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森見登美彦 - 四叠半神话大系

森見登美彦(日)
森見登美彦
四畳半神話大系
目 次
 第一話 四畳半恋ノ邪魔者
 第二話 四畳半自虐的代理代理戦争
 第三話 四畳半の甘い生活
 最終話 八十日間四畳半一周
[#改ページ]
  第一話 四畳半恋ノ邪魔者
 大学三回生の春までの二年間、実益のあることなど何一つしていないことを断言しておこう。異性との健全な交際、学問への精進、肉体の鍛錬など、社会的有為の人材となるための布石の数々をことごとくはずし、異性からの孤立、学問の放棄、肉体の衰弱化などの打たんでも良い布石を狙い澄まして打ちまくってきたのは、なにゆえであるか。
 責任者に問いただす必要がある。責任者はどこか。
 私とて誕生以来こんな有様だったわけではない。
 生後間もない頃の私は純粋|無垢《むく》の権化であり、光源氏《ひかるげんじ》の赤子時代もかくやと思われる愛らしさ、邪念のかけらもないその笑顔は郷里の山野を愛の光で満たしたと言われる。それが今はどうであろう。鏡を眺めるたびに怒りに駆られる。なにゆえおまえはそんなことになってしまったのだ。これが現時点におけるおまえの総決算だというのか。
 まだ若いのだからと言う人もあろう。人間はいくらでも変わることができると。
 そんな馬鹿なことがあるものか。
 三つ子の魂百までと言うのに、当年とって二十と一つ、やがてこの世に生をうけて四半世紀になんなんとする立派な青年が、いまさら己の人格を変貌《へんぼう》させようとむくつけき努力を重ねたところで何となろう。すでにこちこちになって虚空に屹立《きつりつ》している人格を無理にねじ曲げようとすれば、ぽっきり折れるのが関の山だ。
 今ここにある己を引きずって、生涯をまっとうせねばならぬ。その事実に目をつぶってはならぬ。
 私は断固として目をつぶらぬ所存である。
 でも、いささか、見るに堪えない。
       ○
 人の恋路を邪魔するものは馬に蹴《け》られて死んでしまう運命にあるというので、私は大学の寥々《りようりよう》たる北の果てにある馬術部の馬場には近づかないことにしていた。私が馬場に近づけば、猛《たけ》り狂った荒馬たちが柵《さく》を越えて襲いかかって来て、よってたかって私を踏みつぶし、すき焼きの具にもならない汚い肉片に変えてしまったことであろう。同様の理由によって、私は京都府警平安騎馬隊をひどく恐れた。
 なぜ私が馬を恐れたかと言えば、私は知らない人も知っているほどに悪名高い、恋ノ邪魔者であったからである。私は死神のいでたちをした黒いキューピッドであり、恋の矢のかわりにマサカリを振るって、赤外線センサーのように張り巡らされた運命の赤い糸を、切って切って切りまくった。その所業のために、若き男女が大盥《おおたらい》六つ分の苦い涙を流したという。
 まことに非道の極みである。それは分かっている。
 そんな私も、大学に入る直前には、ひょっとするとあるかもしれない異性との薔薇色《ばらいろ》の交際にむけて軽い武者震いをしたこともあった。入学後数ヶ月を経ずして、そのような決意を強いてかためる必要はなかったことが判明したものの、「俺は決して野獣のようにはなるまい、清く正しく紳士的に、麗しの乙女たちと付き合って行こう」と心に決めたことさえあったのである。いずれにせよ、理性を放擲《ほうてき》して闇雲に結びつかんとする男女を大目に見てやるぐらいの器量はあったはずだ。
 それがいつしか、心の余裕を失い、ほころびた赤い糸の切れる音を耳にするたびに言いしれぬ愉悦を感じる極悪人へと転落した。切れ切れの赤い糸が恨みの涙に浮かぶ失恋横町。その絶望的な隘路《あいろ》に私が踏みこんだのは、私の宿敵であり盟友である唾棄《だき》すべき一人の男の手引きによるものである。
       ○
 小津《おづ》は私と同学年である。工学部で電気電子工学科に所属するにもかかわらず、電気も電子も工学も嫌いである。一回生が終わった時点での取得単位および成績は恐るべき低空飛行であり、果たして大学に在籍している意味があるのかと危ぶまれた。しかし本人はどこ吹く風であった。
 野菜嫌いで即席ものばかり食べているから、なんだか月の裏側から来た人のような顔色をしていて甚《はなは》だ不気味だ。夜道で出会えば、十人中八人が妖怪《ようかい》と間違う。残りの二人は妖怪である。弱者に鞭《むち》打ち、強者にへつらい、わがままであり、傲慢《ごうまん》であり、怠惰であり、天《あま》の邪鬼《じやく》であり、勉強をせず、誇りのかけらもなく、他人の不幸をおかずにして飯が三杯|喰《く》える。およそ誉《ほ》めるべきところが一つもない。もし彼と出会わなければ、きっと私の魂はもっと清らかであっただろう。
 それを思うにつけ、一回生の春、映画サークル「みそぎ」へ足を踏み入れたことがそもそも間違いであったと言わざるを得ない。
       ○
 当時、私はぴかぴかの一回生であった。すっかり花の散りきった桜の葉が青々として、すがすがしかったことを思いだす。
 新入生が大学構内を歩いていればとかくビラを押しつけられるもので、私は個人の情報処理能力を遥《はる》かに凌駕《りようが》するビラを抱えて途方に暮れていた。その内容は様々であったが、私が興味を惹《ひ》かれたのは次の四つであった。映画サークル「みそぎ」、「弟子求ム」という奇想天外なビラ、ソフトボールサークル「ほんわか」、そして秘密機関〈福猫飯店〉である。おのおの胡散臭《うさんくさ》さには濃淡があるものの、どれもが未知の大学生活への扉であり、私はなけなしの好奇心でいっぱいになった。どれを選んでもとりあえず面白い未来が開かれると考えていたのは、もはや手の施しようのない阿呆《あほ》としか言いようがない。
 講義が終わってから、私は大学の時計台へ足を向けた。色々なサークルが新歓説明会の待ち合わせ場所にしているからである。
 時計台の周辺は湧き上がる希望に頬を染めた新入生たちと、それを餌食《えじき》にしようと手ぐすねひいているサークルの勧誘員たちで賑《にぎ》わっていた。幻の至宝と言われる「薔薇色のキャンパスライフ」への入り口が、今ここに無数に開かれているように思われ、私は半ば朦朧《もうろう》としながら歩いていた。
 そこで私が見つけたのが、映画サークル「みそぎ」の看板を持って待っている学生数人であった。新入生歓迎の上映会が行われるので、そこまで案内するという。今にして思えば、後をついていくべきではなかった。そして「みんなで楽しく映画作ってるよ」という甘言に私らしくもなく惑わされ、友だち百人作るべく、その日のうちに入会を決めてしまったのは、来るべき薔薇色の未来への期待に我を忘れていたとしか言いようがない。そこから私は獣道へ迷いこみ、友だちどころか敵ばかり作った。
 映画サークル「みそぎ」に入ってはみたものの、腹立たしいほど和気藹々《わきあいあい》とした雰囲気になかなか馴染《なじ》むことができない。「これは乗り越えるべき試練なのだ、この異様な明るさの中へ堂々と立ち交じってこそ、薔薇色のキャンパスライフが黒髪の乙女がそして全世界が俺に約束される」と自分に言い聞かせながらも、私は挫《くじ》けかけていた。
 そうして片隅の暗がりに追いやられた私の傍らに、ひどく縁起の悪そうな顔をした不気味な男が立っていた。繊細な私だけが見ることができる地獄からの使者かと思った。
 それが小津と私の出会いである。
       ○
 小津と私の出会いから、時はひと息に二年後へ飛ぶ。
 三回生になった五月の終わりである。
 私は愛すべき四畳半に座りこんで、憎むべき小津と睨《にら》み合っていた。
 私が起居しているのは、下鴨泉川町《しもがもいずみがわちよう》にある下鴨幽水荘という下宿である。聞いたところによると幕末の混乱期に焼失して再建以後そのままであるという。窓から明かりが漏れていなければ、廃墟《はいきよ》同然である。入学したばかりの頃、大学生協の紹介でここを訪れたとき、九龍城《クーロンじよう》に迷いこんだのかと思ったのも無理からぬ話だ。今にも倒壊しそうな木造三階建て、見る人をやきもきさせるおんぼろぶりはもはや重要文化財の境地へ到達していると言っても過言でないが、これが焼失しても気にする人は誰もいないであろうことは想像に難くない。東隣に住んでいる大家ですら、いっそせいせいするに違いない。
 その夜、下宿に小津が遊びに来た。
 二人で陰々滅々と酒を呑《の》んだ。「何か食わせて下さい」と言うので、電熱器で魚肉ハンバーグを焼いてやったら、一口食べただけで、「ちゃんとした肉が食べたい」「葱《ねぎ》塩つき牛タンが食べたい」と贅沢《ぜいたく》なことを言った。あんまり腹が立ったので、じうじうに焼けた熱いやつを口に突っこんでやると、静かに涙を流していたので許してやった。
 その年の五月の頭、我々は二年にわたって内部の人間関係を悪化させることに一意専心していた映画サークル「みそぎ」を自主追放になったばかりであった。立つ鳥跡を濁さずとは言うが、我々は大黄河の濁りもかくやというほどに、渾身《こんしん》の力を振り絞って跡を濁した。
 小津とは相変わらずの付き合いが続いていたが、映画サークル「みそぎ」を追放になった後も、彼はあれこれ忙しく暮らしている。スポーツサークルや怪しい組織の活動にも手を染めているという。だいたいその夜の訪問も、この同じ下鴨幽水荘の二階に住んでいる人物を訪ねたついでだった。彼はその人物を「師匠」と呼び、一回生の頃からこの幽水荘に出入りしていた。そもそも小津との腐れ縁が断ち切りがたくなったのは、同じサークルで同じような隅の暗がりへ追いやられたというのもさることながら、小津が頻繁にこの下鴨幽水荘を訪ねてくるからでもあった。その「師匠」は何者なのかと訊《たず》ねても、小津はにやにやと卑猥《ひわい》な笑みを浮かべるばかりで答えようとしない。おおかた猥談の師匠であろうと私は思っていた。
 映画サークル「みそぎ」と私は、もはや完全な断交状態にあったが、耳ざとい小津は色々と新しい情報を仕入れてきて、不機嫌な私に吹きこんだ。我々は「みそぎ」の変革のため、なけなしの名誉をかなぐり捨てたとも言えるし、もはやかなぐり捨てるほどの名誉は残っていなかったとも言えるのだが、小津によれば、我々の捨て身のプロテストもむなしく、サークルの内実は変わっていないようであった。
 私は酔いも手伝ってむらむらと腹が立ってきた。サークルからも追放され、大学と下宿を往復するだけの禁欲的生活を送っていた私は、かつての暗い情熱が呼び覚まされるような気がした。そして小津はそういう暗い情熱を煽《あお》り立てるのだけはむやみにうまかった。
「ね、やりましょう」
 小津が奇怪な生物のように身体をくねらせて言った。
「うむ」
「約束ですぜ。じゃあ、明日の夕方、準備して来ますから」
 そう言って小津は嬉《うれ》しそうに帰って行った。
 どうもうまくのせられた感じがした。
 私は眠りにつこうとしたが、二階で中国からの留学生たちが集まって賑やかにやっていて、なかなか寝つけなかった。小腹も空いたので、「猫ラーメン」でも食べるかと思い、私は万年床から起きあがった。そうして夜の街へさまよい出た。
       ○
 私が下鴨幽水荘二階に住む神と邂逅《かいこう》したのは、その夜である。
 猫ラーメンは、猫から出汁《だし》を取っているという噂の屋台ラーメンであり、真偽はともかくとして、その味は無類である。出没場所をここで明らかにするには何かとさしさわりがあろうと思うので、細かくは書かない。しかし下鴨神社の界隈《かいわい》であるとだけ述べておく。
 深夜、そこでラーメンをすすりながら、私がたぐいまれな味に恍惚《こうこつ》と不安の間を絶え間なく揺れ動いていると、お客が来て隣へ腰かけた。見ると妙な風体をしていた。
 紺色の浴衣《ゆかた》を悠然と着て、天狗《てんぐ》が履くような下駄《げた》を履いている。何となく仙人じみている。私は丼から顔を上げて横目で観察し、その怪人を下鴨幽水荘で幾度か見かけたことを思いだした。みしみし言う階段を上っていく後ろ姿、物干し台で日向《ひなた》ぼっこしながら留学生の女の子に髪を切ってもらっている後ろ姿、共用の流しで謎めいた果物を洗っている後ろ姿。髪は台風八号がいま通り抜けたかのようにもしゃもしゃ、茄子《なす》のようにしゃくれた顔に暢気《のんき》そうな眼をしている。年齢不詳で、おっさんかと思いきや、大学生のようでもある。さすがの私も、まさかそれが神だとは思わなかった。
 男は店主とは顔馴染みらしく、あれこれにこやかに言葉を交わし、ひとたび器へ向かうや、ナイアガラ瀑布《ばくふ》が逆流するような迫力で麺《めん》をすすった。そうして私が食い終わるよりも前にスープを飲み干した。まさに神業であった。
 男はラーメンを食べ終わったあと、私をじろじろと眺めた。やがて「貴君」と、ひどく古風な言葉で呼びかけてきた。
「下鴨幽水荘の人だろう」
 私が頷《うなず》くと、男は満足気に笑った。
「私も下鴨幽水荘に住んでいる。よろしく」
「どうも」
 それきり私が相手をしないでおくと、男は遠慮することもなく私の顔を眺めている。そうして「うんうん」と頷いたり、「そうか、君かあ」と納得したりしている。私はほのかに酔いが残っている状態だったけれども、異様な親しみを見せる男を不気味に感じた。ひょっとすると十年前に生き別れた兄かと考えたが、兄とは生き別れていないし、そもそも私に兄はいない。
 ラーメンを片づけて席を立つと、男も私についてきた。当然のように傍らを歩いている。彼は葉巻を出して火を点《つ》け、ふわあと煙を吐いた。私が足を速めると、彼はことさら急いでいる風もないのに悠然と隣へ追いついてくる。まるで仙術のようである。
 ああ、厄介なことになったと思っていると、男が急に喋《しやべ》り始めた。
       ○
「光陰矢のごとしとは言うけれども、こうして次から次へと季節が巡ってくるのは腹立たしい。天地はじめてひらけしときからもうどれぐらい歳月が流れたのか分からないけれど、こんな調子では、どうせ大した歳月ではない。そんな僅《わず》かな時間で人がこれだけ生み増えたのは驚くばかりだ。そうして日々あれこれと工夫をこらして頑張っている。人というものはじつに勤勉である。立派である。だから可愛く思わないといえば嘘になる。しかしいくら可愛くても、こう多くては哀憐《あいれん》の情をかけてやるゆとりもない。
 秋が来れば、また出雲《いずも》へ行かなくてはならない。電車代も馬鹿にならぬ。昔は案件の一つ一つを吟味して侃々諤々《かんかんがくがく》の大論争、一晩かけて決めたこともあったが、この御時世ではそんな悠長なことをやっている暇はない。それぞれが持ち寄った案件をそのまま審査済みの木箱に放りこんでいくのだから味気ない。どうせ我々がいくら知恵を絞って縁を結んだところで、甲斐性《かいしよう》なしの男はみすみす好機を逃すし、うまく好機をものにした女はすぐにほかの男と自分で縁を結び直す。これでは、気骨を折る甲斐もない。琵琶湖《びわこ》の水を柄杓《ひしやく》で汲《く》みだせと言われてるようなものだ。
 神無月をのぞく十一ヶ月は、毎日毎日、案件の作成に追われている。そんなことはワイン片手に鼻糞《はなくそ》を適宜ほじくりながら籤引《くじび》きで決めている連中もいるが、私は根が真面目だから可愛い人の子たちの縁を籤引きで決められない。ついつい深入りする。人をじっくりと見る。自分のことのように悩む。一人一人にふさわしい出逢《であ》いについて想いを馳《は》せて頭を掻《か》きむしる。まるで結婚相談所である。これが神のすることか。そんなことだから煙草を吸い過ぎる。髪が薄くなる。好物のカステラを食い過ぎる。漢方胃腸薬の世話になる。明け方に目が覚めてしまって睡眠不足になる。ストレス性の顎《がく》関節症になる。医者はストレスをなくせというけれども、山ほどの人の子の運命を双肩に担って、へらへらしていられるものか。
 ほかのやつらはクイーンエリザベスⅡ世号みたいな豪華客船に乗って海上二万海里の旅に出て、バニーガールの傍らで暢気に三鞭酒《シヤンパン》でもすすっているに違いない。『あいつは駄目だよ。いつまでたっても石頭でさ』なんて言ったりなんかして笑い者にしてるんだ。お見通しなんだよ、てめえら。神の風上にも置けぬやつらが。なんで俺ばっかり毎年毎年こんな風に真面目に一本一本、運命の赤い糸を結んで開いて手を打っているのであろう。何の因果でこんな道に進んでしまったのか。という思いになるのも無理なかろう。
 そう思わないかい、貴君?」
       ○
 この妙な男は何を滔々《とうとう》と語っているのか。
「何なんですか、あんた?」
 私は暗い路上に立ち止まって訊ねた。そこは下鴨本通《しもがもほんどおり》から東へ折れた御蔭通《みかげどおり》であった。我々の向かいには暗い糺《ただす》の森がざわめいていて、その中をがらんとした長い長い下鴨神社の参道が北へ向かってのびている。はるか奥には橙色《だいだいいろ》の御神燈が輝いている。
「神様だよ、貴君。私は神様だ」
 彼はどうでもよさそうに言って、人さし指を立てた。
「かもたけつぬみのかみ、という」
「はあ?」
「かもたけつのみもかも……かもたけつぬみのかみ、だ。何遍も言わせるな、舌を噛《か》む」
 そう言って男は下鴨神社の暗い参道を指さした。
「知らんのか、貴君。下鴨神社の近所に住んでおきながら」
 下鴨神社には参ったことがあるが、こんな神様がおわしますとはついぞ知らなかった。京都には由緒正しい神社が山ほどあるのだろうが、中でも下鴨神社は世界遺産にもなった屈指の大神社である。私にはとうてい想像もつかぬような歴史を背負った大神社の祭神を名乗るには、目の前の男はやや説得力に欠けるきらいがある。良くて仙人、悪くて貧乏神である。下鴨神社の祭神がつとまる器とは思われない。
「貴君、信じていないな」彼は唸《うな》った。
 私は頷いた。
 彼は「嘆かわしい嘆かわしい」と言いながら、そのくせちっとも嘆いている風ではない。良い匂いのする葉巻の煙をふわふわ夜風に流している。糺の森がざわざわと音を立てるのが不気味であった。
 私は煙草を吸っている男を後ろに残して、足早に歩き始めた。こういう神秘的な人物と交わりをもっても、ろくなことはあるまい。
「まあ、待ちなさい」
 男は私に呼びかけた。
「私は君のことなら何でも知っている。ご両親の名前も知っている。赤ん坊の頃はしょっちゅうゲロを吐いて何だかいつも酸っぱい匂いのする赤ちゃんだったということも知っている。小学校時代の渾名《あだな》、中学校時代の学園祭、高校時代の淡い初恋……もちろんこれは失敗に終わった。初めてアダルトビデオを見たときの興奮というか驚愕《きようがく》、浪人時代、大学に入ってからの怠惰で破廉恥な日々……」
「嘘だ」
「知ってるんだよ。すべてを知っている」
 彼は自信ありげに頷いた。
「たとえば貴君は、上映会で|城ヶ崎《じようがさき》なる人物の唾棄すべき行状を暴く映画をゲリラ上映して、映画サークルから自主脱退を余儀なくされた。なにゆえそんな風にいじける一方の二年間を過ごしたのかという原因を知っている」
「それは小津が」
 思わず私は口にしたが、彼は手を挙げて私を制した。
「貴君が小津の薄汚れた魂に影響されたことは認めよう。しかしそれだけではないだろう」
 私の脳裏を、来し方二年のむにゃむにゃが走馬燈のように流れた。よりによって神聖なる下鴨神社の森で、棘《とげ》だらけの思い出に繊細なハートを鷲掴《わしづか》みにされかけ、私は「ぎゃあああ」と叫びたくなったが紳士らしく堪《こら》えた。かもたけつぬみのかみを名乗る男は、七転八倒の孤独な心理的暗闘を演じている私を愉快そうに眺めている。
「大きな御世話だ。あんたには何も関係がない」
 私が言うと、彼は首を振った。
「これを見たまえ」
 彼は浴衣の胸元から汚い紙の束を取りだした。そばに蛍光灯がついている掲示板があって、彼はその明かりに近づいた。そうして私を手招きする。吸い寄せられるように私も蛍光灯の明かりに入った。
 彼が取りだしたものは、ページを繰るたびに百年かけて積もった埃《ほこり》が舞い立ちそうな分厚い帳面であり、ところどころに虫食いができている。彼はべろべろと指を舐《な》めながら帳面をめくるので、かなりの量の埃を食べているに違いない。
「ここだ」
 彼が指さしたのは帳面の終わりに近い。薄汚れた灰色のページに、女性の名と、私の名、そして小津の名が毛筆で記されてある。いやに物々しい字体であり、まるで自分が偉い神様になったように思われた。
「秋になれば、我々は出雲に集まって男女の縁を決める。君も知っているだろう。私が持って行く案件だけでも何百件にもなるが、そのうちの一つがこの問題だ。分かるね、どういうことか」
「分かりません」
「分からんか、思いのほか阿呆だな。つまり私は、君も知っているこの女性、明石《あかし》さんの縁を誰かと結ぼうとしている」
 神様は言った。
「ようするに、貴君か、小津君かのどちらかだ」
 糺の森がごうごうと暗い風に揺れた。
       ○
 翌日の昼過ぎに起きだし、私は腐りかけた寝床に正座した。昨夜の自分の阿呆っぷりが思い起こされ、ひとりつつましく赤面した。
 下鴨神社の神様が猫ラーメンの屋台に現れ、しかも彼は私の下宿の二階に住んでおり、そうして彼が私と明石さんの縁を取り結ぼうと言う。都合の良い妄想に耽《ふけ》るにもほどがあるではないか。人恋しさに駆られるあまりに心のたがをゆるめて、かくのごとき妄想をほしいままにするとは、紳士にあるまじき破廉恥ぶりである。
 それにしても、前夜の神との出会いは平凡であった。何らかの奇蹟を見せられたわけもなく、稲妻がぴしゃーんと光ったわけでもない。狐やら烏やら神のお使いがうやうやしく現れたわけでもない。たまたまラーメンの屋台で神様が隣へ腰かけたに過ぎない。このあまりにも説得力のない感じが、逆に説得力があるといっても、説得力に欠けるであろうか。
 真偽を確かめるのはたやすい。今から二階に上がって神様に面会してくればよい。しかし、もしドアを開けて昨夜の神が現れ、「どちらさまですか?」と言われれば、何と言ってごまかせばよいのか。あるいは「やーい、ひっかかった」と言われたら、それこそ目も当てられない。おそらく己を罵倒《ばとう》しながら暗い後半生を送る羽目になるだろう。
「決心がついたら訪ねてくれたまえ。二階の一番奥だ。ただし、三日以内には返事をもらいたい。私も忙しいのだ」
 あの妙ちくりんな神様はこう言った。
 大学と下宿を往復するだけの日々に打ちひしがれた挙げ句、このような妄想にとらわれて右往左往していては私の沽券《こけん》にかかわる。私は「なむなむ、なむなむ」と繰り返し唱え、気球のように膨れ上がって五月の空へ浮かび上がろうとする妄念を抑えた。
 そういえば、あの神を名乗る男は、わざわざ出雲へ出かけて男女の縁結びをすると言っていた。本当にそんなことがあってたまるものか。
 私は書棚を漁《あさ》って辞典を取りだした。
       ○
 神無月つまり旧暦の十月、八百万《やおよろず》の神々が出雲へ集まって諸国がお留守になるということは多くの人が知っていよう。私だって知っていた。
 八百万の神様の内訳についてはつまびらかにしないが、八百万と言えば現在の日本の人口の十五分の一に当たる。それだけの数になれば、中には相当妙ちくりんな神様もおわしますに違いない。いかに優秀な学生を集めたと豪語する大学においても、万人の認める阿呆がうごうごしているのとまったく同様である。
 これまで私が疑問に思っていたのは、それだけの神様をわざわざ出雲へ集めて、いったい何を話し合っているのかということであった。地球温暖化を防止するための施策や、経済のグローバル化について語り合っているとでも言うのであろうか。全国に散らばった神々がわざわざ集って一ヶ月もの間討議するということなのだから、これは一大イベントと言って差し支えない。さぞかし重大な問題について熱い議論が戦わされているに違いない。気心の知れた仲間と一緒になって鍋《なべ》をつつきながら、ひたすら猥談に花を咲かせているだけのはずがない。それではただの阿呆学生となんら変わるところがない。
 その日、下宿の辞典を調べてみて、恐るべき事実を私は目の当たりにした。
 そこには、八百万の神々は出雲で侃々諤々の論争の末に、男女の縁を決めているということが書いてあった。たかが運命の赤い糸を結んだりほどいたりするために、諸国の神々がわざわざ一堂に会するという。あのラーメン屋で出会った胡散臭い神様が言っていたのは本当のことらしい。
 私は神々に対する怒りで震えた。
 もっとほかにすることはないのか。
       ○
 気分転換のために勉学に励もうとした。
 しかし、教科書に向かっているうちに、この不毛に過ぎた二年の遅れをがつがつとみっともなく取り返そうとしているような気分になってきた。そんないじましい己の姿は私の美学に反する。したがって私は潔く勉強をあきらめた。こういった潔さには自信がある。つまりは紳士だということだ。
 こうなると、提出すべきレポートは小津に頼るほかない。〈印刷所〉と呼ばれる秘密組織があって、そこに注文すれば偽造レポートが手に入るのである。〈印刷所〉なる胡散臭い組織へ負んぶに抱っこでやってきたおかげで、私はいまや小津を介して〈印刷所〉の助けを借りなければ急場のしのげない身体になってしまった。身も心も蝕《むしば》まれてぼろぼろである。小津との腐れ縁が断ち切りがたい原因はここにもある。
 まだ五月の終わりだというのに、もう夏が来たかのように蒸し暑い。猥褻物《わいせつぶつ》陳列で訴えられても文句が言えない規模まで窓は開け放っているが、空気は澱《よど》んでいる。澱んだ空気は種々の秘密成分を織り交ぜながらじっくりと時間をかけて熟成され、あたかも山崎《やまざき》蒸留所の樽《たる》に詰められた琥珀色《こはくいろ》のウヰスキーのごとく、ひとたびこの四畳半へ立ち入った者を完膚なきまでに酩酊《めいてい》させずにはおかない。かといって、廊下に面した戸を開くと、幽水荘をうろつく子猫が勝手に入って来てにゃあにゃあと可愛い。食べちゃいたいほど可愛いから喰ってやろうかと思ったが、さすがにそこまで野蛮な所業に及ぶことはできない。たとえパンツ一丁でいるにしても、紳士的であらねばならないからである。子猫の目脂《めやに》を取ってやってから、すみやかに追いだした。
 ドアを閉めて、四畳半にごろんと丸太のように横になった。ふしだらな妄想にふけってみようと思ったが、それもうまくいかない。薔薇色の未来への計画を立てようと思ったけれどもうまくいかない。あっちで腹を立て、こっちで腹を立て、乱立するのは腹ばかりだ。そうして、四畳半に隈なく乱立する腹の隙間をくぐり抜けようとしたゴキブリに怒りのすべてをぶつけたため、不運なゴキブリは木っ端みじんになった。
 昼過ぎに起きだしたために、日はさっそく暮れかかる。窓から射す西日がまた私の苛立《いらだ》ちに拍車をかけた。橙色の日溜《ひだ》まりの中でむうっとふくれている孤独な暴れん坊将軍、今にも高貴な白馬で果てしない海辺を駆けだしたい気分だったが、「恋ノ邪魔者」たる私は馬が怖い。
 不必要かつアンビバレントな思いに苛《さいな》まれながら、刻一刻と迫る小津との約束の刻限に思いを馳せると、もう自分をいぢめるのもたいがいにせにゃならんなと思われた。自虐的な戦いを重ねていれば、いつの日か、お釈迦《しやか》様が蜘蛛《くも》の糸を垂らして引っ張り上げ、頭を撫《な》で撫でしてくれるとでも思っているのか。どうせ蜘蛛の糸にしがみついたところをぷつんと切られて四畳半地獄へ逆戻り、お釈迦様にエンターテインメントを提供するのが落ちであろう。
 午後五時、目眩《めくるめ》く自虐的な妄想の果て、不機嫌の極北に立ち尽くす私のもとへ、小津が訪ねてきた。
「あいかわらず汚い顔をしてますなあ」
 それが彼の第一声であった。
「おまえもな」
 私は憮然《ぶぜん》として応酬した。
 そういう彼の顔も、我が下宿の共同便所のように薄汚い。かすかにアンモニア臭がするのは私の妄想であろうか。暑苦しい西日の中でじっと見つめ合う二十歳過ぎの男と男。不機嫌と不機嫌の相互作用が不機嫌を生み、生まれた不機嫌たちがさらに不機嫌を生み落とすという臭気紛々たる悪夢の連鎖。もうこんなことはうんざりだ。
「用意できたのか」
 私は訊ねた。
 小津は手にぶら下げたビニール袋をかすかに揺らして見せた。青や緑や赤といった毒々しい色合いの筒がいっぱい飛びだしていた。
「仕方ない、行くか」
 私は言った。
       ○
 私と小津は、閑静な町中で九龍城のごとき気配を湛《たた》えている下鴨幽水荘を後にした。
 御蔭通を辿《たど》って下鴨神社の参道を横切り、下鴨本通へ出た。京都家庭裁判所の前から下鴨本通を渡れば、目の前に流れるのは賀茂川《かもがわ》であり、そこに掛かっているのは葵橋《あおいばし》である。
 ふて腐れるにもほどがあるという不吉な顔をした男が二人、葵橋から清冽《せいれつ》な賀茂川の流れを覗《のぞ》いて天下に誇るべき夕景を台なしにした。我々は腕組みをして、下流を眺めた。両岸に盛り上がる新緑が夕日に照らされて美しかった。葵橋から眺めると、暮れてゆく空がぽっかりと広く見えて、川下にかかる賀茂大橋《かもおおはし》をバスや車が行き交うのが見えた。これだけ離れた場所からも、河原で戯れる学生たちの軟弱な気配が感じられる。やがてあそこは阿鼻叫喚《あびきようかん》の地獄となるであろう。
「本当にやるな?」
 私は言った。
「天誅《てんちゆう》を加えるって、昨日言ってたじゃないですか」と小津。
「もちろん、自分では天誅だと思っている。しかし世間の人間から見れば、阿呆の所業だ」
 私がそう言うと、小津は鼻で笑った。
「世間を気にして、自分の信念を折り曲げるんですか? 僕が身も心も委ねたのは、そんな人じゃありませんね」
「うるさい」
 彼がこのような気色の悪いことを言うのは、ただ私を煽って愉快な揉《も》め事を起こしたいからに過ぎない。他人の不幸をおかずにして飯を三杯喰う彼にとって、ありとあらゆる阿呆な感情に揉まれて他人がみっともなく右往左往するのを眺めることこそ、無上の楽しみであり生き甲斐であった。
「よし、やってやるぞ。行こう」
 彼の愚劣な品性を軽蔑《けいべつ》しながらも、私は己の信念に忠実であるために、敢《あ》えて一歩を踏みだした。
 我々は葵橋西詰から賀茂川の西岸に降りて、そのまま川下へ進んだ。
 北東からやってきた高野川《たかのがわ》と、北西からやってきた賀茂川が、一つになって鴨川《かもがわ》となる。その合流地点、高野川と賀茂川に挟まれた逆三角形の領域を、学生は「鴨川デルタ」と呼ぶ。そしてその地点は、春から初夏にかけての新入生歓迎コンパ会場として、広く利用されている。
 やがて鴨川デルタに近づいた。青いシートを広げて笑いさんざめく人々の様子が手に取るように分かる。我々はいっそう用心して、出町橋《でまちばし》の暗がりに身をひそめた。デルタで思うさま戯れている敵陣営に姿を見つけられてしまうと、一ノ谷の戦のごとく大胆な奇襲作戦が水泡に帰すことになるからである。
 私はビニール袋から打ち上げ花火を取りだして地面にならべた。小津は私が貸したカールツァイスの単眼鏡を取りだし、対岸にあるデルタ地帯を観察している。
 私は煙草に火を点けた。川岸を流れる夕風が、煙をサッと散らした。子連れの親父さんが、出町橋の下で不穏な動きを見せている我々を胡散臭そうに一瞥《いちべつ》して通り過ぎた。しかし、一般市民の目を気にしている場合ではない。これは自己の信念を貫くための止むを得ざる行動である。
「どう?」
 私は訊ねた。
「同回生のやつらはみんな居るな。ひひひ。でも、まだ相島《あいじま》先輩の姿が見えない。城ヶ崎先輩の姿もない」
「酒呑みのくせに宴会に遅れるとは、どういうつもりだ。常識がないのか」
 私は唸った。「あの二人がいなくては、奇襲の意味がない」
「あ、明石さんだ」
 明石さんとは、我々の一回下の女性である。私は昨夜、あの胡散臭い神様から見せられた帳面を思いだした。
「明石さんも来てるのか?」
「ほら、あそこの土手の上に座ってる。手酌で麦酒《ビール》を飲んでいる。相変わらず孤高の風を貫きとおしてますねえ」
「立派だ。しかしこんなしょうもない宴《うたげ》に来なくてもよかろうに」
「彼女を巻き添えにするのは、心苦しいですね」
 私は明石さんの理知的な風貌と優雅な所作について思いを馳せた。
「あ、あ、あ」
 小津が嬉しそうな声を上げた。「相島先輩が来た」
 私は彼から単眼鏡をひったくり、松の間を抜けて土手を降りてくる相島先輩の姿を追った。河原で待つ新入生たちが歓声を上げて迎えている。
 相島先輩は、映画サークル「みそぎ」に君臨する城ヶ崎先輩の右腕であり、しつこく我々を苛《いじ》めた人物である。人の作った映画にケチをつけるのはまだ許されるが、上映スケジュールをごまかすというアクロバティックな手法で我々を上映会から締めだそうとしたことすらある。編集機材を借りるのに土下座に近い屈辱を舐《な》めたこともある。許すまじ。彼はあんなに歓迎されているにもかかわらず、なにゆえ我々が対岸でかくのごとき状況に甘んじなければならぬのか。今日こそ正義の鉄槌《てつつい》を下し、積年の恨みを晴らしてくれる。降り注ぐ火花から逃げまどい、己があやまちを腹の底から悔い、浜辺で蟹《かに》とたわむれながらしくしく泣き濡《ぬ》れるがよかろう。
 私は飢えた獣のように鼻息を荒くして、手近な花火を手に取った。小津が私の手を押さえた。
「駄目ですよ。まだ城ヶ崎先輩が来てない」
「もう構わん。相島先輩だけでも亡き者にしてくれるわ」
「気持ちは分かります。でも本丸は城ヶ崎先輩です」
 押し問答がしばらく続いた。
 動機はあくまで不純ながらも、小津の言うことには一理あった。影武者というべき相島先輩へ一生懸命攻撃をしかけても馬鹿を見る。私は抜きかけた太刀を鞘《さや》におさめた。
 ところが許しがたいことに、いくら待っても城ヶ崎先輩は来なかった。夕風がひゅうひゅう通って、腹の底から切なくなる。酒が入り始めた対岸の敵陣では、朗らかな笑い声が響いている。対するこちらでは出町橋の暗がりで二人の男がじっとうずくまり、犬の散歩をする人やジョギングに励む人から疑いの視線を向けられている。
 賀茂川を挟んで、あからさまに明暗を分けた状況となり、これが私の怒りに油を注いだ。傍らにいるのが黒髪の乙女であれば、暗がりで身を寄せ合うのも、我慢するにやぶさかではない。しかし、傍らにいるのは小津である。対岸では新入生歓迎コンパが和気藹々と繰り広げられているというのに、なぜこちらは大正時代の高利貸しのような不吉な顔をした男と身を寄せ合っていなければならないのか。私が何か間違ったことをしたというのか。非は私にあるというのか。せめて、もう少し同志を、むしろ黒髪の乙女を、と私は思った。
「これはまた明暗を分けましたねえ」小津が言った。
「うるさい」
「ああ、向こうは楽しそうですなあ」
「おまえ、どっちの味方なんだ」
「もう、こんな実りのないことはやめて、あっちに行こうかな。初々しい新入生たちと一緒にお酒を呑みたいな」
「裏切るのか」
「べつに何の約束もしてないでしょ」
「身も心も俺に捧げたと、ついさっき言ったじゃないか」
「そんな昔のこと忘れちゃった」
「てめえ」
「そんな怖い目で見ないで」
「おい、くっつくなよ」
「だって寂しいんだもの。それに夕風が冷たいの」
「この、さびしがりやさん」
「きゃ」
 橋の下で意味不明の睦言《むつごと》を交わす男女を模倣することにもやがて虚《むな》しさを感じ、むしろその虚しさこそが我々の堪忍袋の緒を切った。城ヶ崎先輩の姿は見えないが、こうなれば仕方がない。彼には節足動物の死骸《しがい》を塗りこんだケーキでも送り届けることにして、今宵《こよい》はその他の面子《めんつ》に冷や水を浴びせるだけで満足することにしよう。
 我々は花火を抱えて、夕闇が領し始めた河原へ出た。小津が川まで降りて、持ってきたバケツに水を汲んだ。
       ○
 打ち上げ花火というものは、夜空に打ち上げるべきものである。決して、手に持ったり、人に向けたり、川向こうで和気藹々と新入生歓迎コンパをしている人々を爆撃するのに使ったりしてはいけない。とても危険である。くれぐれも真似をしないようにしていただきたい。
 奇襲とはいえ、いきなり攻撃に出るのは私の流儀に反する。私はまず川向こうの敵陣に対して大音声《だいおんじよう》を上げた。「やあやあ我こそはむにゃむにゃ、これから復讐を開始する。くれぐれも目に注意」
 大音声を上げたあと、私は対岸の人々を睨み回した。ぽかんと阿呆のように口を開けた面々が、「なんのこっちゃ」というようにこちらを眺めている。なんのこっちゃ分からなければ、分からせてやるまでだ。私はいきり立った。
 ふと、土手のてっぺんに座って麦酒の瓶を抱えている明石さんの姿が目に入った。彼女は「あ」「ほ」と口を動かし、まことに的確で鋭利な批評をやってのけた後、そそくさと立って松の木の向こうに避難した。
 土手の下にシートを広げている他の連中は事態が飲みこめないまま目を白黒させている。明石さんが避難したとなれば、遠慮することはない。私はさっそく配下の小津に砲撃を命じた。
 ひとしきり花火を打ちこんだあと、ぎゃあぎゃあ言っている対岸を尻目に颯爽《さつそう》と逃げだすつもりだったが、怒り狂う同回生の男連中が下級生に良いところでも見せようと思ったのか、身体が濡れるのも厭《いと》わずに川を渡り始めたので、我々は慌てた。
「おい、逃げるぞ」
 私は言った。
「待って、待って。まだ火の始末が終わってません」
「早く早く」
「まだ何本か撃ち残しがあるけど」
「放っておけ」
 我々は出町橋へ走ろうとしたが、土手の上から駆け下りてくる人影がある。何だかただならぬ剣幕でこちらへ向かってくる。「オマエらッ」と叫ぶ野蛮な声には聞き覚えがあった。
「うわ、今さら城ヶ崎さんが出た」小津が叫んだ。
「なんと間の悪い」
 小津が悲鳴を上げて方向転換し、私の傍らをすり抜けるようにして反対方向へ逃げた。賀茂大橋へ向かって、夕闇の中をじつにすばしこく駆けていく。逃げながらすでに「ごめんなさいごめんなさい」と叫んでいる。誇りも何もあったものではない。
 私は城ヶ崎先輩にあやうく襟首を掴まれそうになったが、豹《ひよう》のようにしなやかにそれを振り切ると、小津の後を追って賀茂大橋の方へ走りだした。
「オマエら、いつまでこんなことやってるつもりだッ!」
 城ヶ崎先輩が河原に立ち、説教言葉を投げつけてくる。よりにもよってこの私に説教するとは何事か、人をとやかく言う前に己の姿を虚心に見つめてみろ。私はきわめて真っ当な怒りのあまりもう少しで振り向くところであったが、多勢に無勢、いくら私が己の正当性を主張したところで多数派の横暴に敗北するのは明らかだ。そのような不名誉を甘受するつもりは毛頭ない。したがってこれは逃げるのではない。戦略的退却である。
 すでに小津は賀茂大橋のたもとへ駆け上がり、私の視界から消えんとしている。おそろしいまでの逃げ足の速さよ。さて私もあそこまで行かねばと思ったとたん、何か熱いかたまりがぼうんと背中に当たって、私は呻《うめ》いた。
 背後で歓声が上がった。
 彼らが報復のために発射した花火が、退却する私に追い打ちをかけたらしい。過去二年間に自分のやってきたあんなことこんなことが、走馬燈のように脳裏を流れた。
       ○
 大学に入って以来二年、私は不毛な戦いを繰り広げてきた。「恋ノ邪魔者」の称号に恥じない天晴《あつぱ》れな戦いぶりであったと断固自負しながらも涙を禁じ得ない。それは誰からも賞賛されない、そして賞賛されるはずがない茨《いばら》の道であった。
 入学当初はそれなりに薔薇色であった私の脳味噌《のうみそ》が暖色を失い、みるみる青紫色に変わった経緯については多くを語るまい。語るほど多くのものはないし、そんな益のないことをして読者へ虚しい共感を求めたところで何になろう。一回生の夏、抜群に切れ味の鋭い「現実」という刃《やいば》が一閃《いつせん》したとき、私の愚かしくも短い薔薇色の夢は大学構内の露と消えた。
 その後、私は冷厳な眼で現実を直視し、軽佻浮薄《けいちようふはく》な夢に浮かれる者たちに鉄槌を下す決意を固めた。ありていに言えば、他人の恋路を邪魔することにした。
 東に恋する乙女がいれば「あんな変態やめろ」と言い、西に妄想する男がいれば「無駄なことはやめておけ」と言い、南で恋の火花が散りかけていればすぐさま水をかけてやり、北ではつねに恋愛無用論を説いた。おかげで私は「空気の読めない男」というレッテルを貼《は》られた。しかしそれは誤解だった。誰よりも細かく空気を読んだ上で、意図的に何もかもぶち壊していたのである。
 そんな私の戦いを面白がり、私を煽り立て、サークル内に揉め事の火種をまくのを無上の楽しみとする怪人がいた。それが小津である。独自の情報網を駆使して、およそ破廉恥な噂ならば知らぬことはないという彼は、私が油を撒《ま》くそばからあることないことを吹聴して職人のようにたくみに火をつけてまわり、つねにサークル内のどこかで修羅場の不協和音が鳴り響くという彼好みの環境を作り上げた。まさに悪の権化というにふさわしい。ホモサピエンスの面汚しである。あんな人間にはなりたくないものだ。
 映画サークル「みそぎ」は歴史の浅いサークルだが、それでも全回生合わせて常時三十人ほどのメンバーがいた。それだけ敵の数も多くなった。我々の行為が原因で、サークルを去った人間もいる。辞めた人間に待ち伏せされ、あやうく琵琶湖|疏水《そすい》に沈められそうになったこともある。しばらく下宿に戻ることができず、旅行に出た知人の北白川《きたしらかわ》の下宿に忍びこんで息を殺していたこともある。直截《ちよくさい》に物を言い過ぎて、同回生の女性に近衛通《このえどおり》の路上で泣かれたこともある。
 しかし私は負けなかった。負けることができなかった。
 そしてあのとき負けていた方が、きっと私もみんなも幸せになることができたのは言うまでもない。小津は幸せにならなくてもよい。
       ○
 私は映画サークル「みそぎ」の体制そのものに、まず苛立っていた。
「みそぎ」では、城ヶ崎先輩の独裁体制が敷かれ、彼の指導のもと、みんなで和気藹々と映画を作るという唾棄すべき体制が打ち立てられていた。当初、やむを得ず彼の采配《さいはい》のもとに動いていた私は、やがて現行の体制に不満を抱いた。かといって、易々と出て行くのでは負けを認めるようでしゃくに障る。そこで城ヶ崎先輩たちの目の前で反逆の狼煙《のろし》を上げるべく、私は独自に映画を撮り始めることにした。当然のことながら共鳴する者は一人もおらず、やむなく小津と二人で映画を撮った。
 一作目は、太平洋戦争前から続く由緒ある悪戯《いたずら》合戦を引き継いだ二人の男が、知力と体力のかぎりを尽くしてたがいの誇りを粉砕しあうというバイオレンス溢《あふ》れる映画であった。能面のように終始表情を変えない小津の怪演と、私のエネルギー過剰な演技、そして情け容赦ない悪戯の数々が盛りこまれ、たとえようもなく気色悪い映画になった。大詰め、全身をピンク色に染められた小津と、頭の半分を剃《そ》られた私とが賀茂大橋で激突するシーンは、一見の価値があるだろう。しかし当然のごとく無視された。上映会で笑ったのは明石さんだけであった。
 二作目は、沙翁《さおう》の『リア王』を下敷きとして、三人の女性の間を揺れ動く男の心情を描いた作品であったが、女性キャストが一人もいないという根本的問題をごまかしきれず、何だかわけがわからないことになり、『リア王』ですらなくなってしまった。しかも揺れ動く男の心情をあまりにも丹念に描き過ぎたために、女性陣からは罵詈雑言《ばりぞうごん》の嵐であって、栄えあるベストオブ変態の称号を押しつけられた。笑ったのは明石さんだけであった。
 三作目は四畳半がどこまでも続く迷路に閉じこめられた男がそこから脱出するために延々と旅をするというサバイバル映画であったが、「どこかで見たような設定だ」「そもそもサバイバルではない」と言われて終わった。ましなコメントをくれたのは明石さんだけであった。
 小津と一緒に映画を作れば作るほど、サークルのメンバーたちはキャンプファイヤーを取り巻くように我々を遠巻きにするようになり、城ヶ崎先輩の視線は凍《い》てつくように冷たくなってゆく。最終的に、先輩は我々を路傍の石ころも同然に無視し始めた。
 奇怪なのは、我々が努力すれば努力するほど、先輩のカリスマぶりが上がっていくように思われてならないことであった。今にして思えば、我々は先輩のカリスマぶりを持ち上げる、いわばテコの支点として利用されたのであるが、今ごろそんなことを言っても後の祭りである。
 じつに、生き方に工夫が足りなかった。
 私はなんてまっすぐだったのであろう。
       ○
 鴨川から無事に戦略的退却を成功させた我々は、街へ出て戦勝祝いをすることにした。
 冷たい夕風に吹かれながら自転車を走らせていると、何となく佗《わ》びしかった。自転車を置いて、二人でむっつりとしたまま河原町《かわらまち》を歩いていった。街の明かりがきらきらして、暗くなった紺色の空を照らしていた。小津はふいに三条大橋《さんじようおおはし》の方へ折れて、西詰にある古めかしい束子《たわし》屋に入っていった。私は暗い軒先で待った。
 やがて彼は無念そうな顔をして出てきた。
「何だ? 束子を買ったのか?」
「いやあ、樋口《ひぐち》師匠に貢ぎ物をしなくちゃならないんですけど。それがね、どんな汚れでも落ちる幻の超高級亀の子束子が欲しいと」
「そんなもんあるのか」
「あるという噂なんですがねえ……店の人に笑われましたわ。師匠には他のものをさし上げるしかないな」
「おまえも阿呆なことに精神を磨り減らしているなあ」
「師匠はいろいろなものを欲しがるから大変なんです。ちりめん山椒《ざんしよう》やら出町《でまち》ふたばの豆餅《まめもち》ならまだ手を打てるけれども、骨董品《こつとうひん》の地球儀やら古本市の幟《のぼり》やら、タツノオトシゴや大王|烏賊《いか》まで欲しがるんですからねえ。そうしてヘタなものを持って行って御機嫌を損ねたら破門ですわ。気の安まる暇もないのです」
 そう言いながらも、小津は妙に楽しそうであった。
 それから我々は木屋町《きやまち》へぶらぶら歩いていった。
 たしかに戦略的退却であったはずであるのに、これは敗北なのではないかという自己懐疑の念を催したのは不愉快である。小津は「面白けりゃあ何でもいいんだ」という顔をしているが、私はそのようにいいかげんな考え方はできない。そもそも今宵の鴨川デルタ奇襲作戦は、怨《うら》み骨髄の先輩や同輩たちに我々の存在を思い知らせるためのものであったが、さきほどの戦いを冷静に思い起こしてみるに、彼らはどこか面白がっていたような節がある。我々の闘いは酒席の余興ではない。かぎりなく酒席の余興に似た闘いであっても、そこには叡山《えいざん》よりも高い誇りがある。
「きひひ」
 小津が歩きながら、急に笑った。
「城ヶ崎先輩はあんな風に後輩の前では偉そうにしてますが、もう内情はぐたぐただからね」
「そうなのか」
 私が問うと、小津は偉そうな顔をした。
「博士課程に居座ってはいるものの、映画ばっかり撮って勉強してなかったから実験ひとつマトモにできない。親は仕送りを減らすと言っているのにアルバイト先では店長と喧嘩《けんか》してやめちゃった。相島先輩から奪った女の子とは先月別れたばかり。偉そうに説教される筋合いは毛ほどもないです」
「おまえ、なんでそんなことまで知ってるの?」
 街の明かりの中で、小津はぬらりひょんのような顔をした。
「僕の情報収集能力を馬鹿にしてもらっては困ります。あなたのことだって、あなたの恋人よりも知っているんです」
「俺に恋人なんかおらん」
「ま、万が一の話です」
 小津は難しい顔をした。「本当のところは相島先輩のほうが曲者《くせもの》なんですがね」
「そうかな」
 私が言うと、小津は意地の悪い笑みを浮かべた。
「あなたはあの人の裏の顔を知らないですからねえ」
「教えろよ」
「言わない言わない。おそろしくてトテモ言えない」
 かつて城ヶ崎先輩が憑《つ》かれたように量産した自主製作映画と同じぐらい底の浅い高瀬川《たかせがわ》が流れている。街の灯を映してきらきらとする水面を眺めているうちに、また腹が立ってきた。
 映画同好会「みそぎ」などという坪庭みたいに狭い世界の中で濃密な尊敬を集めている城ヶ崎先輩の、まことにちっぽけなカリスマぶり。今ごろ、新入生、とりわけ女性陣の尊敬を一身に受けて、凝視すべき目前の現実を忘れ、マタタビを得た猫のようにめろめろになっていることであろう。空っぽの映画論をぶって、きわめて紳士的なふりをしているが、そのくせ興味があるのは乳ばかりだ。女性の乳のほかは何一つ見えていない。やみがたい乳への想いに気をとられて、人生を棒に振るがいい。
「ちょっと、ねえ、目が据わってますよ」
 小津に注意されて、私はようやく眉間《みけん》の皺《しわ》をゆるめた。
 そのとき、町中でついとすれ違いかけた女性がこちらへ微笑みかけた。きりりと凜々《りり》しい眉《まゆ》をした女性である。私は冷静にそのまなざしを受け、明治百年の男にふさわしい態度で微笑み返した。すると女性がこちらへ寄ってきて、私に話しかけるのかと思いきや、意外にも小津に声をかけた。
「あら、こんばんは」
 などと言い、ちょっと色っぽい口調で「こんなところで何してるの?」などと言っている。「ちょっと藪用《やぶよう》でして」と小津。
 私は彼らから距離を取って立った。盗み聞きするつもりはなかった。何となく艶《なま》めかしい雰囲気があればなおさらだ。雑踏に立つ彼らの声は聞こえなくなったが、遠くから眺めていると女性が指を立てて小津の口に突っこむような仕草をしている。なんだか親しげであったが、嫉妬《しつと》はしない。
 二人の様子を野次馬みたいに眺めているのも性に合わないので、私は木屋町通に軒をならべている店々に目をやった。
       ○
 飲み屋や風俗店がならぶ中に、身を細めるようにして暗い民家が建っていた。
 その軒下に、白い布をかけた木の台を前にして座る老婆がいた。占い師である。台のへりから吊《つ》り下がっている半紙は、意味不明の漢字の羅列で埋まっている。小さな行燈《あんどん》みたいなものが橙色に輝いて、その明かりに彼女の顔が浮かび上がる。妙な凄《すご》みが漂っていた。道行く人の魂を狙って舌なめずりする妖怪である。ひとたび占いを乞《こ》うたが最後、怪しい老婆の影が常住坐臥《じようじゆうざが》つきまとうようになり、やることなすことすべてがうまくいかず、待ち人は来ず、失《う》せ物は出ず、楽勝科目の単位を落とす、提出直前の卒論が自然発火する、琵琶湖疏水に落ちる、四条通《しじようどおり》でキャッチセールスに引っかかるなどといった不幸に見舞われる―そんな妄想をたくましくしながら私が凝視しているものだから、やがて相手もこちらに気づいたらしい。夕闇の奥から目を輝かせて私を見た。彼女が発散する妖気に、私はとらえられた。その得体の知れない妖気には説得力があった。私は論理的に考えた。これだけの妖気を無料で垂れ流している人物の占いが当たらないわけがない、と。
 この世に生まれて四半世紀になろうとしているが、これまで謙虚に他人の意見に耳を貸したことなど、数えるほどしかない。それゆえに、敢えて歩かないでもかまわない茨の道をことさら選んできた可能性がありはしないか。もっと早くに自分の判断力に見切りをつけていれば、私の大学生活はもっと違った形をしたものであったろう。映画同好会「みそぎ」という歪《ゆが》んだサークルに入ることもなく、性根がラビリンスのように曲がりくねった小津という人物と出会うこともなく、恋ノ邪魔者という烙印《らくいん》を押されることもなかったろう。良き友や先輩に恵まれ、溢れんばかりの才能を思うさま発揮して文武両道、その当然の帰結として傍らには美しき黒髪の乙女、目前には光り輝く純金製の未来、あわよくば幻の至宝と言われる「薔薇色で有意義なキャンパスライフ」をこの手に握っていたことであろう。私ほどの人間であれば、そういう巡り合わせであったとしても、ちっとも違和感を覚えない。
 そうだ。
 まだ遅くはない。可及的速やかに客観的な意見を仰ぎ、あり得べき別の人生へと脱出しよう。
 私は老婆の妖気に吸い寄せられるように足を踏みだした。
「学生さん、何をお聞きになりたいのでしょう」
 老婆はもぐもぐと口に綿を含んでいるように喋るので、その口調にはより一層ありがたみが感じられた。
「そうですね。なんと言えばいいのでしょうか」
 私が言葉に詰まっていると、老婆は微笑んだ。
「今のあなたのお顔からいたしますとね、たいへんもどかしいという気持ちが分かりますね。不満というものですね。あなた、自分の才能を生かせていないようにお見受けします。どうも今の環境があなたにはふさわしくないようですね」
「ええ、そうなんです。まさにその通りです」
「ちょっと見せていただきますよ」
 老婆は私の両手を取って、うんうんと頷きながら覗きこんでいる。
「ふむ。あなたは非常に真面目で才能もおありのようだから」
 老婆の慧眼《けいがん》に、私は早くも脱帽した。能ある鷹《たか》は爪を隠すということわざにあるごとく、慎ましく誰にも分からないように隠し通したせいで、ここ数年はもはや自分でも所在が分からなくなっている私の良識と才能を、会って五分もたたないうちに見つけだすとは、やはりただ者ではない。
「とにかく好機を逃さないことが肝要でございますね。好機というのは良い機会ということですね、お分かりですか? ただ好機というものはなかなか掴まえにくいものでしてね、まるで好機のように見えないものが実は好機であることもあれば、まさに好機だと思われたことが後から考えればまったくそうでなかったということもございます。けれどもあなたはその好機を捕らえて、行動に出なくちゃいけません。あなたは長生きはされるようだから、いずれその好機をとらえることができましょう」
 その妖気にふさわしい、じつに深遠な言葉である。
「そんなにいつまでも待てません。今、その好機をとらえたい。もう少し具体的に教えてもらえませんか」
 私が食い下がると、老婆はやや皺を歪めた。右頬が痒《かゆ》いのかしらと思ったが、どうやら微笑んだらしい。
「具体的には申し上げにくいのですよ。私がここで申し上げましても、それがやがて運命の変転によって好機ではなくなるということもございまして、それではあなたに申し訳ないじゃございませんか。運命は刻々とうつろうものでございますから」
「しかし、このままではあまりに漠然としていて困りますよ」
 私が首をかしげると、老婆は「ふっふーん」と鼻息を噴きだした。
「宜《よろ》しいでしょう。あまり先のことは申さずにおきますが、ごく近々のことでしたら申し上げましょう」
 私は耳をダンボのように大きくした。
「コロッセオ」
 老婆がいきなり囁《ささや》いた。
「コロッセオ? なんですか、そりゃ」
「コロッセオが好機の印ということでございますよ。あなたに好機が到来したときには、そこにコロッセオがございます」
 老婆は言った。
「それは、僕にローマへ行けというわけではないですよね?」
 私が訊ねても、老婆はにやにやするばかりである。
「好機がやって来たら逃さないことですよ、あなた。その好機がやって来たときには、漫然と同じことをしていては駄目なのですよ。思い切って、今までとはまったく違うやり方で、それを掴まえてごらんなさい。そうすれば不満はなくなって、あなたは別の道を歩くことができましょう。そこにはまた別の不満があるにしてもね。あなたならよくお分かりでしょうけれども」
 まったく分かっていなかったが、私は頷いた。
「もしその好機を逃したとしましてもね、心配なさる必要はございませんよ。あなたは立派な方だから、きっといずれは好機をとらえることができましょう。私には分かっておりますよ。焦ることはないのですよ」
 そう言って、老婆は占いを締めくくった。
「ありがとうございました」
 私は頭を下げ、料金を支払った。立ち上がって振り向くと、小津が背後に立っている。
「迷える子羊ちゃんごっこですか?」
 彼は言った。
       ○
 その日、街へさまよい出たのは小津の提案であった。
 私は夜の街の喧噪《けんそう》を好まず、ほとんど足を踏み入れない。しかし小津は違うらしい。彼のことだから、むくむくと膨れた良からぬ妄念を腹に溜《た》めながら、何らかの猥褻なハプニングを期待して、夜ごと無駄に徘徊《はいかい》しているのであろう。
 小津が「葱塩つき牛タンが喰いたい」と繰り返すので、木屋町通に面した焼き肉屋二階にて、我々は日頃不足しがちな栄養を補うことにした。肉の合間に野菜を頼んで、私が椎茸《しいたけ》をほくほく食べていると、小津はまるで人が馬糞《ばふん》をつまみ食いしている秘密の現場を目撃したような目つきをした。
「ようそんな気色の悪い物体を食べますねえ。それ菌ですよ。菌の茶色いかたまりですよ。信じられないなあ。その傘の裏にある白いひだひだ、何ですか。何のためにそれあるんですか」
 小津が野菜を口にしないでタン塩ばかり食べているので腹が立ち、嫌がる彼の口をこじ開けて生焼けの玉葱の辛いやつをぐいぐいねじこんでいた記憶がある。小津の偏食は筋金入りであり、私は彼がまともに食事をしているところを見たことがない。
「さっきの女の人は誰だ?」
 私が訊ねると、小津はきょとんとした。
「さっき占い師のところで喋ってたろう」
「あれは羽貫《はぬき》さんです」小津はそう言って、またタン塩を食べた。
「樋口師匠のお知り合いでね。僕も親しくお付き合いさせてもらってるんです。英会話学校の帰りだったらしいんですが、どこかで飲もうと誘われました」
「この破廉恥野郎。おまえらしくもないモテモテぶりではないか」
「むろん僕は息つく間もなくモテモテですよ。でも丁重に断りました」
「なんで」
「だってあの人、酒を飲むと人の顔を舐めようとするんですもん」
「おまえのその汚らしい顔を?」
「この愛らしい顔を舐めるんです。愛情表現でしょうね」
「おまえの顔なんか舐めたら不治の病になってしまうぞ。命知らずな人だ」
 阿呆なことを言っているうちに、じうじうと肉が焼けてゆく。
「さっきの占い師には何と言われたんですか?」
 小津がにやにやして蒸し返した。
 私は今後の人生いかに生くべきかという大問題について占ってもらったというのに、小津は「どうせ恋占いでしょ。無駄なことをして」と低次元な決めつけ方をした。さらには「ああいやだ、けがらわしい」「すけべすけべすけべ」と壊れた目覚まし時計のように繰り返し、私の厳粛な思索を邪魔した。怒りにまかせて生焼けの椎茸を口に詰めこんでやると、しばらく静かになった。
「コロッセオ」と彼女は言ったが、私はローマには縁がない。コロシアムにも縁がない。自分の日常を事細かに思いだしてみても、関連するものは浮かんで来ない。だとすると、これから私の人生にかかわってくるものなのかもしれない。いったいそれは何であろうか。今のうちに対策を練りに練っておかねば、またしても好機を逃すことになってしまう。私は不安であった。
 店内は賑やかであり、つい先日まで高校生だったような幼い顔も見受けられる。新入生歓迎の宴がそこかしこで繰り広げられているのであろう。思いだしたくもないことだが、私もかつては新入生であった。嬉し恥ずかしの未来への希望に満ち溢れていた時期も一瞬とはいえあったのだ。
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