天地明察
★ 序 章
★ 第一章 一瞥即解
★ 第二章 算法勝負
★ 第三章 北極出地
★ 第四章 授時暦
★ 第五章 改暦請願
★ 第六章 天地明察
主要参考文献
[#ここで字下げ終わり]
[#改ページ]
[#ページの左右中央]
[#地付き]装丁 高柳雅人
[#改ページ]
序章
幸福だった。
この世に生まれてからずっと、ただひたすら同じ勝負をし続けてきた気がする。
そのことが今、春海《はるみ》には、この上なく幸せなことに思えた。
気づけば四十五歳。いったいいつからこの勝負を始めていたのだろうか。
決着のときを待ちわびた気もするし、思ったよりずっと早く辿《たど》り着けた気もする。長い道のりだったことは確かだが、それがどういうものであるか振り返ることさえしてこなかった。そのせいか、勝負が始まったのは、つい昨日のことであるような思いさえする。
「は……春海様……。い、いよいよです。こ、この日本の改暦の儀が、いよいよ決します」
泰福《やすとみ》が言った。可哀想なほど不安と緊張で震えている。声に怯《おび》えがあらわれていた
帝《みかど》から事業を拝命した陰陽師《おんみょうじ》統括たる土御門《つちみかど》家として、最も堂々と構えるべきであったが、
「は、春海様の暦こそ、日本の至宝です。そ、そのことを帝もきっとお分かりのはずです」
泰福はむしろ春海にそうだと言って欲しくてたまらないような調子で口にしている。
春海は一瞬、打てる手は全て打っていること、また今後、起こるであろうことを全て、この若者に告げようかと思ったが、
「必至」
にこりと微笑み、ただそれだけを、こともなげに告げた。
二十九歳の泰福にはそれで充分だった。またそれ以上のことを伝えても余計に惑乱するだけだろう。果たして泰福はなんとか怯えを和らげ、顔を引き締めて真っ直ぐ前を向いた。
並んで座る春海と泰福を、同じく帝の勅を待つ公家《くげ》たちがちらちらと見ている。
特に賀茂《かも》家に連なる者たちの怒りと嘲《あざけ》りの顔。冷ややかな蔑視《べっし》。満悦の様子で坐《ざ》す者。
春海は、それらの面々を等しく盤上の碁石に見立て、この後の展開を正しく予期した。
そうしてさらに打つべき手を見定めながら、先ほどの幸福がどこから来るのかを考えていた。
改暦の儀。
貞享《じょうきょう》元年三月三日の今日。ついに帝は、かねてから誤謬《ごびゅう》明らかな現行の暦法を廃し、新たな暦法をもって新時代の暦となすことを発布された。
そのための新暦として候補とされたのは、三つの暦である。
大統暦《だいとうれき》。
授時暦《じゅじれき》。
大和暦《やまとれき》。
帝の勅令は果たしてどれを採用とするのか。今や誇張なく日本中がその裁定に注目していた。
江戸では将軍|綱吉《つなよし》が、大老の堀田正俊《ほったまさとし》とともに改暦の勅の報を待っている。
公家層は躍起になって改暦の儀に介入した。諸藩の武家には春海を強力に支援する者がいた。世の算術家、神道家、仏教勢力、儒者、陰陽師たちが揃って〝三暦勝負を見守っている。
そして何より民衆が、この勝負に熱狂した。彼らが寄せる関心は、幕閣の予想を超える盛り上がりを見せた。頒暦(カレンダー)の販売数は如実に上昇し、暦法を題材にした美人画まで販売され、戯作《げさく》者たちが暦を題材に新作の準備をしているという。
春海は、今なら平明な眼差《まなざ》しで彼らの願いを見通すことが出来る気がした。
暦は約束だった。泰平の世における無言の誓いと言ってよかった。
〝明日も生きている
〝明日もこの世はある
天地において為政者が、人と人とが、暗黙のうちに交わすそうした約束が暦なのだ。
この国の人々が暦好きなのは、暦が好きでいられる自分に何より安心するからかもしれない。戦国の世はどんな約束も踏みにじる。そんな世の中は、もう沢山だ。そういう思いが暦というものに爆発的な関心を向けさせたのだろうか。春海はそんな風に思った。
やがてそのときが来た。居並ぶ面々に伝奏《でんそう》が到来することが告げられ、泰福が生唾《なまつば》を呑《の》んだ。ざわめきが起こり、それが徐々に鎮まってゆく中、ふいに春海は遠くから響く音を聞いた。
|からん《ヽヽヽ》、|ころん《ヽヽヽ》。
軽妙に鳴り響く、幻の音だ。
ああ、そうか。あのとき勝負が始まったのだ。この幸福の思いはあそこから来ているのだ。
いつかその音を聞いたときから今に至るまでの年月を、春海は、そっと胸中で数えてみた。
二十二年間。
裁定のときを前にして緊迫する面々をよそに、思わず笑みが浮かんだ。
二十二年もの間、ひたすらだ。
ひたすら、これをやっていた。その間ずっと、響き続けてくれていた音だ。
ほどなくして座に帝の決定が告げられる一方、春海は目を閉じて、人生の始まりを告げるその幻の音に耳を澄ませた。
|からん《ヽヽヽ》、|ころん《ヽヽヽ》。
[#改ページ]
第一章 一瞥《いちべつ》即解
一
その日、春海は登城の途中、寄り道した。
寄り道のために、けっこう頑張った。
まだ暗い卯《う》の刻の前に床を離れ、寒さに首をちぢこまらせながら、慣れぬ二刀を苦労しいしい腰に帯びた。刀の重さでふらつきながら、提灯《ちょうちん》を持って邸《やしき》を出た。
江戸城の多数の御門は、明け六つどきの鐘とともに開く。鐘は、日の高さを基準に鳴らす。
当然、冬の鐘の間隔は、夏に比べてひどく短い。同じ六つから五つ、卯から辰《たつ》の刻の間でも、冬と夏では一五倍もの時間の差が生じるのである。
江戸は、門限によって厳しく統制される都市だ。かの春日局《かすがのつぼね》ですら、門限を過ぎての通行は認められなかった。時間厳守は常識であり、遅刻は許されない。そもそも城に出仕する者の第一の勤めは、敵の襲来に備える、というのが建前である。いかに泰平の世を謳歌《おうか》しようと、いまだ戦時の慣習が色濃い城で、刻限に間に合わぬことほど不覚悟なことはなかった。
だから、急いだ。
刀の重みに振り回されながら、開門とほとんど同時に、馬場先《ばばさき》、鍛冶橋《かじばし》の門と、続けて過ぎた。城とは真反対の方へ、大名小路を足早に横切って行った。
畳屋の間を通って京橋を渡り、銀座の前で、やっと早朝の駕籠《かご》にありついた。
駕籠|舁《か》きたちも欠伸《あくび》まじりに仕事の支度に取りかかったばかりである。
帯刀した若者が、息せき切ってやって来る様子に、すわ一大事かと緊張の面持ちになった。
「どちらへお出でで?」
「渋谷《しぶや》」
息を整え、急いで春海は言った。提灯の火を消し、さっそく駕籠に乗り込もうとした。
がつん、と刀が駕籠の両脇につっかえ、跳ね返された。
「ああ、もう」
焦りながら、もたもた腰から二刀を外す。
駕籠舁きたちが不審顔になった。よく見れば春海は束髪をしていない。ということは武士ではない。だが刀を携えている。しかも、どこかの大名邸から出て来たに違いない、やけに品の良い身なりである。咄嗟《とっさ》に何者か分からない〝身分不詳の人物だった。
「渋谷のどちらへ?」
駕籠舁きの一人が、この妙な客を警戒して訊《き》いた。彼《か》の辺りは暗くなると追《お》い剥《は》ぎが出る。そんな場所に早朝から何があるのか。
「宮益坂《みやますざか》にあるという、金王八幡《こんのうはちまん》の神社《やしろ》に行きたいんだ」
春海は、両手に抱えた二刀を、横にしたり斜めにしたり、どうしたら刀と自分が同時に駕籠に乗れるのか、懸命になって試しながら、
「急いで頼むよ。五つ半には戻りたいんだ」
それで、いっぺんに駕籠舁きたちから緊張が失《う》せた。なあんだ、と肩をすくめている。
春海の声からは京|訛《なま》りが聞いて取れた。つまり京から江戸に下った|なにがし《ヽヽヽヽ》の青年が、江戸が珍しくて、こんな時間から名所見物に出かけようというのだ。先述したように城の出仕者は門限に縛られているので、遠出をしたければ、このような早朝から動かねばならない。そう、駕籠舁きたちは解釈した。それ以外に解釈のしようもなかった。
基本的に大名は家臣たちに江戸の物見遊山を禁じている。が、近頃は、留守居役たちからして政談と称し、料亭に集まり、名所に繰り出すのだから、なあなあのなしくずしになっていた。駕籠を運ぶ方もそれが分かっているので観光案内めいたことをやって銭をもらったりもする。
「宮益の八幡なんざ、こんな季節に行ったって面白くもなんともありゃしませんよ。桜なんか葉も枯れちまってまさあ」
駕籠舁きの一人が、親切半分、自分たちこそ江戸詳知の案内役、という自負半分で助言し、もう一方も、うんうんうなずいて、
「もっと近場に、御利益のある名所《ところ》は幾らでもありますがね」
「桜じゃないよ。絵馬に用があるんだ」
言いつつ、やっと刀と一緒に駕籠に潜り込めた春海が、ほっとなって微笑み、
「絵馬?」
駕籠舁きたちが、意表を突かれて二人同時に聞き返した。
「うん。それに御利益はもう十分だ。白粉《おしろい》も塩もやったし、番茶もやった。急いでくれ。時間がないんだ」
「絵馬、ねえ」
不思議そうに繰り返しつつ駕籠を担いだ。
春海が告げた白粉とは、近くの京橋八丁堀のお化粧地蔵のことだ。お地蔵さまに白粉を塗れば病気平癒の霊験があった。逆に塩は、江戸北辺の寺に頭から塩まみれのお地蔵さまがある。その塩を足に塗るとウオノメが取れるという。番茶は、向島《むこうじま》の弘福《こうふく》寺にいる〝咳除《せきよ》け爺婆《じじばば》の石像に供えると、風邪を引かなくなる御利益。
どうやら、そこそこ江戸は見て廻《まわ》っているらしい。それで今度は何やらが宮益にあると吹き込まれたのだろうか。観光目的の人間には現地の住民には理解できないような、つまらないものにも喜ぶところがある。何だか知らないが、どうせ見れば馬鹿馬鹿しくなるたぐいのものだろう、駕籠舁きたちはそんな風に納得しながら、この正体不明の若い男を運んで行った。
駕籠舁きが言ったように、金王八幡宮には桜があった。
源|頼朝《よりとも》が植えたという名木〝金王桜である。金王の名の由来である武将、金王丸《こんのうまる》を偲《しの》んでのことだそうで、社には金王丸の木像も安置されている。
だが十月の桜は枝しかない。木像も特定の時期しか拝観できない。
駕籠舁きたちには〝面白くもなんともない場所である。
ただし春海は、まんざらこの神社に縁がないわけではない。実を言えば、その出自は、清和源氏ゆかりの畠山《はたけやま》氏の一族なのである。それにここには他の見所もある。三代将軍に家光が選ばれるよう春日局が参拝祈願し、その成就の折、御利益に感謝して造らせた社殿と門があった。
けれども、ということは将軍家ゆかりの神社であるからして、歌舞音曲や馬鹿騒ぎのたぐいは御法度である。これまた駕籠舁きたちにとっては、まったく面白味に欠けている。
何であれ、春海は、それらの名物《もの》には目も向けない。到着するなり刀を抱いて境内への階段を駆けた。駆けつつ、ふと道の真ん中は、神が通る道であることを思い出し、
「おっと、いけない、いけない」
脇へどいた拍子に、両手に抱えたままの刀を、鳥居にぶっつけた。
かーん、という良い音に、駕籠舁きたちが仰天し、
「なんてえ罰当たりな。神さまに鞘当《さやあ》てを食わせてらあ」
崇《たた》りのとばっちりを恐れて、手を合わせて拝んでいる。
春海も慌てて柱に向かって非礼を素早く三度|詫《わ》び、それからまた急いで駆けた。
境内の真ん中でぴたっと立ち止まり、左右に顔を巡らせる。神社の一角に、奉納所があった。すぐさまそちらへすっ飛んでゆき、
「おお……」
子供のように目を輝かせ、それを見た。
春海の膝元《ひざもと》から頭上まで、所狭しと絵馬が吊り下げられている。
その一群に、完全に目を奪われた。
円図、三角図、菱形《ひしがた》、数多《あまた》の多角形。それら図形の中に、幾つも描かれた内接円に接線。
辺の長さ、円の面積、升の体積。方陣に円陣。複雑な加減乗除、開平方。
難問難題、術式に解答といったものが、奉納した者の名や、祈願の内容とともに、どの絵馬にも、びっしりと書きこまれている。
個人ではなく、塾の名で奉納されているものもある。
問題だけで、術も答えも記されていないものもある。
術にいたる数理を、ことこまかに記したものもある。
春海が住む邸の者から、それらの存在を聞き、ひと目見てみたくてここまで来たが、
「これほどの数とは……」
圧倒されながら、感動の呟《つぶや》きが、溜《た》め息をつくように零《こぼ》れ出た。
そのとき春海の目には、一つ一つの絵馬が個別にあるのではなく、絵馬たちの群れ集いそのものが、それこそ満開の桜のごとき見事さで、日の中に輝いているように見えた。
ほとんど無意識のまま、抱えていた二刀を絵馬たちの下に置いて押しやった。
それから、手を伸ばして額面の一つを見た。その次を。さらに次を。しまいには清流に手を差し入れて、水の清らかさを楽しむように、ただ触れていった。
どの絵馬も、書いた者の心地好く美しい緊張をたたえている。春海が触れた絵馬同士がぶつかって、|からん《ヽヽヽ》、|ころん《ヽヽヽ》、と鳴る音にすら、人びとの神妙な思いが満ちている気がした。
「すごいな、江戸は」
呟きとともに、感動と歓《よろこ》びが、笑い声になって口から溢《あふ》れた。
研鑽《けんさん》を誓い、神の加護によって技芸が向上することを願うために。あるいは己が成長を果たせたことを神に感謝して。人びとが、それぞれの目的で、算術を記し、神に献《ささ》げた絵馬の群れ。
世に言う、〝算額奉納であった。
始まりは定かではない。
当時、算術は、技芸や商売のすべである一方、純粋な趣味や娯楽でもあった。
機会があれば老若男女、身分を問わず学んだのである。そろばんと算術が全国に普及し、算術家と呼ばれる者たちが現れて各地で塾を開き、その門下の者たちがさらに算術を世に広めた。
算術書も多く出版され、中には長年にわたって民衆に親しまれ、版を重ねるものもある。
そしていつしか、神社に奉納される絵馬に、算術に関するものが現れていた。
人びとが願いを絵馬や額に託し、神仏に奉納する習慣は、古くからある。おそらくは、純粋に、問題を解答するに至ったときの歓びや、算術が身についたことに、神や仏の加護を見出《みいだ》し、感謝を込めて奉納したのが始まりであろう。やがてそれが、おおやけの発表の場となったのも、寺社や神宮という、大勢の者が足を踏み入れる公的の場であることを考えれば、必然であったのかもしれない。何しろ研鑽の成果を出版するには資金が足らぬ者でも、絵馬ならば、きわめて安価に〝発表を行うことができたのである。
逆に、自身や塾の名を誇示し、宣伝するため、巨大な額を奉納する者もいた。そういう者たちは、長年の保存に耐えられる造りの額を献げた。金箔《きんぱく》や漆を塗って、見た目も美しくしたり、中には碑石に算術を彫ったものもある。そういうものは、鴨居の上に飾られたり、奉納品として保管されたり、社殿に安置されたりして、一般の絵馬よりもずっと畏《かしこ》まっている。
むしろ絵馬よりも、そうした特別な額こそ、〝算額と呼ぶべきものであろう。
だが今、春海は、密集する絵馬の群れにこそ、鮮烈な感動を感じていた。
どの絵馬も、神社が保存するたぐいのものではない。年の暮れにはまとめて浄《きよ》め焼かれ、灰と化す。にもかかわらず、献げられた絵馬たちだった。
あるいは、だからこそ、その年の成果を奉納し、本願を祈念する。そして翌年には、心機を新たにするための絵馬が献げられる。名のある算術家から一般庶民にいたるまで、そうして奉納する絵馬の群れにこそ、神道風に恰好《かっこう》をつけて言えば、〝息吹があった。
春海は、しばし陶然となって眺めていたが、はっと我に返り、
「こうしてはいられない」
いそいそと筆記具を取り出し、これはと思う絵馬の内容を書きとめていった。
むろん短時間では網羅することはできないし、さすがにその気はない。算術を覚えたての者の絵馬を見ても学ぶべきものはなかった。一見して既知のものと分かる術は省いたし、その応用と分かる問題も、さっと一読するだけで済ませた。
そうするうちに、妙な絵馬が、ちょうど春海の額の上ほどの高さの列に、ずらりと並んで存在していることに気づいた。
やや大きめの絵馬板に、まず問題と、出題者の名や、所属する塾の名が、記されていた。
それから、その隣に、違う筆跡で、術や解答が、別の者の名とともに記されている。
さらに、その答えに対し、
『明察』
の二字が、記されている。
ちょっとぽかんとなって同じ列の絵馬を眺めた。問題と出題者だけで、答えを記すべき空白が残されているものがあって、
「なるほど、遺題か」
ようやく合点がいった。とともに春海の顔に、満面の笑みが広がっている。
遺題とは、算術書を出版する際に、あえて答えを書かず、問題のみが、補稿として付け加えられたもののことを言った。
その書を読んだ人間に、独自に解いてみよと、算術の力量を試させるためのものだ。
難問が多く、何年にもわたっておおやけに解答されないものもあったが、大ていは、別の者が解答を出版するとともに、さらに別の遺題を載せた。
そしてその遺題を解いた別の者が、解答と新たな遣題を出版し……と、次々に継承され、算術好きの読者を楽しませるとともに、術理の検討と発展に貢献すること大であった。
それと同じように、絵馬によって出題された問題に、別の者が答えを書いているのだ。しかも面白いことに、その後さらに出題者が見て、合否を記している。しかも答えが合っていることを『明察』と褒めつつ、どこか解かれたことを悔しがるような雰囲気がある。
中には、書き加えられた解答が誤っており、『惜シクモ』とか、『誤謬ニテ候』など、相手の努力を認めつつも、どこか鼻を高くした様子で、正答を書き加えていたりする。
果たして、これらの出題者と解答者たちは、互いに面識があるのであろうか。
おそらく大半は顔も知らないのではないか。なのに奉納品に他者の筆記を許し、あまつさえ誤りが書かれることすら許していた。これも神仏への感謝から発展した娯楽の態度であろう。
しかも、きわめて真剣な娯楽である。何しろ神への献げものだし、出題した方は神社に金を払って絵馬を奉じている。また、絵馬のような小さな板きれに、幾つも解答を記す余裕があるわけがない。解答する者は、はっきりと正答であることを信じて書かねば、神と出題者、あるいは絵馬という慣習そのものに対しても、無礼を働くことになる。
そうしたことを大前提にしながら、堂々と、算術勝負を行っているのだった。
神前の勝負であることが、かえって算術家たちの意気に火をつけるのか、そうした〝勝負絵馬が、奉納所の右端から左端まで、完全に一つの列を占拠している。神社の宮司も、このような勝負を好ましく思い、わざわざその一列を専用に空けてやっているのかもしれない。
なんとなく剣術の試合を彷彿《ほうふつ》とさせ、ぞくぞくした。
「面白いな、江戸は」
そんな呟きが腹の底から出てきた。勢い、書き写すのは〝勝負絵馬に絞られた。
紙は、懐中に束になって入っている。筆記用ではなく、刀のための懐紙だった。春海にとっては規則の上で、ただ持っている紙であり、何枚費やそうとも、いざというときに困る、といった考えなど、てんで浮かばない。
寒さも忘れ、ただ一心に写した。それが一段落して、はっと息をつきながら、改めて絵馬の一つをしげしげと見た。書き写すことに専念したため、大半の内容にきちんと理解がついておらず、中でも特に気になるものが、それだった。
『今勾股弦釣九寸股壱弐寸在 内ニ如図等円双ツ入ル 円径ヲ問』
という問題と図、そして、『磯村吉徳門下 村瀬義益 寛文元年十月吉日』と、名と奉納日が、達者な字で記されている。
答えはまだない。
問題よりまず、名に驚いた。出題者の名までは写していなかった。
「あの磯村吉徳《いそむらよしのり》か……!」
江戸に私塾を開いている名高い算術家の一人である。
人づてに聞いた話では、肥前《ひぜん》の鍋島《なべしま》家に算術をもって仕え、今は、同じく算術の技能を求められ、二本松《にほんまつ》藩に招かれているという。
算術書も出版しており、二年前に出た『算法|闕疑抄《けつぎしょう》』は、春海も愛読している。というか、猛烈に熱中した。崇《あが》め奉らんほどに貪《むさぼ》り読み、今のように夢中で書き写して学んだ。
もともとは弟子が磯村に断りなく算術書を出版し、しかも誤謬が多かったため、弟子の不始末を正すために書を出すことを決めたという。算術を学ぶ者からすればありがたい限りだった。しかも珠算術、すなわちそろばんを使った算術書の中ではきわめて優れ、また古今の算術を総合し、比較検討しながら、磯村流算術を世に知らしめた書であった。
それほどの成果を上げた磯村の、弟子である村瀬という者に、なんともいえぬ羨《うらや》ましさを感じながら、微動だにせず、繰り返し問題を読んだ。
『今、釣《つり》(高さ)が九寸、股《こ》(底辺)が十二寸の、勾股弦《こうこげん》(直角三角形)がある。その内部に、図のごとく、直径が等しい円を二つ入れる。円の直径を問う』
直角三角形は、最も短い辺を〝勾、その次に長い辺を〝股、最も長い斜辺を〝弦と呼び、算術では、ひんぱんに取り上げられる図形の一つである。
[#挿絵(img/021.jpg)]
取り上げられる理由は、〝勾股弦の法が、様々な問題の答えを導く術となるからで、
『勾の二乗に、股の二乗を足すと、弦の二乗に等しい』
という法、すなわち〝三平方の定理を知っている春海には、何やら今にも問題が解けそうな気がした。
気がしつつも、いまいちその後の術式が明瞭《めいりょう》にならない。紙と筆記具をしまうと、そろばんを取り出した。だいたいの見当をつけて、ぱちぱち珠《たま》を弾《はじ》いてみた。
まず勾股弦の法により、勾が九寸、股が十二寸なら、弦は十五寸である。
そこから、頭の中で、相似比を求めるための線を、図に書き加えたりして、計算した。
答えは、ちょうど十寸になった。
思わず脳裏に、
『誤謬』
の二字が、ひらひら蝶《ちょう》のように舞い、やたらと恥ずかしくなった。
三角形の二つの内接円の直径が、三角形の高さより長いわけがない。というよりそんな円は三角形からはみ出る。
気を取り直して、何度か術を工夫してそろばんを弾いてみた。上手《うま》くいかない。しかし、もう少しで解けそうな気がする。ううむ、と唸《うな》った。術式が完成しそうになるときが一番の苦しみであり楽しみである。あと一歩、あと一目、などと呟きながら、だんだん夢中になってきた。
やがて、ううん、と唸り首を傾げ、そろばんをしまった。
今度は、小さな包みを取り出し、敷石の上に広げ始めた。
包みからは、黒と赤に塗りわけられた、小さな棒の束が現れている。包みの布地には、桁数《けたすう》と升目が記されてあった。
そろばんとはまったく別個の、算術のための道具、算盤である。
算木と呼ばれる棒の組み合わせで、一から九の数字を示し、各桁に並べてゆく。
そうすることで、じっくりと複雑な計算を行うことができた。また、黒木は正の数、赤木は負の数を示し、加減乗除も開平法も平方根も、自在に求めてゆける。
その算盤を、石畳の上に広げた。
日頃の行儀の良さから、冷え切った石の上できちんと正座をし、黙々と算木を並べた。
並べながら、すぐに解けそうだと思った問題の奥の深さに、どっぷり浸《つ》かってしまった。
「けっこうな問題を出すじゃないか」
そろそろ城に戻らねばならないという思いがどんどん遠のいてゆく。
視界の隅を、ちらちら何かが横切るような気がしたが、頭は算術でいっぱいになって気にもしなかった。ひたすら解答を求め、さすが高名な磯村の弟子だと感心し、また対抗心を燃やし、我を忘れて術を工夫するというより、こねくりまわして計算するうちに、
「申し訳ありません」
頭上から、澄んだ声が降ってきて、思考が中断された。
かき消えそうになった術の流れを、咄嗟に、頭の中で書き記すように暗記した。それができるのが春海の技芸であり、幼い頃からの特技だった。
顔を上げると、箒《ほうき》を持った綺麗《きれい》な娘がいて、ちょっと見とれた。
十六、七くらいの歳で、可愛い眉根《まゆね》に、不機嫌そうに皺《しわ》を寄せている。
「私に何か?」
正座したままの春海が、真面目に訊いた。
「悍《はばか》りながら、立ち退き下さいますようお願いいたします」
娘が、勢いよく言い放った。
「そこを掃き清めねばなりませんので」
ざっ、と音を立てて箒で春海のすぐ前の石畳を掃き払ってみせる。
言うことを聞かねは、並べた算盤ごと、枯れ葉の山まで運ばれそうだった。
見れば、自分の周囲は残らず、しっかり掃除されている。あとは自分が座る場所だけだった。どうも、先ほど視界の隅をちらちら横切っていたのは、この娘の箒だったらしい。
箒の音も耳に入らぬほど、術に没頭していた自分に、春海は感心した。
「これはすまなかった」
丁寧に詫び、算木が崩れぬよう、算盤の布地を引っ張って、ずるずる後ずさった。
呆気《あっけ》にとられる娘をよそに、二歩分ほど後退して、正座し直し、
「これで良いかな」
それまで自分がいた場所を指さし言った。
「良くありませんッ」
娘が、箒を振り上げんばかりにわめいた。ちょうど朝の仕事を終え、休憩がてら参拝に来た近隣の老百姓たちが、地べたにひざまずいて叱られる春海に目を丸くしている。
「神前ですよッ。こんなところに座らないで下さい」
「しかし――」
神前だからこそ、身も心も引き締まる思いで算術に没頭できるのだ、と主張したかったが、娘に鋭く遮られた。
「お武家様が朝から油を売って。今日はもうじき御登城ではないのですか」
どうやら近隣の大名邸の者だと思われているらしい。その割にずいぶんと遠慮のない娘の態度である。それだけ春海が、武士の威風からはほど遠い証拠でもあった。
「私は武士では――」
と誤解を解こうとして、
「御登城!?」
叫んだところへ、にわかに鐘の音が聞こえてきた。
芝切《しばきり》か西久保か目黒の鐘か。何でもいいが、ぞっとなった。もう鐘が鳴るなんて。慌てて算木と算盤を片づけにかかり、娘が、そら見ろという顔で、
「お膝に、枯れ葉がついていますよ」
なんなら箒で掃いてくれようかという態度で言う。
「ああ、これは失礼」
実際にそうされたところで、真面目に感謝しそうな春海である。
ささっと手で膝を払い、そのまま走り出しかけたが、踏みとどまり、
「大変良い勉強になりました」
律儀に、娘と絵馬の両方に頭を下げてから、
「御免」
返事も待たずに駆け足で門へ向かった。
ちょっとびっくりしていた娘が、
「地べたでお勉強なんて、よそでして下さい」
また怒ったように言うのも右から左へ通り抜け、春海は走った。
門を出るなり焦燥に襲われた。待たせているはずの駕籠がない。
「――どこだ? どこに行った?」
と思ったら、道から外れたところで煙管《きせる》をふかす駕籠舁きたちがいた。道にいないのは、じき大名行列が現れる時刻なので、あらかじめ脇へどいているのである。その様子がさらに春海を焦らせた。ばたばた駕籠に乗り込み、
「さあ行ってくれ。大急ぎで帰ってくれ」
「絵馬はお楽しみになれましたか」
駕籠舁きの一人がのんびり訊いた。
「良かった良かった。実に良かった。さ、急いでくれ」
駕籠舁きたちは、何が面白かったんだろうと、さほど興味もなさそうに肩をすくめ合って駕籠を担いだ。
えっさえっさ、と駕籠舁きたちが急坂地を軽快に進み、宮益を離れてちょっとした辺りで、
「――ああっ!?」
駕籠から、春海の絶叫が湧いた。
「と、止まってくれ! 頼む! 戻ってくれ! 大事なものを忘れた!」
駕籠舁きたちも、ああ、そう言えばと、神社から戻ってきた春海に欠けていたものに思い当たった。普通は無ければすぐに気づくのだが、春海に限っては、むしろ無い方が自然に見えた。駕籠舁きたちが、やれやれと方向転換し、宮益坂へ戻った。
「着きましたぜ」
駕籠を地面に下ろす前《さき》から、春海が転がるように飛び出した。一目散に神社に駆け戻る途中、またもや咄嗟に道の真ん中からどいた。そしてその拍子に、鳥居の柱に横っ面をぶっつけた。
「あ、痛っ、痛ったあ」
くらくらしながら、それでも駆けた。
「神さまに面当てしてらあ」
今度も、駕籠舁きたちは手を合わせて拝んでいる。
奉納所へ辿《たど》り着くと、先ほどの娘が、本格的に怒った様子で睨《にら》んできた。
「お忘れ物ですッ」
きっとなって絵馬の下を指さす。その娘の仕草に、春海は心底、安堵《あんど》した。
「ああ、あった、あった。ああ、良かった」
そこに置きっぱなしになっていた二刀を、慌てて拾った。
江戸は繁栄と同時に貧困の町である。刀など落ちていようものなら、金が落ちているのに等しい。一両日のうちに売り飛ばされ、柄《つか》も鞘もバラバラにされ、装いを変えて誰のものともしれぬ刀となって、公然と売りに出される。いったんそうなれば発見することは不可能だった。不覚悟も良いところで、下手をすれば失職ものである。
また、それだけでなく、
「絵馬の下に置くなんてッ、みんなのお願いを断つ気ですか!」
まかりなりにも奉納品の群れの、その真下に刃《やいば》を置けば、そう解釈されても仕方がない。
「いや、すまない。まこと申し訳ない。ついつい、この絵馬たちが面白くて……」
と、平身低頭で詫びつつ、絵馬の方へ目を向けた春海が、
「――えっ!?」
仰天して叫びを発し、そのあまりの勢いに、娘がのけぞった。
「な……なんです、大きな声など出してッ」
威嚇されたと思ったか、娘が、食ってかかるように言う。
春海は、目をまん丸にして絵馬を見つめ、
「……答えだ」
と、言った。
春海が、さんざん粘って解こうと努力した問題だった。その絵馬に、
『答 七分ノ三十寸 関』
なかったはずの答えが、さらりと書き足されてあった。
何者かが、春海と入れ違いにここを訪れたのである。
そして驚くほど短時間で、この難題に答えを書きつけ、去っていった。春海の背に震えが走った。にわかには信じられなかった。驚愕《きょうがく》の面持ちのまま娘を振り返った。
「こ、この答えを書いた者を見たか?」
「はあ」
「この〝関《せき》というのが、その者の名か?」
「はあ……」
曖昧《あいまい》な声で返された。娘の表情には明白な警戒心があらわれている。だが春海は気づかず、さらに訊いた。
「何者なんだ?」
「若いお武家様です」
娘はそれだけ言った。献げられた絵馬を管理する神社の側としては、それ以上のことをいちいち教えられないという態度である。逆に訝《いぶか》るように訊き返してきた。
「なぜお知りになりたいのですか?」
「どうやって解いた? 術は? やはり勾股の相乗から始めるのか?」
「そんなの……」
知るわけない、というように娘が困り顔になった。春海も、咄嗟に質問を変え、
「この場で解いたのか? それとも、あらかじめ答えを知っていた風だった?」
口にしながら、おそらくその武士は、まさに今自分が立つこの場所で、初めて絵馬の問題を目にし、そして解いたのだろうと直感していた。そういう答えの書き方だった。あらかじめ問題を解いた上で、ここを訪れたのだとすれば、もっと、苦労して解いたなりの記し方がある。
『答え曰く』とか、『これにて合問』といった言葉をさり気なく付け足したくなる。
それなのに、『答えは七分の三十寸』と、解答のみを伝えていた。苦労や力量の誇示といったものが、まったく見当たらない。
自身の名すら、〝関と、姓だけ添え物のように書いている。ただ算術数理の術こそ求められるべきものであり、個人の名など二の次と言わんばかりの態度だった。
だが、娘の答えは、春海の想像を遥《はる》かに超えた。
「先ほどいらして、どれも一瞥《いちべつ》して答えを書いてらしたのを見ておりました」
「どれも……?」
反射的に、また絵馬の方を見た。
「おっ――」
息を呑《の》んだ。声が出なかった。|どれも《ヽヽヽ》。|そんなまさか《ヽヽヽヽヽヽ》。|どれも《ヽヽヽ》。|一つ残らず《ヽヽヽヽヽ》。
その数、七つ。
春海が咄嗟には解けなかった問題を始め、他の、答えのなかった絵馬にも、同じ筆跡、同じようなわけもなさで、答えが、〝関の名が、さらさらと記されていた。
|からん《ヽヽヽ》、|ころん《ヽヽヽ》。
風に揺られて絵馬同士のぶつかる澄んだ音がした。
その音を、完全に心を奪われたまま聞いた。驚きを通り越して、周囲の時が止まり、自分の息づかいと絵馬の音だけが世界に響いているような思いだった。
あるいは止まったのは、春海の内部を流れる時の一部であったろうか。この瞬間に味わった途方もない驚異こそ、のちの春海の人生において、何よりも克明に記憶されることになるものだった。もし、人生の原動力といったものが、その人の中で生じる瞬間があるとすれば、春海にとって、まさに今このときこそ、それであった。
「一瞥即解――」
呟いた途端、背ばかりか総身に震えが走った。爪先《つまさき》から頭のてっぺんまで痺れた。
「そ……その方は、どちらへ向かわれた?」
神妙になって訊いた。呼び方が、〝その者から、〝その方に変わっていることにも、自分で気づいていない。
だが娘は今度こそ本当に警戒した顔で、
「存じません」
突っぱねるように告げた。
「そうだ、まだ近くにいるかもしれない」
ほとんど独り言のように春海が言った。先ほどよりも姿勢を正し、
「いろいろ訊いてすまなかった。ありがとう」
律儀に頭を下げ、くるりと娘に背を向けた。
「あっ……ちょっと、あの人を追いかける気ですか!? あなたが書いた絵馬でもないのに、何をそんな、むきになって――」
このときも娘の声は右から左へ通り過ぎた。お陰でこの後、〝関について、ずいぶんな遠回りをすることになるのだが、春海はただひたすら、くそ重たい刀を抱いて走った。
二
駕籠に乗って戻る途中、目を皿のように見開いて、〝一瞥即解の武士の影を追ったが、渋谷の田園風景のどこにも、それらしい人物はついに見つからなかった。
がっかりしながら、例の問題と、関という武士が出した解答に気を取られ、城までの道のりでただの一度も大名の行列に出くわさなかった幸運に気づかなかった。
駕籠舁きたちもそういう道を選んでいるわけだが、もし行列にぶつかっていたら、その場で駕籠を降りて行列が過ぎるのを待たねばならず、しかもすぐに次の行列が来て、時間だけがただ過ぎてゆく、ということになりかねなかった。
だがその幸運も、鍛冶橋を過ぎて終わった。馬場先門の付近は早くも人でごった返し、とても下馬所《げばしょ》である内桜田《うちさくらだ》門まで進めない。そのため和田倉《わだくら》門へ回ったが、そこも同じ状況で、仕方なく春海が指示して大手門の方へ向かったが、とんでもない人だかりに、
「旦那《だんな》、ここで降りていただけますか。こっから先は、歩きの方が早い」
なんと御門に辿り着けないまま、駕籠が止まってしまった。
「こんなに混むなんて……」
仕方なく駕籠から降りた春海は、なんとか刀を差しながら呆然《ぼうぜん》としている。
「そりゃあ、御登城日ですから」
駕籠舁きたちは、そんなことも知らないのかと、不審を通り越して不思議がった。
大名たちが登城する定例日は、多数の行列が一斉に城へ向かうため、どの道も渋滞になる。そのために大名の中には同心組合に手当を出して行列の先導を頼む者もいる。
また、城内に入れるのは大名と限られた家臣たちだけなので、残りは下馬所にとどまり、主人たちが帰ってくるまでじっと待っていなければならない。そのせいで下馬所に残される者たちだけで、大変な混雑になる。さらにその上、
「今日は天気が良《い》いんで、ずいぶん見物人が多いようですねえ」
と、駕籠舁きが言うように、下馬所に残された槍持ちに箱持ち、若党に中間《ちゅうげん》たちが、ずらりと並ぶ〝雄壮な光景は、昨今ではすっかり観光名物となっていた。
わざわざ登城日の下馬所を見るためだけに来る者たちがおり、さらにはそうした観光客目当ての物売りが集まるのであるから、それはもう、とてつもない大喧噪《だいけんそう》の有り様である。
春海は、十二歳のとき、初めて御城に登った。当時、将軍となったばかりの、同年代である四代将軍家綱の眼前で公務を勤めて以来、今年で十年目になる。
それでいながら、この大混雑をろくに知らなかった。
ここから人の群れの中を、重たい刀を抱えてだいぶ行かねばならず、
「まあ、仕方ない」
自分に言い聞かせながら、あらかじめ用意していた銭を、駕籠舁きに渡した。
銭通しの紐《ひも》に通したまんまの束を二つ。ひと束、九十六文だが、紐を通すと百文として扱われる。束が二つで二百文。しかし現実は、百と九十二文である。
ぴかぴかの、手垢《てあか》もついていない寛永通宝《かんえいつうほう》だった。最近ではほとんどその純国産の貨幣が、国外からの輸入貨幣に取って代わっている。だが銭はぴかぴかでも、けちも良いところである。日本橋から新たにできた新吉原《しんよしわら》までの駕籠代だって二百文はする。それをあんな宮益の急な坂を行ったり来たりさせて、これっぽっちはないだろうと、駕籠舁きたちが不平を口にする前に、
「上り坂は一割増し、下り坂は一割二分増し。遠回りした分と急がせた分は一割五分増し。銀一匁と五分で、ちょうど百文。銀三分で二十文」
ひょいひょいと、駕籠舁き二人に、今度は銀で払った。あっという間に支払額が倍以上になる。しかも銀は、いまだに額面よりも重さで銭と両替することが多い。春海が支払った銀は見たところきわめて良質で、けっこうな両替額になりそうだった。
「こりゃあ、いいんですかい?」
駕籠舁きがびっくりした顔になっている。
「計算が間違っていたか?」
春海が訊き返した。その反応自体が間違っているとは駕籠舁きたちも言えなかった。
「銀にしたのがいけなかったか? 銀六十匁が銭四千文だから――」
そろばんを取り出そうとする春海を、駕籠舁きたちが慌てて制止した。
「いや、何も間違ってやしませんよ、旦那。ええ、お見事なそろばん上手で」
「あんまりぴったりなんで、ぶったまげました訳で。こりゃまったくのご名答」
「うん、さようであるなら」
「御門まで駕籠を運べねえのが残念で」
「いや、朝早くから遠くまでありがとう」
「また使って下せえ旦那」
「うん」