しかしさすがは観測隊隊長たる建部によって選ばれた者たちである。中でも、平助《へいすけ》という名の、〝無愛想を絵に描いたような中間がいて、彼がほとんど中心となって作業を進めた。
この平助、言葉が喋《しゃべ》れないのではないかと春海が勘違いしたほど、何を言っても、
「ん」
としか返事をしない。無礼も良いところだが、その分、与えられた役目は人一倍の根気を発揮して黙々とやり通すので、長いこと建部家で重宝がられているのだそうだ。
このときも平助が無言のままてきぱきと手振り身振りで指示し、実に巧みに天測を行った。ろくに喋らない平助に従って作業を進める他の者たちの手腕もなかなかのもので、彼らの技量のお陰で、たいていは一回で値が一致し、このときもすぐに値が出た。一人が紙片に値を記し、それを渡された平助が、足早にやって来て、
「ん」
と建部に渡し、
「むぐ……」
建部が変な唸《うな》り声を発した。
「はっはは」
伊藤がほくほく笑った。
春海は二人の後ろから紙片を覗き見た。
『三十五度十八分四十四秒』
と、あった。
「ほらほら安井さん、記して記して。私の値を見て下さい。度はぴったりですよ、ほら」
伊藤がはしゃぎにはしゃいだ様子で言ってくるのへ、春海はただ目を白黒させている。
「ええい! 悔しい悔しい!」
にわかに建部が喚《わめ》いた。なんと手灯りを持たぬ空いた方の手で拳《こぶし》を握り、宙でぐるぐる振り回した。これが出発のときは謹厳そのものの顔でいた男かと、春海は我が目を疑った。
「値を三度もの幅で誤るとは。いっそ己が身を海に投げ込みたい思いじゃ」
天測における一分の違いは、地上においては半里もの差となる。三度の違いとなればここから遥か南の海の真っ只中に等しいゆえの建部の言葉だった。それが春海にもわかった。だが次の言葉は、春海の思案の枠すら遥かに超えた。
「なんとしたものか……どこかで歩測を大幅に誤ったに違いない」
「歩測?」
思わず春海は口にした。すなわち歩数を数えることである。いったいどこからか。咄嗟《とっさ》に混乱したが、答えは一つしかない。
「まさか……江戸からでございますか?」
「うむ」
「はい」
当然だろうと言うように建部と伊藤にうなずかれ、春海は愕然《がくぜん》となった。建部だけでなく伊藤までもが、江戸からここまで己の歩数を延々と数え歩いてきたというのである。
いったいなんのためか。二人の傍らに置かれたそろばんの意味がやっと分かった。
「お……お二人様は、歩測と算術で、北極出地を予測されておられたのですか?」
「うん」
「うん」
当然というより無邪気きわまりない返答が来た。
しわくちゃの顔をしただけで実はまったく歳を取っていない二人の少年が目の前にいるかのように錯覚され、春海は、なぜかぶるっと身が震えた。体内の嫌な陰の気がどっと体外に放出されて、新たな気が入ってくるようだった。まさに息吹だった。心から祓われ浄《きよ》められるということを生まれて初めて実感した。この二人にわけも分からぬままそうさせられた。
「さて、出来る限り星を測らねば」
悔しさを紛らすように膝《ひざ》を叩《たた》きつつ、建部は、中間たちに恒星の天測を命じた。
不動の北極星を測るだけでなく、種々の惑星や星座を測ることで、天測の値をより正確にする。なんとも入念な測定だった。
「星座ですが、二十七宿、二十八宿、いずれを用いますか……」
伊藤が思案げに呟《つぶや》き、春海を見て、
「どう思われますか、安井さん」
「は……二十八宿の方が、暦日算出において誤謬《ごびゅう》が少ないように思われます」
すると建部もうなずき、
「二十七は三と九でしか割れぬが、二十八は二でも四でも七でも割れるゆえ天測に良い」
と言うので、春海はそのように記帳した。そこへ伊藤が平然と驚くべきことを言った。
「そうそう、次は安井さんもおやりなさいな」
「は……? やるとは……」
「算術で、次なる北極出地を予測せよ」
建部が無造作に命じた。春海は文字通り仰天しかけた。
「し……しかし……私の術はきわめて未熟で……」
今の今まで薄らいでいた恥の苦痛がよみがえった。あの愚かな誤問を衆目に晒した自分が……という否定的な思いで胸がいっぱいになり泣きたくなったが、
「何を申すか。こんなもの、|まぐれ《ヽヽヽ》がなくては、そうそう当たるものか」
建部があっさり言った。
「そうそう。途方もなく難しゅうございますからな。とても的中させる自信は私にもありません。度数をぴったり当てられたのは実に嬉しいことで」
伊藤が、ははは、と笑って建部を見やる。建部は、ふん、と勢いよく鼻を鳴らし、
「この地、かの一点の緯度は明白。明日からは道中の測量も行うゆえ精度も増そう。遠慮は無用だ安井算哲。お主の術式で、この医師殿を打ち負かして良いぞ」
「さてさて簡単にゆきますかな。私はこの右筆様より三度も精確でございましたゆえ」
「むむ……次を見ておれよ伊藤殿。度数は自明。分の的中こそ勝負の要であろう」
「ええ、ええ、楽しみですとも。ねえ、安井さん?」
春海は慌ててかぶりを振った。
「し、しかし、私では、術式でも答えでも誤りを犯すだけで……」
「それは良い。全霊を尽くして誤答を出すがいい」
「そうですそうです。遠慮なく外して下さい」
建部と伊藤が次々に言った。どちらも稚気と言っていいような陽気さを発散しており、春海はそれにあっさり呑み込まれた。寒い冬の日に火鉢を抱いたような温かさを感じた。
と同時に困り果てた。いったいいつ術式を組み立てればいいのか。歩きながら考案しろというのか。そう思いながらも、次々に報告される天測の結果を記帳するうち、頭の一部は、こうすれば良いとか、あの術式を応用してはどうかとか、しきりにささやき始めていた。
次々に移動する星を精確に測るという難儀な仕事を、建部も伊藤も根気よく、またいかにも活気づかせるようにみなに命じていたが、
「やれやれ……明日またできると思えなくなるのが老いというものか」
そう呟き、建部は、最初の天測の終了を告げた。寝食を惜しんで仕事をするというより、子供が遊び足らずに夜更かしをしている自分を反省するような言い方だった。
春海は用意された宿へ行き、夢も見ずにばったり眠った。とにかく疲れ切っていた。
はっと気づけば翌日の五つどきだった。
起きてすぐに旅装をまとい、荷を整え、みなと食事を摂り、次の目的地まで延々と歩く。
これがあと何百日も続くのだ。そう思っても、それを苦痛と感じない自分がいた。ただ単に歩き続けることで恥の苦悩を忘れられるという以上の、何かがあった。
建部が言った通り、中間たちが率いる別の隊によって道中の距離が測定されながら移動が行われた。それでも建部も伊藤も、ほとんど喋らず、黙々と歩いている。地道に歩数を数えているのは明らかだった。その歩みを二人の背後で見つめながら、突然、昨夜のようにぶるっと身が震えた。震えが膚《はだ》にいつまでも残るようだった。しばらく歩き続けてやっと、それが単純でいて底深い感動のさざなみであることを悟った。
その翌日、二度目の天測が行われた。
前回と同じように藩の幔幕が張り巡らされ、土地の役人の手助けを得つつ観測器具の組み立てが行われた。そして建部と伊藤が緋毛氈の上に火鉢を抱いて座り、
「これ、安井算哲」
「こちらへいらっしゃいな安井さん」
二人して手招くのだから逃げようがない。しかも自分たちが数値を記した紙は見せず、まず春海のものから見ようとしている。春海はなぜその手の中に己が出した解答があるのか不思議でならなかった。頭が勝手に術式を組み立てたとしか思えない。だが紛れもなく己の考察による解答であった。観測の準備中、どうせ建部に命じられるのが分かっているので、恥の苦しみを我慢してそろばんを弾《はじ》き、数値を紙片に記していた。それでも完全な自信喪失の中にある春海にとって解答を他者に見せることは苦痛以外の何ものでもない。
建部も伊藤もそんな春海の思いは知らぬ顔で、
『三十五度八分四十五秒』
という、春海が差し出した紙片と自分の答えを見比べ、うむ、ふむ、とうなずき、
『三十五度四分七秒』
という建部の答えと、
『三十五度十分十二秒』
という伊藤の答えを、春海の答えと一緒に緋毛氈の上に並べ、後は子供が菓子をねだるような目で空を見上げ、星が現れるのをひたすら待っている。春海はその二人の後ろに座って、火鉢の中でぱちぱち小さな音を立てている熾火《おきび》を暗い顔で見ていた。
「星だ!」
「星だ!」
二人がほとんど同時に叫び、春海はびくっとなった。
「天測を開始せよ!」
建部が意気軒昂そのものの様子で命じた。いったいどうしてこんなに元気なんだろう。春海はちょっと疎ましく思った。手順通り、平助を筆頭に三人の中間たちが数値を確かめ合った。地面が傾斜しているせいで何度か入念な修正と確認が必要だった。それから数値が記された紙片が建部の手に渡された。はっと建部が息をのむ気配が伝わってきた。伊藤が横から建部の手元を覗き込み、すーっと大きく息を吸い込んだ。妙な間があってから、今まで水面下に沈んでいたとでもいうかのように、ぷはーっと勢いよく変な音を立てて息を吐いた。
そうしていきなり建部と伊藤が、春海を振り返った。双方の目は怖いくらいに見開かれ、驚異的なほどの輝きを発して春海を見つめた。春海はその激しい眼差《まなざ》しに射竦《いすく》められて言葉もない。この二人が犬か何かのように噛みついてくるのではないかと本気で心配した。
「い……いかがなさいましたか」
気圧《けお》されながら訊《き》いた。建部と伊藤は無言。かと思うと建部が手にしたものをすっと掲げ、伊藤がご丁寧に手灯りでそれを照らした。
『三十五度八分四十五秒』
今しがた中間が報告した天測の結果である。これがどうかしたのかと疑問に思いながら見た。
完全に一拍遅れて、
「――へっ?」
春海の口から素《す》っ頓狂《とんきょう》な驚嘆の声が湧いた。
「なんたる〝明察!!」
建部が、値を記された紙片をぴしゃりと毛氈に叩きつけて喚いた。
「的中でございますぞ! 的中でございますぞ!」
伊藤が興奮もあらわに叫んだ。
「あの……」
春海が何か言い返す間もなく、建部と伊藤が立ち上がり、やんややんやの大|喝采《かっさい》を上げていた。みなびっくりして二人の様子を遠巻きに眺めている。声を聞きつけた見廻りの藩士たちがすっ飛んできたが、小躍りしている建部と伊藤の姿に呆《あき》れ顔になった。
春海はただ呆然とその場に座り込んでいる。とても二人のように立ち上がって喜ぼうという気力が湧かない。それどころか体の力が抜けてそのまま横倒しになりそうだった。
目の前に、完全に一致した数字が二つ並んでいる。
『三十五度八分四十五秒』――己の解答と、天の解答と。その二つが。信じられなかった。いったい何が起こったのか。いや、なぜ起こったのかと問いたかった。突き詰めれば、これはただの偶然に過ぎない。距離の測定と、春海の術式と計算が、そこまで完璧《かんぺき》であるはずはない。必ず多少の誤差は出るし、だからこそ誤差修正の法が何重にも用意されている。だいたい後で観測するものを事前に算出したからといって何が得られるわけでもない。だが、ただの偶然という以上の意味があるのだと思えてならなかった。今何かとてつもなく素晴らしいものを天から受け取ったのだという巨大な思いが、己の身の外から、頭上から降ってくるようだった。
それは建部も伊藤も同じらしく、むしろ春海よりもこの〝明察に喜びを見出した様子で、建部など手灯りを握ったまま、北極星に向かって万歳を繰り返し唱えている。
かと思うと、二人しておそろしく歓喜に満ちた興奮の声を春海に降り注がせた。
「そなた、星の申し子か!?」
「いかなる神のご加護でございますか!?」
「いえ……私は……」
「そなたこそこの事業の守護者ぞ!」
「あの、まさか私が……」
「よくぞよくぞこの旅にご同行下さった!」
「な、なぜ、私などの答えが……」
「なんとも嬉しいな、安井算哲!」
「あの……」
「なんて嬉しいんでしょう安井さん!」
「は……」
息が詰まった。鼻の奥でかっと熱が生じた。御神酒よりも天測器具を見たときよりも遥かに激しいその熱が身中に伝わり、たちまち目頭が熱くなって視界が曇った。
「はい……」
弱々しい声で言った。そのくせ己が喜色満面たる笑顔を浮かべているのがわかった。
「途方もなく嬉しゅうございます……」
建部と伊藤が、やたらと甲高い、喝采なのだか呵々《かか》大笑なのだかわからぬ、とにかく大きな声を天に向かって放った。
天に響動《とよ》もすその声を心地好く聞きながら春海はごしごし涙を拭って星空を見た。
前回の天測でも見たはずのもの、この世に生まれてから何度見たかしれないものだ。なのにそのときの夜空の広大さ、星々の美しさに思わず息をのんでいた。これほどのものを、毎夜、目にすることが出来ながら、なぜ苦悩というものがこの世にあるのだろう。そう思ってとことん不思議な気持ちになると同時に、脳裏に、|からん《ヽヽヽ》、|ころん《ヽヽヽ》と小さな板きれ同士がぶつかって立てる音が響いた。板きれは絵馬だった。金王八幡で触れた算額絵馬の群れだ。初めて〝関の名を知ったときの感動が、これまでになく鮮やかによみがえった。
〝私でも、良いのですか
関への設問を誓ったあの晩、稿本に向かって問うた思いが、再び熱く胸に湧いた。一心に北極星を見つめた。まさに天元たるその星の加護があるのだと信じたかった。いつでもあるのだと。誰にでも。ただ空に目を向けさえすれば。
「この私でも……」
そろそろと息を吐きながら小声でささやいた。
星は答えない。決して拒みもしない。それは天地の始まりから宙《そら》にあって、ただ何者かによって解かれるのを待ち続ける、天意という名の設問であった。
二
完全な北極出地の的中は二度と起こらなかった。
ただその日から江戸に戻るまでの数百日間、春海は真実、旅によって生かされた。
行く先々で息吹を得たし、細々とした出来事や何でもない風景にも人を生かす神気を感じることができた。連日連夜の天測と測量という、ひたすら歩き続け、ひたすら頭から足の爪先《つまさき》まで算術漬けとなり、ひたすら根気と労力を要求されるお役目それ自体は、確かに苦しかったが、それを放棄しようとは二度と思わなかった。というより放棄したいと思った記憶など気づけば綺麗に消し飛んでいた。
春海たちは東海道を進み、浜松でいったん二隊にわかれて地理を測り誤差を出来る限り少なくする努力が行われた。建部と伊藤および春海が属する本隊はそのまま東海道を行き、一方の分隊は姫街道へ向かっている。普通〝姫街道といえば難所の少ない中山《なかせん》道のことだが、この場合は気賀《けが》街道のことで、御油《ごゆ》に出る道のりをいう。
浜名湖のほとりで天測を行い、それから途上で分隊と合流し、そして一同、正月明けに熱田《あつた》に至った。そこで改めて正月祝いをし、また草薙《くさなぎ》の剣を御神体としていることで有名な熱田神宮本宮に参拝している。神器の加護によって道中の藪《やぶ》が払われ、事業成就となることを祈念してのことだが、また別の意味合いもあった。というのも建部の家には先祖代々、日本武尊《やまとたけるのみこと》を始祖とする系譜が受け継がれているのだそうで、建部にとってはまさしく祖先崇拝の地だったのである。観測隊はこの神宮に、建部自ら書き下ろしたこのたびの幕命と、幕府より支給された金子および観測の道具の一部を奉納している。
この熱田神宮の境内にいるとき、春海は自分が無意識に何かを探して目をさまよわせていることにはたと気づいた。目的がなんなのかはすぐにわかった。算額絵馬が奉納されていないかと目が勝手に辺りを探っていたのである。と同時に、えんのことが思い出された。それも箒《ほうき》を振り下ろそうとする姿ではなく、初めて正面から見せたあの微笑だった。
残念ながらすぐさま天測の準備にかからねばならず、算額絵馬はないかと尋ねる余裕もなかったが、えんの微笑だけはいつまでも春海の脳裏に残った。しかしどうせ思い出すなら関孝和の名や、金王八幡で見た絵馬の群れであるべきなのではないかと、やや己の心に疑問を抱いたが、違和感はなかった。逆に心の中にえんの微笑みが鮮やかに浮かんだせいで、出発して以来ひと月余りもずるずる引き延ばしていたことにやっと踏ん切りがついた。
その晩、天測が曇天のせいで早めに終了してのち、春海はそれを開いた。
亡霊のような気分で出発したにもかかわらず旅支度の中にちゃんと入れておいた一冊の稿本。あの関孝和が記したものを己の手で書き写した、偉大な考察の塊に、再び真っ向から挑む気で読んだ。稿本を開いたときはそれこそ乗り越えたと思っても乗り越えられぬ〝誤問の恥に襲われ苦悶《くもん》の呻《うめ》きを漏らしたが、読むうちにその思いがどんどん彼方《かなた》へ消えていった。
熱田では曇天によって天測が大いに阻まれたものの、建部が根気よく観測を続けさせ、五日を費やして入念な観測結果を得ている。そして出発する頃には、天測後から眠るまでの時間に稿本の写しを熟読することが春海の日課となっていた。
一行は天測を行いながら伊勢湾沿いに進み、やがて山田に、すなわち伊勢に辿《たど》り着いている。当地で天測の準備を整え、一同揃って伊勢神宮を参拝した。
日本の神社の本宗であり、神階もない別格たる神官で、その権威は誰しも大いに称《たた》えるところである。そのため加護を祈念するだけでなく、みな興味津々となって公然と観光が行われた。
内宮《ないぐう》と呼ばれる皇大神宮《こうたいじんぐう》では天照大御神が、外宮《げぐう》と呼ばれる豊受大神宮《とようけだいじんぐう》では豊受大神が祀《まつ》られている。それぞれ一日ずつ参宮し、諸々の奉納が行われた。
その儀式においても参拝においても春海は心底からこの神官の神気に心打たれた。八百万《やおろず》とはよくぞ言ったものだった。天地に神々はあまねく存在し、その気は陰陽の変転とともに千変万化しながらも常にこの世に漲《みなぎ》っている。捨てる神あれば拾う神あり、というが、その正しい意義は星の巡りであり神気の変転である。神気が衰えることは古い殻を脱ぐ用意を整えるということであり、蛇が己の皮を脱いで新たに生まれ変わるのとまったく同じなのだ。それがこの旅において伊勢を訪れた春海の深い実感であった。
神道は、ゆるやかに、かつ絶対的に人生を肯定している。死すらも〝神になるなどと言って否定しない。〝禊《みそ》ぎの本意たる〝身を殺《そ》ぐという言葉にすら、穢《けが》れを削《そ》ぎ落として浄《きよ》めるという意味はあれど、穢れを消滅させる、穢れたとみなされた者を社会の清浄を保つために滅ぼすといった意味合いはないと言っていい。否定すべきものを祓い、流し去る一方で、その権威を守るために何かを根絶やしにしようとはしない。
仏教が伝来したときでさえ、宗教的権威を巡って果てしなく激突し続ける、ということもなく、まるで底のない沼地のように相手を呑み込んでしまった。むろんそれでも権威を巡る争いは起こる。だがその争いもまた神道においてはゆるやかに肯定され、より大きな、〝巡り合わせとでも言うような曖昧《あいまい》な偶然性のうちに包み込まれてしまう。
巨大な大衆社会を包含するに至り、その巨大さの分だけ強力な権威を保たねばならない状態に至った宗教の一つにしてはきわめて希有《けう》な信仰のあり方と言えよう。いったいどうしてそのような信仰が生まれるに至ったのか、春海はなんだか不思議な気持ちになった。
江戸の幕閣たち、京の公家《くげ》たち、寺院の僧たち、春海が知る権威者たちはみな、己自身の権威に命じられるかのようにして、その権威を保ち、拡張することに必死になっている。あるいは神道家たちもそういう面では同じかもしれない。だがしかし神道というもの自体を思うと、布教に血道を上げるというよりも、欲する者には自由にその権威を与えて使わせてやる宗教であるような気がした。あたかも天地の恵みそのままに。
などと考えながらも春海はそこでちょっとした競争に巻き込まれている。というのも、建部や伊藤はもとより観測隊の面々が、参宮を終えるなりみな先を争って伊勢神宮の大麻《たいま》を手に入れ、さらには奪い合うようにして今年の頒暦、つまり〝伊勢暦を購入したからだ。
春海も頒布所で頑張って手を伸ばし声を張り上げ、自分の分を買っている。
伊勢暦はもっぱら伊勢神宮の御師《おし》たちが頒布し、その権威、また日本全土に普及する知名度の高さから、伊勢特産の箸《はし》や櫛《くし》、金物や織物などにも増して重宝がられる一品だ。
その夕べは天測が予定されておらず、春海は割り当てられた宿部屋で、久々にごろごろしながら伊勢暦を娯楽に安穏としたひとときを過ごした。この頃の暦には難解な暦注は印刷されておらず、一日ごとに、細長い仮名文字でその日の吉凶などが大まかに記されている。
それにしても暦というものも実に不思議なしろものだ。日本全国、ほぼ同じものが出回っているにもかかわらず、自分が手にした瞬間、それは自分だけの時を刻み始めるのである。暦に記された諸事の注釈も、こうして眺めている自分にとってのみ意味があるものに思えてくる。
ふと表紙を見直し、手にしたものが寛文二年|壬寅《みずのえとら》のものであることを確かめた。
星巡りは五黄土星。自分が生まれた年は己卯《つちのとう》で、一白水星。今年が自分にとってどんな年であるかが、十干十二支と星という、ただそれだけで、なんとなく漠然と理解できる気がしてくる。あるいは託宣にも似た、日々の生き様の指標となる何かが降って湧くような思いがする。今自分が手にしているのが伊勢暦であることが余計にその実感を裏打ちした。
というより伊勢暦自体は江戸でも手に入るのだが、伊勢に参宮した上でいただくところに有り難さがあった。ちなみに江戸では幕府公認の〝三島暦が一般的で、これは伊豆国にある三島大社の河合家が編暦しており、その起源は源頼朝にまで遡《さかのぼ》るという。かなり昔から版木を用いて刷られているため、版木による暦全般を指して三島暦と呼ぶ者もいるほどで、その権威は伊勢暦に勝るとも劣らない。
他方で、本来、頒暦は京都で発行されて各地に下されるものという考え方も根強く、その点では〝京暦がいまだ権威の筆頭であると言えた。幕閣でもときとして京暦と三島暦の僅《わず》かな相違がもとで、いずれを公式の暦日として扱うべきかで議論が起こるらしい。
特に〝大小月が、それぞれの暦でずれると大変だった。大の月とは三十日間の月のこと、小の月とは二十九日間の月のことで、十二ヶ月いずれの月が大か小かを割り当てるのである。
これがずれると、あちらの暦では朔日なのに、こちらの暦では晦日《みそか》であるといったことになり、公式の祭礼から年貢の取り立て、商人たちの月々の支払いやら貸付利息やらが、ずいぶんと混乱する。そうならないためにも幕府は強いて三島暦を公認とし、他の暦を用いない場合が多いのだという。
そうかと思うと、そうした高い知名度を誇る暦の他にも、各地でそれぞれ幕府の許しを得て頒暦を作り、売買する神社や商家もある。いずれも創意工夫に富んだものが多く、またのちには暦から略暦を作成し、その裏表に、薬屋だの花屋だのの宣伝を盛り込む代わり、各店舗から一定額の金を集める、ということまで行われる有り様だった。
暦日や祭日、大小月の統一という点からすれば、取り締まられてもおかしくないことだが、人々がその土地土地で編まれる暦を求める限り、消えてなくなることはなかった。
つまるところ暦とは、絶対的な必需品であると同時に、それ以上のものとして、毎年決まった季節に、人々の間に広まる〝何かなのであろう。
それはまず単純に言って、娯楽だった。文字が読めない者も、絵暦を通して楽しむことが出来る。それどころか、今年の大小月の並びが絵の中に隠されており、謎解きのようにして読まねばならない頒暦もあった。そういう遊びが成り立つほどの万人共通の品なのである。
さらにそれは教養でもあった。信仰の結晶でもあった。吉凶の列挙であり、様々な日取りの選択基準だった。それは万人の生活を映す鏡であり、尺度であり、天体の運行という巨大な事象がもたらしてくれる、〝昨日が今日へ、今日が明日へ、ずっと続いてゆくという、人間にのとってなくてはならない確信の賜物《たまもの》だった。
そしてそれゆえに、頒暦は発行する者にとっての権威だった。
最後の一つを思いついた途端、春海は普段の行儀の良さほどこへやら、灯りの周辺でごろごろ寝返りをうつとともに、ふいに不遜《ふそん》とも言える方向へ思考が転がっていくのを覚えた。
もしかすると暦とは、一つに、人々が世の権威の所在を知るすべなのかもしれない。
江戸や京や伊勢といった世の権威を、公然と、またひそかに比較しうる道具なのである。
どの権威がより権威的であるかを、あたかも人々が自由に議論することで、決定しうるというように。いや、実際のところ暦を発行し、人々がそれを正しいものとして受け止めることによって、様々な権威の大部分が成り立っているのではないか。
なんだか急に不安になって春海は身を起こした。畳の上に暦を置き、やや後ずさってから、腕組みして眺めた。今の自分の思考には、妙に剣呑《けんのん》なものがふくまれているような気がする。いや、実際それはとてつもなく剣呑であるように思えてならない。おいそれと口にしてはいけないものだという確信があった。いったい何がそこまで剣呑だというのか。思わず首を傾げると同時に、突然ひやっと背筋が寒くなった。
権威の所在――つまり人々は、徳川幕府というものを|絶対的なものとして崇めているわけではない《ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ》のではないか。帝《みかど》のおわす京、神々の坐《いま》す神宮、仏を尊崇する寺院、五畿七道に配置された藩体制。人々が自由に権威を選ぶ余地はいたるところに残されており、しかもそうした余地は、決して誰にも埋めることのできないものなのではないだろうか。
徳川家に碁打ちとして仕え、優れた幕閣の面々を知り、十重二十重に巡らされる江戸安泰の治世を見聞きし、泰山のごとき江戸城の威容を日々感ずる春海にとっては驚くべき思考だった。
と同時に、毎年、単に京と江戸を往復するのみならず、神宮や公家たち、寺院の僧たちと広い交流を持つ春海だからこそ、自然と考えつくことでもあった。
しばらく春海は凝然と暦を見つめ、
「やれやれ……」
やおら脱力し、肺の中の空気がすっかり入れ替わるくらい深々と溜《た》め息をついた。
めでたい正月明けの参宮の後で、何を馬鹿馬鹿しいことを自分は考えているのか。急に自分が途方もない怠け者に思えてきた。要するに、江戸を出発して以来、久々にゆっくりすることができたものだから、こんな益体もない思案がずるずる心身から湧いてくるのであろう。
そう気を取り直して、暦ではなく例の稿本を取り出した。算盤を広げ、算木を傍らに置き、関孝和の超人的とも称すべき算術の数々に没頭することにした。そうしながら、えんの微笑みが自然と思い出された。誤問を臥薪嘗胆して修業し直せという彼女のもっともな意見に、ようやく己の心が応じようとしているのがわかった。この旅のどこかで、必ず自分は再度の設問に挑戦するという、決意とも予感ともつかぬ思いが湧いたとき、
「急げ急げ!」
部屋の外から建部の声が聞こえ、
「灯りがありませぬ、建部様。灯りがなくては、この老いぼれの目では記せませぬ」
伊藤の声が続き、
「おのれしまった」
ばたばたという足音がいったん遠ざかったかと思うと、さらに勢いを増して戻ってきた。
春海は稿本を手に立ち上がって戸を開け、
「いかがなさいましたか――」
部屋の前を猛然と走り行く建部と伊藤の、
「月じゃ! 安井算哲! 月じゃ!」
「欠けております! 欠けております!」
という喚き声に、春海はぽかんとなり、ついで慌てて部星に戻って手灯りを握った。
それから一方の手に稿本を持ったまま、既に庭へ走っている二人の後を、火が消えないよう気をつけながら大急ぎで追った。中間たちが何事かと顔を出したとき、春海は二人の後ろに立ってしっかりそれを見ていた。
星ではない。月だった。それもただの月ではなく、
「四分半!」
と建部が大声で告げ、伊藤が記そうとするのを、咄嗟に手の稿本と灯りを手渡し、春海が代わってその数値と形状を書きとめながらも、ありありと眺めることができたほどの、見事な月蝕《げっしょく》であった。
三人ともしばらくじっと月蝕を観察し続けた。雲が流れて来て月を隠しかけたときは三人同時に言葉にならぬ呻き声をこぼした。雲がゆるゆると月から離れて流されてゆく間にも、月影から欠けた部分が逸《そ》れてゆき、やがて元に戻って皓々《こうこう》とした姿を取り戻した。
はあーっと三人揃って詰めていた息を吐いた。
「そなたら戻って良いぞ」
建部が、平助ら中間たちを追い返しつつ、両脇に抱えていた書物をひと束にして、片っ端からめくってゆき、
「二分以上の蝕を予期したものは皆無」
「なんとまあ」
伊藤が低い声で呟きつつこちらを見てうなずいたので、春海はその建部の言葉も記した。
それから遅れて、建部が手にした書物が各地の頒暦であることを理解した。
手に入れたばかりの伊勢暦はもとより、三島暦に京暦、薩摩《さつま》暦に会津暦、旅の途上で買い求めたとおぼしき、春海の見知らぬけばけばしい装丁の頒暦もあった。
かと思うと最後の一冊は建部自身の稿本で、それを開きながら神妙な顔つきになり、
「……やはり、日がずれつつある。いや、既に遅れておると見て間違いなかろう」
伊藤もますます声を低め、
「遅れること一日を超えましょうか」
「いや、二日に及ぶやもしれん」
「なんと……」
伊藤が息をのみ、建部は今にも恐るべき天変地異が襲ってくるかのような眼差しで天を仰いでいる。春海は意味がわからず、どこまで記したらよいやら帳簿と筆を持ったままぽつねんと立っていたが、
「暦がずれている?」
いきなり何かの天啓が閃《ひらめ》いたかのように勝手に口がその言葉を発していた。しかもそれは決して素晴らしいものではなかった。春海はふいに先ほど馬鹿馬鹿しいと自分で一笑に付した、あの怖い考えが、断片的に、また脈絡もなく湧き起こるのを感じた。
果たして春海と同じような怖さを抱いているのかどうか、建部と伊藤がぱっと振り向き、
「しぃーっ」
と二人息を揃えて、声の大きさを咎められてしまった。
「は……も、申し訳ありません」
春海も咄嗟に声を低め、
「ずれているとは……」
改めて訊くと、建部も伊藤も、無言のうちに互いに目を見交わし、ここではっきり口にして良いかどうか、推し量るようだったが、
「安井算哲……お主、本日が実は明後日である、と聞いて、どう思う?」
逆に建部はそんなことを訊いてきた。
その質問は春海の想像を超えた。質問自体が途方もなさ過ぎて、両手に筆記用具を持ったまま、あんぐり口を開けて間抜け面をさらし、しばらく言葉が出ずにいた。
「な……なぜ……そのようなことに?」
訊かれたことに答える前に、さらに質問が出た。驚きすぎて声が震えていた。
伊藤は手灯りを持ったまま静かに会話を見守っている。答えはとっくに知っているが、自分が口にすべきではないという顔だった。その伊藤と、建部はもう一度だけ視線を交わした。それから春海ではなく、天に浮かぶ月へ目を向けた。そしてあたかも誰の手も届かぬ月を責めるか、届かぬ自分たちを責めるかするような言いざまで、
「宣明暦《せんみょうれき》」
短く断定的に告げた。
それこそが、やがて究極の難問となって立ちはだかり、生涯をかけた勝負を生み出すなどとは露ほども思わず、春海はただ言葉を失い、建部の視線を追って月に目を向けた。
見慣れたはずのその白々とした輝きが、なぜかひどく異様なものであるように見えていた。
三
月蝕の観測ののち、寒風を避けて春海の部屋へ移動していた。
「現今、世にある暦法は全て、宣明暦に端を発しておる」
建部は、いつものしかつめらしい顔をさらに厳しく引き締めつつ、膝元に積んだ各地の頒暦を掌で叩いた。まるきり世の罪悪の根源を説法する僧の態度である。常時にこにこ笑みを絶やさぬ伊藤までもが、神妙な様子で腕組みし、宙へ目を向けている。
春海は二人のいやに緊迫した態度に恐縮して首をすくめ、
「唐国《からくに》の由緒正しき暦法と聞いておりますが……」
他人事のように言った。というより何百年もの伝統を誇る国の暦法を、我が事のように話せという方が難しい。また胸中では妙な怖さが消えてくれず、その怖さがどこから来るのかもいまいち判然とせず、困惑が募るせいでますます一歩引いたような心持ちにならざるを得ない。
「八百年だ」
建部が鋭く言った。伊藤も、
「まこと長《なご》うございます」
その歳月そのものが世に悪事をなしたとでも言うような慨嘆の調子を声ににじませている。
あるいは事実、その通りだとも言えた。そのことは春海にも漠然と理解できた。
宣明暦とは、建部の言うとおり、日本全土の暦を司《つかさど》る暦法である。伊勢暦も三島暦も京暦も地方によって日の吉凶や大小月の扱いの差はしばしば生ずることはあれど、基本となる暦術は全て同じ術理に依存していた。
その宣明暦がこの国に将来されたのは天安《てんあん》元年、春海の生きる今から、正確には八百五年の昔である。ときの暦博士たる大春日朝臣真野麻呂《おおかすがのあそんまのまろ》に、渤海《ぼっかい》国大使の烏孝慎が、唐朝の〝長慶《ちょうけい》宣明暦経を教えた。真野麻呂はその暦の優秀さを知り、ときの清和天皇に採用を上奏した。
清和天皇とその側近たちはただちに改暦を準備させ、天安から貞観《じょうがん》へと年号を改元してのち、宣明暦を施行させている。というのも清和天皇は文徳《もんとく》天皇の崩御を受けて即位したばかりで、
〝治世の刷新を民に明らかにするすべを欲されたのだという。それには改元のみならず改暦こそがふさわしかった。民衆に〝世が変わったことを告げ、また新たな天皇が世に善なるものをもたらす意志を天下に〝宣明する最大のすべが、改暦だったのである。
それ以来、宣明暦は連綿と国の暦として採用され続けた。その理由は、一つに宣明暦が確かに優れた暦法であったことが挙げられるが、
「一つの暦法の寿命は、どれほど優れていようと、もって百年。八百年も続けて用いること自体がたわけておるわ」
というのが建部の歯に衣《きぬ》着せぬ言いざまだった。これは暦術を学ぶ者にとっての常識である。
なぜなら天体の運動のような規模甚大のものを読み解き、法則を見出すには、長い年月をかけて観測し、また正確な数理に裏打ちされた暦術を精巧に積み重ねていかねばならない。
そして日も月も、この現在においてすら、まだまだ全てが読み解かれたわけではなかった。
だからどこかで誤差が出る。誤差が出たら、それがその暦法の寿命である。暦術の研鑽《けんさん》とは、誤差が出るまでの期間をより長くするために正しい観測と数理を追究することにあった。
永遠に誤差を出さないような暦法の完成は、究極的な夢だ。しかし実現するには、まだ到底、人智の及ばぬ範囲が広すぎた。今のような北極出地を幾世代にもわたって行ってゆく必要があるし、見たこともないような新たな数理算術が必要だった。
そんなわけで宣明暦が施行されてのち、何度か改暦の試みがなされたらしいことは春海も知っていた。暦術については算術と同じく、春海がまだ御城でお勤めをするようになる以前、京で何人かの師から教えを受けている。とはいえそれは〝経典の冒頭を読んだことがあるといった程度であり、とても建部や伊藤についていける域にはなく、
「なぜ、そのようなことになったのでしょう……」
ぼんやり尋ねることしかできずにいる。
「朝廷が拒み続けてきたのでしょうねえ」
伊藤が声を低めてささやくが、まるで意味がわからなかった。伊藤は一貫してこの話題自体がとてつもなく不遜で、いつ誰の耳に入って大事となるか知れないというような態度でいる。あるいはそれもまた事実その通りだと言ってよかった。
「……なぜ拒むのでしょう」
思わず伊藤に合わせてささやき声になる春海に、建部がずけずけと言った。
「由緒悪しき法……つまり新たな暦法の多くが、名もなき民が作りしものとされたからよ」
たとえば貞観元年よりおよそ百年後の天暦《てんりゃく》年間において、ときの陰陽頭《おんみょうのかみ》たる賀茂保憲《かものやすのり》は、厳密に八十五年間で暦に誤差が生じることを見抜いて対処を急いでいる。
そして天台宗の僧である日延《にちえん》が中国に渡る際、新たな暦法の修得を公務として任じた。
日延は呉越《ごえつ》国の杭州《こうしゅう》に渡り、そこで公暦として用いられていた〝符天暦を学んで帰国し、ついに賀茂保憲に改暦のすべをもたらしたのだが、
「そのせっかくの暦法を、むざむざ捨ておったのだ」
建部がまた、ばしんと音を立てて頒暦の束を叩いた。一番上に置かれているのは手に入れたばかりの折れ紙の頒暦、つまりは伊勢暦である。いかにも罰が当たりそうなその所作に春海はちょっとひやっとした。
「官吏の手になる暦法ではなかったというだけでですか……?」
「下らぬ言い訳じゃ。当の唐国は四分五裂の乱世。そもそも日延が海を渡らねばならなんだ理由は、当地の教典が戦火で焼亡し尽くしたゆえ、中国本山が我が国にある教典を求めたからよ。そんな時世に由緒正しきものを求められるわけがなかろう」
「まあ実際の理由はですね……」
と伊藤が口もとに手を当て、いかにも内緒話をするように、
「朝廷のほとんどの人が、理解できなかったんですよ。せっかくの新しい暦法が……いえ、そもそも暦が|ずれる《ヽヽヽ》ということが、ね」
ひときわ不遜な言葉を発して、春海を呆然とさせた。だがそれこそいまだ宣明暦が用いられ続けているゆえんだった。実に過去千年近くもの間、暦博士のみならず朝廷の要職は世襲化する一方で、新たに有能な人材に後を継がせるといったことがあまり行われなかったのである。
当然のごとく学術の水準は低下し、かえって〝旧慣墨守の態度が徹底されていった。旧《ふる》い伝統を誇って神秘化し、新たに改めるすべそのものを消し去ってゆく。
特に暦や天文を司るはずの安倍家や賀茂家といった陰陽師たちが、算術的な術理ではなく、鬼神|呪術《じゅじゅつ》のたぐいを扱う存在とみなされたこともそれに拍車をかけた。子孫たちの多くが受け継ぐべき技術を理解できず、学習する意欲も能力も欠けた有り様となり、ついには、
「今の暦博士たる京の賀茂家の者と話をしてみよ。何が博士か。漏刻の術、暦法、天測の法、みな秘伝の術であるとして一切おおやけにせぬが、何のことはない。全て失われたのだ」
とのことであった。ちなみに漏刻とは時刻を計る術理のことである。それすら失われるということが、どれほどの学術的な水準低下であるかは言うまでもない。
しかも建部も伊藤も八百年前のことだけを言っているのではなかった。今現在のこの国のことを言っていた。八百年間もかけての技術喪失、学術低迷である。
そのことが、もとから寒い室内で火鉢を抱く面々に、また違う寒々とした気持ちをもたらすのを春海は感じた。月蝕が起こることを告げられる前に、ごろごろ寝転がってふけっていた、あの怖い思案のことがまたぞろ脈絡もなく思い出されてくる。
この国には実は正しく民衆を統べる権威というものは存在せず、いつまた覆るかもしれないのだという、途方もない思案である。しかもその権威の欠如は、決して活気に溢《あふ》れる自由さを意味しなかった。人それぞれがばらばらに都合の良い権威に覆われることを望んで新たに改めることを拒んでゆくような気がした。それはもしかすると〝息吹を拒むということなのかもしれない。しかも個人の生活の息吹ではなく、国としての息吹さえも。
ふいに天守閣のことが脳裏をよぎった。明暦の大火で焼亡した江戸城の天守閣である。それが再建されなかったことそれ自体が〝戦時の混沌《こんとん》を脱し、新たな時代の幕開けに立ち会っているのだという息吹を若い春海に感じさせたはずだった。
なのに今、天守閣喪失後の青空を思い出すのが怖かった。あの青空の向こうには|本当に何もない《ヽヽヽヽヽヽヽ》のだとしたら。結局のところ新たな時代の到来などという大層なものはなく、ただ単に徳川幕府という権威にくるまれ、大勢が息吹をやめただけだったとしたら。
碁打ちとして安穏たる〝飽きに苦痛を感じている我が身を振り返るだに、そうした思案こそ恐怖だった。徳川家が江戸に開府し、天下泰平の世が訪れた――|で《ヽ》、|どうするのか《ヽヽヽヽヽヽ》。
ひたすらに精進に励みながらも、実際に許されるのは過去の棋譜の再現に過ぎない職務を延々と続けるのか。あの道策のような燦《きら》めく天与の才を持った者からも、はばたくすべを奪うのが泰平の世なのだろうか。
と、そこまで考えが巡ったところで完全に途切れた。暦の|ずれ《ヽヽ》、という驚くべき言葉から、どんどん飛躍したせいで本当に脈絡がなくなり、到底このときの春海についていける思案ではなくなっていた。暦がずれることで世の中に何が起こるのか、あるいはそのような事態を許すということがどのような意味を持つのか。あまりに途方もなさすぎて、
「いずれ蝕の予報すら難しくなろう……」
ことさら真剣な顔つきになる建部や、
「そのときこそ、いよいよ――」
何やら思案を抱くような伊藤をよそに、春海はただ、今こうして碁打ちの職務を外れて、北極出地という一大事業に参加できた我が身の幸運を味わうばかりである。己を〝飽きから救う算術というものをもたらしてくれた神仏に心底感謝したかった。そのようなことを二人に告げようとしたところで、
「一つ気になっていたのですが、それはなんの本なのでしょう」
伊藤が、春海の傍らに置かれた本を指さして言った。先ほど月蝕観測の際に、春海が慌てて手渡した、関孝和の稿本である。
「これは……」
口ごもりつつ、とある算術の達人の手による稿本である、と告げるや、
「名は?」
「いずこの方で?」
たちまち建部と伊藤が一緒になって食いついた。勢い、春海は金王八幡の算額絵馬のことや磯村塾や〝一瞥即解の士たる関孝和について話さざるを得なくなり、
「そのような人物が江戸にいるとは」
建部など力いっぱい拳を握りしめ、
「ぜひ弟子入りしたい」
はっきりとそう言った。なんと伊藤まで首肯している。この二人の老人にとって研鑽のためなら三十も年下の若者に頭《こうべ》を垂れることなど苦でも何でもないらしい。それどころか、
「だいたいにして若い師というのは実によろしい」
「ええ、ええ。教えの途中で、ぽっくり逝かれてしまうということがありませんから」
などと喜び合うのだった。とはいえ右筆であり御典医である二人は交友関係が幕府により厳しく制限されている。二人の身分では、そうそう巷間《こうかん》の士に教えを請いに行けるものではない。それでも、弟子入りしたいと思えるほどの人物が江戸にいるということ自体が喜びなのだろう。先ほどまでの重苦しい様子など忘れたように、
「これ算哲、なぜお主は弟子入りせなんだ?」
「そうですよ安井さん。もったいないことですよ」
春海が弟子入りしてくれれば、間接的にその教えを自分たちが受けられるという下心をたっぷりと込めて迫ってくる。お陰で春海は、
「それが、身の程も知らず……」
と、算術をもって勝負を挑んだことまで話さねばならなくなった。いや、挑んだばかりか、愚かにも誤謬を犯した設問を出してしまったことまで話させられた。
「まさに生涯の恥でございます……」
だが苦しげにうなだれる春海のことなど全く気にもせず、
「見せよ」
「お見せ下さい」
「えっ……?」
「その誤問じゃ」
「ぜひとも拝見しとうございます」
さすがに春海も狼狽《ろうばい》し、そんな愚劣な設問は捨て去ったと言い張ったのだが、
「お主の頭の中にあろう」
「自ら立てた設問でしょう。そうそう忘れたとは言わせませんよ」
二人の勢いにぐいぐい押し切られ、気づけば筆を執って、あの忘れがたい苦痛そのものである誤問を、その場で新たに書かされていた。
「……方積より斜辺の値を出すこと能《あた》わず、それが病題となった第一のゆえんかと」
「うむ、見事な誤問よ」
「実にお見事な誤謬でございますな」
などと建部も伊藤も目を輝かせ、嬉々として争うように薄暗い灯りの中で春海の誤問を書き写すのだからたまったものではない。羞恥《しゅうち》のあまり発熱しそうだった。その上、当然のことながら二人とも稿本を写させてくれと言い出した。拒めるわけもなく、己の誤問を知られた上で、関の才気みなぎる稿本を見せるという二重の恥にめまいがした。
「これ、算哲。お主は実に良い学び方をしておるぞ。この誤問がそう言っておるわ」
「羨《うらや》ましい限りでございますねえ。精魂を打ちこんで誤謬を為したのですからねえ」
春海はがっくりきて、はあ、ええ、と生返事をするばかりである。このときだけは二人に褒められても嬉しくなかった。二人とも早く寝てくれないかと神に祈りたい思いだった。
四
春になり、夏になった。
観測隊の一行は東海道での天測を終え、山陽道に入り、四国へ渡った。舞子浜《まいこのはま》から淡路島の岩屋に渡り、さらに福良《ふくら》から鳴門《なると》に渡っている。そこから撫養《むや》へ行き、南へ下って室戸に入った。北上して塩飽《しわく》の小島に渡り、そこから山陽道へ戻って萩《はぎ》を目指した。
その頃から建部の歩調が鈍くなった。
それでも赤間関《あかまがせき》(下関)に到るまで立派に天測の指揮を務め、また歩測と算術をもって北極出地の予測を立てることを一度として欠かさなかった建部だが、やがて咳《せき》が止まらなくなり、ついに歩行に支障をきたすまでになった。
建部はなおも九州に渡ることを主張したが、伊藤および随伴の医師の説得により、赤間にて療養することを、無念そうに承知した。代わって伊藤が隊を取り仕切り、春海がそれを補佐しつつ、一行は九州を巡った。さらに各藩と交渉し、琉球《りゅうきゅう》、朝鮮半島、北京および南京に観測者たちを派遣している。これらの観測者たちから、
『朝鮮三十八度、琉球二十七度、西土北京四十二度強、南京三十四度』
という観測結果が江戸に報告されたのは、それから半年余も後である。詳細な天測が行えたとは言い難かったが、それでも大まかな値を得ることはできた。
それらの値が届くよりも前に、観測隊は赤間に戻り、数ヶ月ぶりに建部と合流している。当地でひたすら療養に専心していた建部だが、容態は見るからに悪化し、肌色は蜜蝋《みつろう》のごとく黄味がかり、絶えず苦しげに咳《せ》き込んでいた。そして久々に再会するなり、
「少し前に血を吐いた」
短くそう言った。明らかに無理をして床を出て伊藤と春海に対座していたが、今もってしかつめらしい態度を崩さない。そのことがかえって悲痛で、春海はすっかり言葉を失ってしまい、傍らの伊藤が、
「さようでございますか」
微笑みながら穏やかに返したことが信じられなかった。建部の言葉は、この観測事業から外れて帰還すると告げたに等しい。春海はなんとか言葉を絞り出そうとしたが、己の膝をつかんだ手に力がこもるばかりでひと言として出てこない。建部の復帰を信じて疑わず、赤間へ戻るまでずっと、九州各地の北極出地の報告を、建部が悔しがって聞き、また奮起する顔しか想像していなかった。
「いまだ五畿七道の半ばを終えたばかりでございますよ」
さらりと伊藤が言う。病人の悲痛を汲《く》み取るようでもあり、突き放すようでもあった。医師としての職分によるものか、生来の性分か、いずれにせよ春海は伊藤のその態度に心底感謝した。自分一人で今の建部と相対できる勇気がなかった。
「わかっておる」
「いったん江戸へお戻りになりますか」
建部はうなずき、何か言おうとしたが咳き込んで言葉にならず、代わりに伊藤が、
「では犬吠埼《いぬぼうざき》の辺りで再び落ち合えますかな」
相手を宥《なだ》めるでもなく、決まり切ったことを告げるように口にした。また建部も、
「彼の地は星がよく見える」
肺腑を鎮めるように大きく息をついて、微《かす》かに笑みを浮かべながらそう言った。
このとき春海は内心でほっと安堵《あんど》していた。純粋に、御典医であり優秀な医師である伊藤が、建部の快癒と復帰を保証してくれたと思ったのである。犬吠埼という具体的な地名が出たことがその安堵を裏打ちしてくれた。
その時点で建部が江戸に戻り、北極出地の中間報告を行うとともに、引き続き療養することが決まった。その間、伊藤と春海たち観測隊は山陰道を進み、江戸へ向かいつつも城へ報告には上がらず、房総《ぼうそう》を巡って北上する。ほぼ旅立つ前に建部が組み立てた旅程通りである。
特段、詳細に話すべきことはなかったが、伊藤は念入りに建部に確認を取っている。それが、これから延々と病床に就かねばならぬ者への、伊藤なりの配慮であったのだと、このときの春海が気づくことはなかった。病床にある建部が、いつでもその脳裏に旅の様子をはっきり思い描けるように、あるいは事業復帰という最大の望みが建部の中で失われてしまわないようにという配慮である。その伊藤の丁寧で穏やかな態度こそ良薬となったのだろうか、ぜいぜい息を切らすようだった建部の呼吸もやや落ち着き、
「旅程の半ばを無事に終えたことを神仏に感謝し、また今後の成就を祈るとしよう」
この事業では特別な日以外は御法度であるはずの酒を運ばせ、また別室にいる他の隊員たちにも振る舞うよう中間たちに命じている。むろん大盤振る舞いというほどのものではなく、あくまで〝祈念の杯である。それをちびちびと口にしながら、
「わしにも、一つ、大願というやつがある」
と建部が呟くように言った。口調は呟くようだったが、目は春海を見ていた。
「は……」
春海には咄嗟に相槌《あいづち》を打つことしかできず、
「どのようなものでしょう?」
と伊藤がにこにこ微笑んで先を続けさせた
「渾天儀《こんてんぎ》」
建部は、ぽつっと告げて杯を置き、
「天の星々を余さず球儀にて詳らかにする。太陽の黄道、太陰(月)の白道、二十八宿の星図、その全ての運行を渾大にし、一個の球体となしてな。そして――」
そこで、春海が初めて見る表情を浮かべた。恥ずかしがるような、照れるような顔だ。そして両腕で何かを抱えるような仕草をしてみせ、その、何もない眼前の虚空を愛しむように、
「それを、こうして……こう、我が双腕に天を抱きながらな……三途《さんず》の川を渡りたいのだ」
言って腕を下ろし、
「そう思っていた……ずっと、いつの頃からか、な」
と付け加えた。
「なんとも楽しげですなあ」
優しい顔でうなずく伊藤のそばで、春海は完全に度肝を抜かれている。天の星々を地球儀のごとく球形に表現した品が存在することは知っているが、建部の告げた構想はまさにその完成形とでも評すべきものだった。しかもその腕に〝天を抱くと建部が口にしたとき、実際にぼんやりその幻が見える気がした。こうして病に倒れるまで、きわめて的確に、また入念に天測の指揮を執ってきた建部が口にしたからこそ、目に浮かぶ幻だった。
「どうじゃ、算哲」
まるで自慢するような調子で建部が言った。実際、春海からすれば鼻高々に自慢された気持ちだった。お前は、それほどのものを脳裏に描き、実現のために邁進《まいしん》できるか。そう言われた気がして、はっきり言って悔しくなった。
「精進いたします」
思わず奮然となって、いささか見当の外れた答え方をしたのだが、それがどうやら建部を面白い気持ちにさせたらしく、
「精進せよ、精進せよ」
珍しいことに、若者がやるような節操のなさで、からから声を上げて笑った。伊藤もなんだかやけに嬉しげに笑っている。春海だけがくそ真面目に、
「必ずや精進いたします」
意地を込めて繰り返すので、二人ともまた愉快そうに笑った。
そうして翌朝、春海たち観測隊一行は山陰道を東へ進むべく出発し、建部は医師に付き添われて駕籠に乗り、江戸への帰り道を辿った。
以後、春海が、建部と会うことは二度となかった。
やはりこの大地は――地球は丸いのだ。
渋川春海、二十三歳。寛文二年の夏の終わり、銚子《ちょうし》犬吠埼にいた。背後に陸地があることを忘れそうな、絶海に立つかと思われるほどの見晴らしの良さである。何百里先かも分からぬ彼方の雲の動きさえわかる。当然、日が暮れれば満天の星だ。しかも、わざわざ見上げずとも、目の前の水辺線定かならぬ彼方に星々が燦めいている。春海は星雲の真っ只中にいるかのような錯覚に陥りかけ、思わず両手を宙に向かって大きく伸ばしていた。確かに、このまま、
〝双腕に天を抱く
ことすら可能なのではないか。そう思わされる光景の中にあって、
(星にちなんだ設問がいい)
唐突にその思いが春海の胸中を満たした。あの〝誤問の恥の痛みも今はもうほとんど薄れている。代わりにわくわくするような気分だけがあった。
そこでの観測にずいぶん苦労したことも、かえって観測後の充足感を与えてくれた。当初は南側の犬若岬での観測が予定されていたのだが現実には不可能だった。波による浸食が著しく、いずれ消えてなくなることになる岬である。危なっかしくて子午線儀も設置できない。無理な設置で道具が損なわれることを避け、北側の犬吠埼《いぬぼうさき》にて天測が行われた。その北極出地の結果は、
『三十五度四十二分二十七秒』
春海の予測、伊藤の予測、いずれも十分以上の差で外れた。他にも恒星の緯度が多く測定され、春海がそれらの値を記していると、
「星とは良いものですねえ」
しみじみと伊藤が言った。無事に観測を終えたばかりの木星の数値が記された紙片を手にしている。北極星と違って恒星は移動するから観測が大変だった。恒星が子午線にさしかかる瞬間を見計らい、象限儀の望遠鏡でぴたりと正中を捉《とら》える。木星以外にも後から後から巡り来る恒星をすかさず観測し、休まず数値を記録してゆく。器具を操る隊員たちの腕前は今や名人芸といっていいほどに鍛えられ、伊藤の指示の下で遅滞なく仕事をこなしている。見ようによっては、あたかも一隻の大船をみなで操り、星の海を航《わた》るがごとき働きであった。そして伊藤はその光景を称賛するように紙片を持った手をひるがえし、
「ときに惑い星などと呼ばれますがねえ。それは人が天を見誤り、その理を間違って理解してしまうからに過ぎません。正しく見定め、その理《ことわり》を理解すれば、これこの通り」
春海が新たに数値を記したばかりの帳簿を、紙片でひらりと撫で、
「天地明察でございます」
にっこり笑って言った。見ている方が嬉しくなるような幸せそうな笑顔だった。