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[山田风太郎] 甲贺忍法帖

_9 山田風太郎(日)
 服部半蔵は、きのう東海道掛川から藤枝にかけて、ふしぎな伊賀の立札の立った噂をきいていて、さてこそ、とは思っていたが、いままざまざと秘巻をしめされて、おのれも参画したことでありながら、われしらず戦慄をおびた長嘆をもらさずにはいられなかった。
「右甲賀十人衆、伊賀十人衆、たがいにあいたたかいて殺すべし。のこれるもの、この秘巻をたずさえ、五月晦日《みそか》駿府城へ罷《まか》り出ずべきこと。――」と秘巻にはある。いかに忍者の総元締たる家柄の半蔵といえども、おのれがあの争忍の禁をとくやいなや、これほど疾風迅雷《しつぷうじんらい》のごとく惨澹《さんたん》たる終末がちかづこうとは予想していなかったのである。いまは五月晦日どころか、五月七日、あの手綱をきってはなした日から、わずか十日ばかりを経たにすぎぬ。しかも、みよ、人別帖につらねられた甲賀卍谷、伊賀鍔隠れ谷二十人の忍者のうち、すでに十八人の名のうえに、血の色も変わったぶきみなすじが黒ぐろと。――
「のこったものは、あのふたりだけと申す。……」
 仮面のような表情で、阿福はいった。
 服部半蔵は、いまにして彼女の伊勢への密行に疑念をいだいたが、ポーカーフェイスのこの竹千代君お乳《ち》の人の顔からは、何をくみとるすべもない。また、よしや彼女がどんな策動をこころみようと、忍者のたたかいに第三者たる常人が、ほとんど何の影響をも与えることのできないのは、よく承知していた。「たまたま、これに立ちあうことになりはしましたが、もしこれを国千代さま一派の衆に知られましたならば、無思慮の方々が、いかような軽挙に出られるやもはかりがたい。それでは大御所さまのこのたびの試みのおこころにもそむくことになる。されば、このように、いちおうまわりをさえぎりはしましたが」
 と、阿福はいった。
「さればと申して、あとでわたしがかかわりあったと知れたならば、いかような風聞をたてられるか、それも気になります。忍者行司役のおまえさまをお呼びたて申したのも、この果し合いにわたしがなんの手もくわえておらなんだことを、とくと見とどけて大御所さまへ証人になっていただきたいからのこと」
 阿福が、ここからわずか五里半足らずの藤枝を出るのがおくれたのは、失神した甲賀弦之介の回復するのを待つためであったが、その弦之介の回復を待ったのは、朧の申し出もあったが、たしかにそういう目的からでもあった。
「――気を失った甲賀の忍者を殺しても、伊賀の名誉にはなりませぬ」
 と、そのとき朧はこたえたのである。意味はちがうが、そのとおり、阿福も堂々と伊賀の甲賀への勝利を、服部半蔵に見とどけさせたかった。
 堂々と? ――しかし阿福は、甲賀弦之介が盲目であることを知っている。そして、朧の目がひらいたことも知っている。朧の勝利はすでに掌中にあるも同然と確信したからであった。
「ただし、御覧なされ、甲賀の忍者の目はつぶれております」
「なに?」
「きけば、伊賀方の忍者につぶされたとのこと。服部どの、それも争忍の勝負のうちのひとつでございましょうね」
 半蔵は、じっと、蘆のなかに手をついている甲賀弦之介に目をそそいで、
「もとよりのこと」
 と、うなずいた。忍法の争いに、実のところ、卑怯という言葉はない。いかなるハンディキャップもみとめられず、いかなるトリックも容認される。忍者の世界に、武門の法は適用できぬ。そこには、奇襲、暗殺、だまし討ち、それだけに手段をえらばぬ苛烈《かれつ》無慈悲のたたかいがあるのみだ。
「甲賀弦之介」
 と、きっとなって半蔵は呼びかけた。
「これより伊賀の朧との果し合いに異存はないな」
「――仰せのごとく」
 と、弦之介は従容《しようよう》としてこたえた。ことここにおよんで、服部半蔵へのうらみの言葉は、一句も出さぬ。
「朧、そなたも?」
「はい!」
 と、鷹を肩にとまらせた朧も、手をつかえた。その愛くるしい頬に、りんとしたものがながれた。――きのう、阿福にきかれたとき、こたえたとおりのいさぎよい態度であった。朧は観念したのか。それともこの最後の関頭《かんとう》にいたって、凄絶な伊賀のお幻の血がよみがえったのか。
 両人のこころはしらず、服部半蔵は、心中実は暗然とした。彼は数年前、いちど甲賀伊賀へかえって、甲賀弾正やお幻にあったことがある。そのときにみたこのふたりは、まだ童心爛漫《らんまん》たる少年と少女であったが――いや、いまみるふたりも、これが忍者かと目をうたがうばかりに美しく、うら若く、この両人をここに追いこんだおのれの企図を、いかに大御所の命とはいえ、ひそかに悔いと恐れをもってかえりみずにはいられないのであった。
「さらば、服部半蔵、検分いたす。両人、起てっ」
 決然としてさけぶと、半蔵は秘巻をとって、白砂の一画へはしり出て、その中央にこれをおいた。
 鷹が、ぱっと空に舞いあがった。半蔵がひきかえしてくるのといれかわって、甲賀弦之介と朧は、足音もなく、決闘の白い祭壇にあゆみ出てゆく。
 夕風が出た。蘆はさやぎ、暗い流れに、まるで秋のような冷たい波のひかりをひろげてゆく。
 甲賀弦之介と朧は、白刃をひっさげて、じっとむかいあった。
 ――それを、いつまでも網膜《もうまく》にのこる運命の残像とみても、ただ甲賀伊賀宿命の二族の子と娘が、四百年来の争いの終焉《しゆうえん》を告げるときはいまだと思うのみで、だれがふたりのまことの心中を知ろう。
 また、わずか十日ばかりまえ、場所こそややちがうが、おなじこの安倍川のほとりで、彼らの祖父と祖母が、「……わしたちとおなじ運命《さだめ》が朧と弦之介のうえにきたのじゃ。ふびんや、しょせん、星が違《ちご》うた!」――と嘆きつつ、あいたたかって、ともに死んでいったことを、だれが知ろう。
 西のはてに、一条、二条、横にひいた残光の朱が、しだいにうすれ、刻々と蒼味《あおみ》がかってきた。――ふたりは寂然と立って、まだうごかない。たまりかねて、いらだって、阿福が、
「――朧――」
 と、叱咤した。
 ながれるように、朧があるき出した。一歩、三歩、五歩――弦之介は依然として、ダラリと刀身をさげたまま、無防御の姿で立っている。
 そのまえに立って、朧の刃が、弦之介の胸まであがった。と、このとき――思いがけないことが起こった。その刀身がくるりとまわると、きっさきは逆に彼女の胸へむけられて、深ぶかと自分の乳房の下を刺しとおしたのである。うめき声もなく、彼女はそこにうちふした。
 蘆のあいだから、意味のとれぬさけび声がながれた。阿福の顔色は一変していた。何が、どうしたのかわからない。息をひいて、これを見まもっていたが、ふいに狂ったように、
「だれかある。甲賀弦之介を討ってたも。――」
 と、叫んだ。
 彼女ほどのものが、逆上して、せっかく呼んだ服部半蔵のことを忘れた。朧が敗れた! それは竹千代の敗れたことであり、彼女の敗れたことであった。同時にそれは、彼女らすべての死を意味したのだから、是非もないというべきか。
 閃々《せんせん》と薄《すすき》の穂のように狂気の刀身をみだれさせて、武士たちは殺到した。そのむれが、甲賀弦之介の手前五メートルばかりに達したとき、さらにおどろくべき光景が展開した。彼らはいっせいに刃をふるって、味方同士のからだに斬りこんでいたのである。
 阿福にとって、夢魔としか思われない血の霧風が吹きすぎたあと――黄昏のひかりのなかに、甲賀弦之介はなお刀身をダラリとさげて、ひとり立っていた。ただ、その両眼を、金色に爛《らん》とひからせて。
 その影が、しだいにこちらにあるき出したのをみて、阿福は恐怖のあまり立ちすくんだ。しかし、弦之介は例の秘巻をひろうと、朧のそばへあゆみよって、そこで立ちどまり、黙然としてそれを見おろしていた。
「朧。……」
 声は蘆を吹く風にそよいで、きえた。
 彼だけは知っていたのである。朧が死んだのは、じぶんの目がひらくまえであったことを。――
 ややあって、弦之介は彼女を抱きあげ、水際へはこんでいった。それから、巻物をひらき、彼女の胸の血を指さきでぬぐいとり、のこっていた二つの名にすじをひいた。これはあとでわかったことだが、すべての名の抹殺《まつさつ》された秘巻のあとに、次のような血文字もかきのこされていたのである。
「最後にこれをかくものは、伊賀の忍者朧也《なり》」
 弦之介は巻物を巻くと、ぱっと空になげあげた。いままで音のないフィルムのようにうごいたこの世界に、ふいに羽ばたきの音がおこった。鷹が空でその巻物を足でつかんだのである。
「伊賀の勝ちだ。城へゆけ。――」
 と、甲賀弦之介ははじめてさけぶと、朧の刀でみずからの胸を刺しつらぬいて、水にたおれた。そして、すでになかば水にひたった朧を抱きしめると、ふたりのからだは、しずかに水にながれ出した。
 残光のなかに、鷹はひくく旋回し、ながれを追った。ゆるやかにとぶ鷹の下を、うら若いふたりの忍者は一つになって、波もたてずにながれ去る。
 その悲恋の屍が、青い月明の駿河灘へ、黒髪をもつれさせつつ漂い出したとき――そこまで悲しげに追ってきた鷹は、反転して北へとび去った。足につかんだ巻物に、甲賀伊賀の精鋭二十人の名は、すべてなかった。
 (甲賀忍法帖 了) 
  おことわり
本作品中には、(講談社文庫版の)十頁に始まり全二十五頁にわたり、せむし、盲、いざりなど身体障害に関する、今日では差別表現として好ましくない用語が使用されています。
しかし、江戸時代を背景にしている時代小説であることを考え、これらの「ことば」の改変は致しませんでした。読者の皆様のご賢察をお願いします。
〔初出〕
「面白倶楽部」(光文社)一九五八年一二月号~一九五九年一一月号連載
〔単行本〕一九五九年光文社刊
後、「山田風太郎忍法全集」第一巻(一九六三年小社)講談社ロマンブックス版(一九六七年)「山田風太郎全集」第四巻(一九七二年小社)角川文庫版(一九七四年)富士見時代小説文庫版(一九九三年富士見書房)「山田風太郎傑作忍法帖」第一巻(一九九四年小社)などで刊行。
〔底本〕
講談社文庫『山田風太郎忍法帖1 甲賀忍法帖』(一九九八年)
山田風太郎(やまだふうたろう)
一九二二年、兵庫県生まれ。東京医科大在学中の一九四七年、探偵小説誌「宝石」の第一回懸賞募集に「達磨峠の事件」が入選。一九四九年に「眼中の悪魔」「虚像淫楽」の二篇で日本探偵作家クラブ賞を受賞。一九五八年から始めた「忍法帖」シリーズでは『甲賀忍法帖』(本書)『魔界転生』等の作品があり、奔放な空想力と緻密な構成力が見事に融合し、爆発的なブームを呼んだ。その後、『警視庁草紙』等の明治もの、『室町お伽草紙』等の室町ものを発表。『人間臨終図巻』等の著書もある。二〇〇一年七月二八日、逝去。
甲賀忍法帖 山田風太郎忍法帖1
講談社電子文庫版PC 
山田風太郎 著
(C)Keiko Yamada 1959
二〇〇二年一〇月一一日発行(デコ)
発行者 野間佐和子
発行所 株式会社 講談社
    東京都文京区音羽二‐一二‐二一
    〒112-8001
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