げられたらしいなどとはいえんじゃないか。まさか、殺されてるとは夢にも知らなんだもんじゃけんな」
「ところで村長さん、あなたは奥さんの情夫というのに心当たりはありませんか」
 村長はまたギロリと耕助の顔をにらんで、
「ないな。いや、たとえあったとしたところで、証拠もないのにそういうこと、軽々に口にすべきことじゃないだろう。あんたがどういうひとかわしゃ知らんが……」
「あっはっは、いや、これは恐れ入りました」
 金田一耕助はペコリと頭をさげると、
「それじゃ、警部さん、あなたからお尋ねになってください。奥さんにそういうみそかごとがあることを、村長さん、まえから気がついておられたかどうかということ。……」
「いや、まえから気がついていたら、こういう手紙を発見したとき、あんなに|狼《ろう》|狽《ばい》したりしやあせん」
「いや、どうも直接お答えくださいましてありがとうございます。すると知らぬは亭主ばかりなりで、それまで全然気がついてはいられなかったが、こういう手紙をごらんになると、あるいは……と、いう気になられたんですね」
「まあ、そういうて言えんことはない。秋子というのがな、ひと筋縄でいく女じゃない。表面はしおらしそうにしているが、なかなかもってすごい女じゃからな」
「すごいとは……? どういう意味で……?」
「そんなことが言えるかい。わっはっは!」
 村長は腹をかかえて豪傑笑いをしてみせたが、その笑い声にはなにかしら、むなしいひびきがこもっていた。
「いや、どうも失礼しました」
 金田一耕助はまたペコリと、もじゃもじゃ頭をひとつさげて、
「それでは最後にもうひとつだけ。……この手紙の筆者ですがね、あなたにだれか心当たりでも……」
「そんなことおれが知るもんか。それを調べるのが君たちの役目じゃないか。なんのために国民は高い税金をはろうとるんじゃ」
 それだけいうと志賀恭平はむっくりと立ちあがり、警部のことばも待たずにすたすたと部屋から出ていった。およそかわいげのない男である。
「畜生ッ、いやなやつ」
 木村刑事がいまいましそうに舌打ちして、
「ねえ、警部さん、あいつがやったんじゃないんですかねえ。細君が|姦《かん》|通《つう》していると知ってかあっとして……」
「しかし、木村君、それじゃ由紀子のほうはどうなるのかな。村長はなぜ由紀子を殺さねばならんのじゃい」
「だからさ、警部さん、由紀子の事件とこの事件は別なんですぜ。それをひとつにして考えるからむつかしくなるんでさあ」
「どちらにしても、木村さん、村長夫人が姦通していたとすれば相手があるはずだから、それをよく調べてごらんになるんですね」
 そこへまたKから死骸を受け取りに、自動車がやってきたので、金田一耕助と磯川警部はそれに同乗してひきあげることになった。
 こうしてふたりは二日つづけて、死体と合乗りということになった。
     八
 ところが、そのつぎの日になって、事件は意外な方向へ展開していき、その結果、金田一耕助が明快な推理によって、さしもにもつれにもつれたこの事件を、一挙に解決するはこびになったのである。
 その日も朝寝坊をして、磯川警部においてけぼりをくらった金田一耕助が、正午過ぎ、|飄然《ひょうぜん》として湖畔の村へはいってくると、またなにか起こったらしいことが、こわばった村のひとたちの顔色から察することができた。
 そこで耕助が足をはやめて駐在所へやってくると、表にはまたいっぱいのひとだかりである。それをわってなかへはいると、清水巡査がむつかしい顔をしている。
「清水さん、なにかまた……?」
 金田一耕助がたずねると、
「はっ、由紀子を呼びだした偽手紙の筆者がわかりましたんで……」
「だれ、それは……?」
「西神家の康雄なんで……」
「ああ、そう」
 金田一耕助は別におどろきもせず、かるくうなずいて奥へとおると、西神家の康雄があの偽手紙をつきつけられて、青白くなってふるえているところだった。
 磯川警部は金田一耕助の顔を見ると、
「ああ、金田一さん、よいところへおいでんさった。いまこの興味ある手紙の筆者康雄君からおもしろい話を聞かせてもらおうと思うとるところじゃ。あんたもいっしょにお聞きんさい」
「ああ、それは、それは……」
 金田一耕助が席につくのを待って、
「木村君、それではきみからきいてもらおうか。われわれはここで聞かせてもらうで」
「はっ、承知しました」
 木村刑事は康雄のほうにむきなおると、歯切れのいい調子で、
「西神君、この手紙の文字がきみの筆跡であることは、もう疑いの余地はないんだ。きみはかなりうまくかえているが、この程度じゃほんとうの筆跡をごま化すわけにゃあいかん。ところで、三日の晩のことだが……」
 と、木村刑事は開いた手帳に眼をおとして、
「きみは隣村の祭りへ行ってるが、八時半から十二時ごろまでのあいだ、きみの姿を見たものはひとりもないんだ。きみは四時ごろ隣村の親戚のうちへ行っている。そこでごちそうになったのち、お宮へ行って太鼓をたたいたり、接待所へ行って振舞酒を飲んだりしているが、八時半ごろになって、姿を消した。むこうの青年団の幹事が、きみにのど自慢に出てもらおうと思うて、ずいぶん探したがどこにも見つからなかったと言うている。ところが、十二時ごろになってどこからともなく、青い顔してふらりとかえってくると、それからめちゃめちゃに酒を飲み出した。……と、これがわれわれの調べた三日の夜の動静だが、西神君、ひとつきみの弁明をきかせてもらおうじゃないか。八時半ごろから十二時ごろまで、きみはどこにいたんだい」
 あの薄暗い駐在所の奥のひと間である、ぴしぴしと木村刑事からきめつけられて、康雄はいまにも泣きだしそうな顔色だった。
 西神家の康雄は北神家の浩一郎にくらべるとはるかに劣る。柄も小さく、色もくろく、それにひねこびれて、どこか|狡《こう》|猾《かつ》そうなところがある。
 なるほど、これでは由紀子が浩一郎をえらんだのもむりはない。
「ぼく……ぼく……」
 と、康雄は貧乏ゆすりをしながら|洟《はな》をすすって、
「こんなことするつもりなかったんです。こんなことするの、いややいうたんです。それをあの奥さんに|焚《た》きつけられて……みんなあの奥さんが悪いんや。あのひと、あんな怖いひとやとは、ぼく知らなんだんです」
「奥さん……? 奥さんてだれのこと?」
「村長さんの奥さんですがな。あの奥さんがぼくを|嗾《け》しかけよったんです」
 康雄はしゃくりあげるような声だったが、それを聞くと一座にさっと緊張の気がみなぎった。ここにはじめてこの事件における、秋子の役割が露出してきたのである。
 金田一耕助は磯川警部をふりかえってにっこり笑った。
「村長の奥さんが、きみにこんな偽手紙を書けいうたんかね」
「そうです、そうです。北の浩一郎に女とられて、指くわえてだまっとるやつがあるもんか。それじゃ、御先祖にたいしても申しわけがあるまいがな。女ちゅうやつは一度征服してしもたらもうそれきりや。なんでもええけん、由紀子をものにしてしまえ……と、そう奥さんがいうたんです」
 木村刑事はあきれたように、警部の顔をふりかえったが、すぐまた康雄のほうへむきなおって、
「それできみはこんな偽手紙で、由紀子を水車小屋へ呼びよせて、むりやりに関係をつけようとしたんやな」
「すみません」
 康雄は洟をすすって頭をさげた。
 それにたいして木村刑事がなにかいおうとするのを、金田一耕助が手でおさえて、
「ああ、ちょっと、康雄君」
「はあ……」
「しかし、その水車小屋には北神浩一郎がいるはずじゃありませんか。それをどうするつもりだったんです」
「浩一郎のやつは……浩一郎のやつは……奥さんがひきうけてくれることになったんです。あいつは……あいつは……」
 と、康雄は急に意地悪そうな眼をギラギラ光らせて、
「村長の奥さんと関係があったんです。あいつ……あいつ、村長の奥さんと間男しとったんです!」
 金田一耕助はべつにおどろかなかったが、その瞬間、一同の体がぎくりと|痙《けい》|攣《れん》した。一瞬、しいんとした沈黙がおもっくるしく部屋のなかにおちこんできた。
 これで秋子の役割が、いよいよ|明瞭《めいりょう》になってきたのである。
 磯川警部は机の上に体をのりだし、ぎこちなくから|咳《せき》をすると、
「康雄君、それ、ほんとうだろうね。でたらめじゃあるまいね」
「ほんとうです。ぼく、うそなんかいわんです」
「きみ、まえからそのことを知っとったのか」
「いいえ、ちっとも知らなかったんです。あいつら、よっぽどうまくやっとったにちがいありません。ぼくも奥さんから打ち明け話をきいたときには、あんまりびっくりして、ひっくりかえりそうになったんです。浩一郎のやつ、模範青年やなんて、猫かぶってやがって……」
「それじゃ、村長の細君が自分でその話を打ち明けたのか」
「そうです、そうです。でも、それにはあの奥さん、もくろみがあったんです。つまり、ぼくに由紀子を|疵《きず》もんにさそちゅう。……だからそのあとで、こんなだいじなことを打ち明けたんやから、おまえもわたしのいうとおりにせんと、ただではおかんと脅かされたときには、ぼく、もう怖うなってしもて……奥さん、浩一郎のやつが由紀子と結婚するちゅうんで、やきもちやいて、すっかりやけになっとったんです。ぼく、あのひとあんな怖いひとやとは思わなんだんです」
「それでも、きみは奥さんの命令どおりにうごいたんだね」
「そら、ぼくだってくやしかったけん。……たとえ由紀子を自分のもんにできいでも、疵もんにして、浩一郎のやつの鼻をあかせてやりたかったんです」
 金田一耕助は興味ぶかい眼で、康雄の顔を見まもっている。いかに先祖伝来の反目とはいえ、これは常人の神経ではない。
「きみはこの手紙をだれにたのんで、由紀子にわたしたんだね」
「ぼく、知らんのです。この手紙は奥さんのまえで、奥さんのいうたとおり書いたんです。奥さんはそれを読みなおして封をすると、これはわたしが預かっとく。だれかにたのんできっと由紀子にとどけさせるけん、おまえは由紀子よりひと足さきに、水車小屋へ行て待ってろいうんです。だから、ぼく、奥さんがだれにたのんで由紀子にこの手紙わたさせたか、ちっとも知らんのです」
「奥さんは浩一郎をどうしたのかね」
「きっと自分の家へ呼びよせたんでしょう。あの晩は村長も女中も留守やし、どうせおそくなることはわかってるもんですけん、きっと思う存分うまいことしよったにちがいないんです」
 康雄の顔色にまたくやしそうな色がうかぶ。それはどこか|嫉《しっ》|妬《と》ぶかい御殿女中を思わせるような表情だった。
「なるほど、わかった。それできみはあの晩、水車小屋で由紀子と|逢《お》うたが、由紀子がすなおにいうことを聞かんもんだから……」
 木村刑事がいいかけると、
「ちがいます、ちがいます。それがちごとるんです」
 と、康雄が躍起となって金切り声をあげた。
「ちごとるとはどうちごちょるんだ」
「それが、ちょっとおかしいんです。いや、とてもおかしいんです」
 と康雄は|臆病《おくびょう》そうな眼で、一同の顔を見まわしながら、
「こんなこというてもほんまにしてもらえるかどうかわからんですが、これ、正真正銘の話なんです。いまから考えても|狐《きつね》につままれたような気持ちで……隣村を出るときは、ぼくもそのつもりやったんです。それで勇気をつけようと、お宮の振舞酒をコップに二杯ほどあおったんです。へえ、それまでにも相当飲んどったんですが。……それから山越えでこっちへ来ようとしたんですが、途中まで来ると、なんだか体がだるうて、だるうて、それに眠うてしかたがのうなったんです。それがぼくには不思議なんで。……ぼく、酒はそんなに弱いほうやないんです。相手があったら一升ぐらいは平気で飲めるんです。それやのに、その晩にかぎって、眠うて、だるうてたまらんようになったんです。それで道ばたの木の根に腰をおろして、ちょっと息を入れよう思うたんですが、いつの間にや眠りこけてしもたんです。いえ、ほんまの話です。ほんまに眠ってしもたんです。こんなこというても、だれも信用してくれんちゅうことはわかっとりますが、これ、ほんまの話なんです。ところが、もっと不思議なことがあるんです」
「もっと不思議なことちゅうのは……?」
「ぼくが腰をおろしたんは、道ばたの木の根やったんに、こんど眼がさめてみたら、林のずっと奥のほうの、草のなかに寝とったんです。だれかぼくの眠っとるあいだに、林の奥へつれていったらしいんですが、それがだれだかぼくにもわからんのです」
 磯川警部をはじめとして、一同の顔色には疑いの色がふかかったが、金田一耕助だけは、いかにも興味ふかげに康雄の話をきいている。
「それで眼がさめてからどうしたのかね」
「ぼく、しばらくのあいだ、なにがなにやらわけがわからなんだです。だいいち、どこに寝とるのか、それすら見当がつかんかったんです。それでも、そのうちに由紀子のことを思い出したもんですけん、はっとして腕時計を見ると、なんと、もう十一時半になっとるやありませんか。ぼく、びっくりしてとび起きると、林のなかをずいぶん迷うたあげく、ようやくのことで道へ出て、それでも水車小屋へいってみたんです。そして、そっと窓からなかをのぞいてみると、浩一郎のやつがすましこんで米を搗いとるやありませんか。ぼく、もう阿房らしいやら、腹が立つやら、狐につままれたような気持ちで、また、隣村へひきかえしたんです。なんだか頭が痛くてたまらんかったです」
「きみが水車小屋をのぞいたとき、由紀子の姿は見えなかったかね」
「いいえ、浩一郎のやつがひとりだけでした」
「そのとき、カーテンは開いてましたか。ほら、横になれるようになっているあの小部屋の、|南《ナン》|京《キン》|米《まい》袋のカーテン……」
 と、金田一耕助が口を出した。
「へえ、開いとりました。ぼく、由紀子がかくれておりはせんかと、注意してみたんです」
「いや、ありがとう」
 金田一耕助がひきさがると、こんどは磯川警部が、
「隣村へひきかえす途中、だれかに会わなかったかね」
「へえ、九ン十のやつがむこうから来るのんに会いましたが、ぼく、顔をあわせるとめんどうやけん、林のなかにかくれてやりすごしたんです。九ン十のやつ、酔うてふらふらしとりましたけん、気がつかなんだようです。あいつ振舞酒めあてに行きよったんです。あんなときでのうては、酔うほど酒も飲めんもんですから」
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