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森見登美彦 - 四叠半神话大系

_7 森見登美彦(日)
 小津が四畳半へ置き去りにしていった香織さんをいつも眺めていなければならぬということや、羽貫さんに乳を押しつけられて顔を舐められかけたことなどが、不毛でありながらも静謐であった私の心のタガをゆるめたらしい。ようするに、人恋しさという病の発作が抑えがたくなったのである。
 私は樋口景子さんと香織さんを天秤《てんびん》にかけた。そもそも天秤にかけるべきではないという事実には目をつぶった。しかるに、「人形」と「人間」、この一字の違いはきわめて大きい。それに、たとえ手紙とはいえ、樋口景子さんとはもう半年にわたる付き合いである。さらに香織さんには「小津の犯罪」という厄介なシロモノがくっついている。天秤は大きく樋口景子さんへ傾いた。むしろ天秤にかけたせいで、それまで太平洋のように静かだった私の心は、かえって大きく揺れ動いた。
 結論から言えば、私は逢うことの許されぬはずの樋口景子さんの自宅へ足を向けてしまったのである。魔がさしたのだ。しかし、そこで彼女の自宅へ足を向けなかったら、そしてその神秘のベールに隠されていた恐るべき正体を見極めなかったら、おぞましいことになっていたのは明らかであり、どっちが良かったとも決めかねる。
 人恋しさに引きずられるようにして、私は白川通まで達した。広々とした白川今出川の交差点には多くの車が行き交っている。冷たい夕風が吹いていて、私は人恋しさをいっそう募らせた。横断歩道の反対側には哲学の道が奥へ続いていて、すっかり葉ばかりになった桜並木が夕日に照らされていた。
「どんなところに住んでいるか見るだけだ。逢おうっていうわけじゃないんだ」
 私はぶざまな言い訳をした。
 かくして私は、今まで一度たりとも近寄らなかった樋口景子さんの住所、禁断の「ホワイトガーデン浄土寺」へ向かった。
       ○
 白川通を南下し、浄土寺のバス停を見つけた。そこから町中に入った。
 手紙から住所は呑みこんでいるといっても、地図で確認したわけではないから、勘に頼るほかない。だんだん暮れかかる住宅街の中を、私はあてどなく歩いた。見つからないほうが良いという思いもどこかにあったので、わざわざ人に訊ねたりはしない。閑静な町中を歩いているうちに、樋口景子さんの静かな暮らしぶりが思い描かれ、それだけで慰められるような気持ちになった。
 三十分ほどもぶらぶら歩いていると、自分の紳士的でない振る舞いに反省の念も湧いてくる。やはり見つけないほうが良い。そろそろ日も暮れるし、帰ろうと思った。そのときになって、私は「ホワイトガーデン浄土寺」を見つけてしまった。
 こぢんまりとして身をひそめているような、まるで砂糖菓子のように白いマンションであった。私の下鴨幽水荘と比べたら、月とすっぽんだ。
 しかし彼女の住まいを見つけたからといって、どうすればよいのか分からない。さりげなく郵便受けを覗いてみたが、名札は出ていなかった。玄関はオートロックになっているから入ることはできないが、彼女が住んでいるはずの一階の廊下は塀越しに見ることができる。部屋番号は102だから、左端から二番目の部屋であろう。閉じたドアを見ているうちに、自分がひどく罪深いことをしているように思われて、彼女に見られないうちに立ち去らねばと思ったが、よく考えてみれば彼女も私を見たことがないのだから複雑な気持ちになった。
 私が人恋しさと自己嫌悪の間で絶え間なく揺れ動いていると、唐突に102号室のドアが開いた。身を隠そうとしたが、いきなり訪れた好機を敢えて振り捨てることができなかった。
 私は樋口景子さんを見た。
 そのとき私が見た樋口景子さんはとても不気味な顔をしていた。不摂生をしているらしく、月の裏側から来た人間のような顔をしている。他人の不幸を乞い願うような不吉な笑みを浮かべていて、妖怪ぬらりひょんと言うべきであろう。まるでもう小津である。小津と瓜《うり》二つである。むしろ、小津そのものである。小津本人である。
「神も仏もないものか」とは、こういうときに使うのだ。
 この私が間違えるはずがない。
 それは小津だった。
 混乱する私を尻目に、小津は悠々とオートロックを開けて、外へ出てきた。自転車置き場へ廻って、ダークスコルピオンと呼んでいる自転車を引っ張り出し、まるで私を嘲《あざけ》るかのようないやらしい笑みを浮かべ、白川通の方へ走っていった。
 その間、塀の陰に隠れていた私はぷるぷると震えていた。
 マンションはたしかに樋口景子さんの住む「ホワイトガーデン浄土寺」である。部屋の番号にも間違いはない。考えたくもないことだが、小津は樋口景子さんと知り合いなのであろうか。部屋を訪ねるほど親しい間柄なのであろうか。いや、そんな偶然を私は認めない。私がたまたま文通している相手と小津がねんごろであるなど、複雑な縁の結び方をするとは神様もおいたが過ぎるというものではないか。
 では、他にどんな理由が考えられるか。
 そのときになって私は、自分が小津の住処《すみか》を知らなかったことを思い起こした。ここが浄土寺であることを思い起こした。それから、二日前の深夜、木屋町の居酒屋で羽貫さんと交わした会話をたぐり寄せた。
「浄土寺のねえ」
「白川通からちょっと入ったところにある」
「砂糖菓子みたいにおしゃれな良い下宿」
 羽貫さんの言葉が正しいとすれば、ホワイトガーデン浄土寺102号室は小津の住処であるという結論が出る。そして樋口景子さんの下宿は小津の住まいと同一であるという事実を認めざるを得ない。そこから導き出される苦い結論を呑みこむには、多大な精神の力を必要とした。想像を絶する苦さに堪えるために、私は升一杯の角砂糖を欲した。
 樋口景子さんは存在しない。
 私は半年以上もの間、小津と文通していたのである。
       ○
 かくして私と樋口景子さんとの文通は唐突に終わりを告げた。
 これ以上残酷な締めくくりはあり得まい。
 私は暮れかかる町を蹌踉《そうろう》と歩いて大学へ戻り、下鴨幽水荘へ向かった。夕闇に黒々と聳《そび》える幽水荘は、やさぐれた私の心中を反映するかのように不気味な気配を湛えていた。
 玄関の引き戸を開けて廊下を歩いていくと、暗がりの中で何かがしゅっしゅっと音を立てている。近づいて見てみれば、炊飯器である。誰かが廊下の掃除用コンセントを利用して、飯を炊いていると見えた。かくも些細《ささい》な電気窃盗を許す心の余裕もそのときはなく、私は力任せにコンセントを引き抜いて誰かの夕餉をだいなしにして、音高くドアを閉め、我が四畳半へ居座った。
 荒涼たる四畳半の隅には、香織さんが相変わらず腰を下ろして読書に耽っている。羽貫さんとの夢は儚く消え、樋口景子さんは存在しないことが判明し、今の私に残されたのはこの寡黙な香織さんだけということになった。
 私は羽貫さんからお詫びにと渡されたカステラを取りだした。四畳半の真ん中でぽつんと一人、角張った菓子と対峙《たいじ》する。羽貫さんに押しつけられた乳の感触も、樋口景子さんと交わした数々の手紙も、何もかも忘れてカステラの晩餐《ばんさん》へ邁進《まいしん》すべしと心に決め、切り分けもせずにがぶりと喰《く》らいついた。
「俺の言うことをきかなかった報いだね」
 ジョニーが嘲笑《あざわら》った。
「うるさい、黙れ」
「羽貫さんの下宿で、さっさと俺に任せればよかったんだ。そうすれば少なくとも、またこんな四畳半へ閉じこめられる羽目にはならずにすんだんだぜ」
「そんなことは信じない」
「まあ、これで、今のあんたに残されたのは、この香織さんだけというわけだな」
「おまえ、何を考えている」
「おいおい、この後に及んでも紳士面をする気なのかい? もういいじゃないか。一緒に幸せになろうぜ。この際、もう贅沢は言わんよ。どうやら俺はあんたを買いかぶっていたようだ」
 ジョニーはどうやら香織さんに対し、何らかの不埒な振る舞いに及ぼうという魂胆らしいが、私は彼の暴走を食い止めようと躍起になった。ここで易きにつけば、羽貫さんのワンルームマンションで便所に立て籠もってまで守り通した名誉が水泡に帰す。香織さんが動けないのを良いことに「よいではないか」と時代劇の殿様のように彼女の身体をほしいままにしては、もはや私の誇りは保ち得ない。
 私とジョニーは押し問答を続けたが、香織さんは静かに読書に耽っている。
「あんたには呆れるばかりだ」とジョニーは投げやりに言った。
「悪いのは俺ではない。小津なんだ」
 私は呻いて、一人でカステラを食べ続けた。
 がぶがぶと喰っているうちに、一人で丸ごとのカステラを黙々と食べるという行為が、かえって私の孤独地獄を深めたのは当然であり、私は甘いカステラをもぐもぐやりながら悪鬼の形相となった。我が心の内にみるみる盛り上がる怒り。小津め。考えてみれば、羽貫さんといい、樋口景子さんと言い、ひょっとして私は小津の掌《てのひら》で踊っているだけではないのか。あの腐れ妖怪め。何が楽しくてそんなことをする? とは愚問であろう。小津の行動原理を自分の物差しではかるような益のないことをしてはなるまい。あれはただそういう男である。他人の不幸をおかずに飯が三杯喰える男だ。思えばこの二年、彼はそうやってさんざん私をおかずに美味《うま》い飯をむさぼり喰ってきたに違いない。
 薄々分かっていたが、今や明らかとなった。
 彼は万死に値する男だ。
 珈琲|挽《ひ》きにかけて粉々にしてやる。
 そう決意したとき、私の部屋の天井がゆらゆらと揺れた。
 上にある小津の師匠の部屋が騒がしい。言い合いをする声が聞こえる。誰かが足を踏み鳴らしている。壊れかけの蛍光灯が点滅しながら揺れて、蛾が飛び立ち、四畳半が明るくなったり暗くなったりした。まるで嵐の中にいるがごとき有様である。そうやって荒涼たる四畳半を精神的にさまよいながら、私は小津への呪いの言葉を怒鳴り散らした。ちくしょうめ、なんて盛りだくさんな暗黒の四日間。俺が泣くと思っているな、馬鹿な、泣くものか。泣きたい訳はいくらでもあるが、小津を粉々に打ち砕いてしまうまでは、決して泣きはせぬぞ。おお、ジョニー、俺は気が狂いそうだ。
「ともかくあんたにはもう何もできんさ。俺を阿呆よばわりして、紳士ぶっていた報いだよ。俺にはもう何も言うことはないね。このまま永遠に四畳半世界を俺と二人で彷徨《さまよ》うだけのことだ」私の傍らを離れないジョニーが言った。「こんな四畳半では利口も阿呆もみじめなものさ」
「それは同意する。みじめなもんだ」
「ならば、たとえフェイクでも、ささやかな幸せを香織さんから頂こうぜ」
 ジョニーはここぞとばかりに私を説得しようとする。
 本棚に凭れて『海底二万海里』を読んでいる香織さんを見つめた。黒髪がさらさらとして、澄んだ目はまっすぐに頁へ向かっている。愛の形は多様だとはいうものの、ここまで閉鎖的な愛の迷路に迷いこんだら、帰り道が分からなくなるのは必定である。不器用な私にはなおのことだ。ジョニーの囁きと香織さんの静謐な横顔に惑わされ、なけなしの名誉をかなぐり捨てて、はたしておまえはそれでいいのか。
 目眩《めくるめ》く自問自答の嵐に揉まれつつ、私は手を伸ばして香織さんの髪に触れてみた。
 そのとき、二階でどたばた暴れていた誰かが階下におりてくる音が聞こえた。そのまま幽水荘から出て行くのかと思いきや、廊下をこちらへ進んでくる。
 おや何かしらんと思ったとたんに、部屋のドアが蹴破《けやぶ》られた。
「おまえかッ」
 怒り狂った男が踏みこんできた。
 後から把握したことだが、その男こそ、香織さんの持ち主であり、小津の師匠と「自虐的代理代理戦争」なる謎めいた争いを続けている城ヶ崎氏であった。
       ○
 小津に対して共同戦線を張ってしかるべき二人が、そこで初めて対面したわけだが、それは和やかな握手ではなく、火花散る殴り合いから始まった。私は腕力に訴えるのを潔しとしなかったため、より正確に言えば一方的に私が殴られたわけである。
 何のことやら分からないまま私は四畳半の隅へ吹っ飛ばされ、揺れたテレビからお気に入りの招き猫が転げ落ちた。先ほどまで香織さんへ向けて不穏に蠢いていたジョニーは「きゃああ」と幼子のような悲鳴を上げて物陰に隠れた。我が子ながら逃げ足の速いやつ。
 私の前に仁王立ちする男の後ろから、もう一人、小津の師匠と言っていた浴衣の男が悠然と入ってきた。それを押しのけて息を切らせて走りこんできたのは、女性である。どこかで見たことがあるが思いだせなかった。
「城ヶ崎さん」と彼女は声を上げた。「いきなり殴るのは、やや無茶です」
 彼女は私を助け起こした。
「大丈夫ですか? すいません。ちょっと誤解が」
 いきなりドアを蹴破られて一発お見舞いされるという非文明的な仕打ちを受ける心当たりはなかった。私はようよう起きあがり、彼女が水で濡らしてくれたハンカチを殴られた顎に当てた。彼女はテレビから転げ落ちた招き猫を拾い上げ、「突然おじゃまして御免なさい。私、明石という者です」と名乗った。
「城ヶ崎、根本的な誤解があるよ」
 小津の師匠がのんびりと言った。
「こいつも一枚|噛《か》んでるんじゃないのか?」
 城ヶ崎氏は疑わしそうに言った。
「違います。この人は小津さんに巻きこまれただけです」明石さんが言った。
「悪かったな」と城ヶ崎氏は私に謝ったものの、早々に香織さんの方へ向き直った。彼は彼女の無事を確認して安心したらしい。手を伸ばして、まるで我が子を慈《いつく》しむように彼女の髪を撫でていた。もし不埒な行為に及んでいれば……と考えると恐ろしい。おそらく城ヶ崎氏は怒髪天をつく怒りに駆られ、私を簀巻《すま》きにして鴨川に沈めたであろう。
 城ヶ崎氏と香織さんの感動の対面が行われている間、小津の師匠は私の椅子に我が物顔に座って悠々と葉巻を吹かし、こちらへ事情を説明してくれる風もない。
 私はまったく蚊帳の外であった。
       ○
「今回のことは小津の暴走ということで丸くおさめてくれないか」
 師匠は言った。「我々もここまでするつもりはなかったんだ」
「とりあえず香織も無事に戻ったことだし、これで終わらせてもいい。だが、小津とはきちんと話をつけるつもりだ。あいつ、俺の部屋に不法侵入しやがった」
 城ヶ崎氏は強く言った。私に負けず劣らずの怒りが渦巻いている。
「小津なら、もうすぐここへ来るはずだ。煮るなり蒸すなり好きにしてくれたまえ。煮ても蒸しても喰えないやつだが」
 師匠は無責任なことを言っている。
「そうですね。もとはといえば小津さんが原因なのですから、報いを受けて然《しか》るべきでしょう」明石さんが言う。
 私は事態を呑みこみ、改めて小津への怒りをたぎらせた。こうして酷《ひど》い目にあわされた城ヶ崎氏を目の当たりにしていると、怒りもまた一段と味わい深くなる。
「あ、カステラではないか」
 小津の師匠が、私が孤独に喰い散らかしたカステラを見つけた。物欲しそうな目つきをするので、齧っていない端を切り分けて進呈すると、彼はもぐもぐと頬張った。
 城ヶ崎氏はカステラを喰っている師匠を睨んだ。
「それにしてもふざけた話だぜ。小津はこちらへ寝返ったとばかり」
「甘いな。小津がそんな一筋縄でいく男だと思うか」
 樋口氏は莞爾《かんじ》と笑ってから、立ち上がった。「さて、私はいったん部屋に戻ろうかな」
「それにしても、香織をどうやって持って帰ったらいいんだ」と城ヶ崎氏。
「小津さんは誰かから車を借りたらしいです」明石さんが言った。
「呆れたやつだ。ちょっと申し訳ないけど、車を準備するまで預かっておいてもらえますか。今夜中に手配するから」
 城ヶ崎氏は私に頭を下げた。
「かまいませんよ」
 私は頷いた。
 小津の師匠が一足先に私の四畳半から廊下へ出た。玄関を眺めて葉巻を吹かしていたが、ふいに「おお」と声を上げた。
「小津や、こっちこっち。ちょっとこっちへおいで」
 彼はそう言って手招きしている。
 城ヶ崎氏と私はほぼ時を同じくして立ち上がり、部屋に踏みこんできた小津を粉砕すべく拳を握った。
「師匠、こんなムサクルシイところで何をやってらっしゃるの?」
 小津はそう言いながら私の部屋を覗きこみ、怒りに膨れあがって仁王立ちしている我々を見つけたとたん、身を翻して廊下を駆けだした。彼の逃走本能はいち早く危機を察知したらしい。走りながら、さきほど私がコンセントを引き抜いた炊飯器を蹴り飛ばした。ぼうんぼうんと大きな音を立てて、炊飯器が廊下を転がってゆく。
「ごめんなさいごめんなさい」
 小津は走りながら謝っていた。謝るぐらいならばはじめから何もせぬがよかろう。
「コノヤロウ」
 城ヶ崎氏と私は怒号を上げて、小津の後を追った。明石さんと師匠もそれに続いた。
       ○
 小津は逃げ足だけは天下一品なので、夜の下鴨泉川町を軽やかな妖怪のように駆け抜けて行く。全力を尽くして走ったが、城ヶ崎氏はぐんぐん先へゆく。夕闇に明かりを投げかけている下鴨茶寮を過ぎて出町柳駅の方へ向かうあたりでは、私は真っ白に燃え尽きかけていた。
 自転車に乗った明石さんが追いついてきた。
「賀茂大橋で挟み撃ちしましょう。橋の西側に廻って下さい」
 彼女は冷静にそう言い残すと、小津の先へ廻るべく、ぎいっこんとひときわ大きな音を立てて走り去った。その後ろ姿に、私はやや惚れ惚れとした。
 ともすれば地面に崩れ落ちて自分で自分を誉めそうになる衝動を堪えて、私は葵公園まで辿り着いた。すでに小津と城ヶ崎氏は川端通の方へ廻ったらしい。私は鴨川デルタを目前にして、出町橋を西へ渡り、そこから鴨川の土手を南へ走り抜けた。賀茂大橋の西詰へ駆け上った。
 すでにあたりは藍《あい》色の夕闇に没している。鴨川デルタは大学生たちが占拠して賑やかである。新入生歓迎の宴をやっているのであろう。思えば、そんなものにも無縁の二年間であった。先日までの雨で水嵩《みずかさ》が増した鴨川はどうどうと音を立て、ぽつぽつと灯《とも》る街灯の光が照り映えて川面は銀紙を揺らしているように見える。日も暮れた今出川通は賑やかで、車のヘッドライトやテールランプがぎらぎらと賀茂大橋に詰まっている。橋の太い欄干に点々と備えつけられた燈色《だいだいいろ》の明かりがぼんやりと夕闇に輝いているのが神秘的であった。今宵《こよい》はやけに賀茂大橋が大きく感じられる。
 息切れしながら橋を歩いていくと、向こうから小津が逃げてくる。明石さんがうまく賀茂大橋へ誘いこんだらしい。小津を陥れたことに私は深い満足を覚えた。「小津ッ!」と両手を広げて叫ぶと、彼は苦笑いして立ち止まった。
 城ヶ崎氏は東詰から賀茂大橋へ入ってきたが、彼も気息奄々《きそくえんえん》たる様子である。一緒に明石さんもやってくる。私が小津を追いつめたのは橋の中央であり、真下を鴨川が流れている。南を見やると、黒々とした鴨川の流れの果てに、遠く四条界隈の街の明かりが宝石のように煌めいていた。
「助けてくださいな。あなたと僕の仲でしょう」
 小津が両手を合わせて言った。
「樋口景子さん、長いあいだ文通してくれてありがとうよ。楽しかった」
 私は言った。
 小津は一瞬、何のことかという顔をしたが、すぐに観念したらしい。「悪気はなかったんですよ」と言った。「僕はいつだって悪気はないんだ」
「純粋な俺をもてあそびやがって。問答無用だ。ぶち殺してやる」
「ぶって、しかも殺すなんて、あなた。そんな恐ろしいことを」
 そこへ城ヶ崎氏と明石さんが追いついてきた。
「小津よ、話がある」
 城ヶ崎氏が重々しい口調で言った。
 追いつめられたはずなのに、小津は不敵な笑みを浮かべた。
 ふいに彼は賀茂大橋の欄干に手をかけると、ひらりと飛び乗った。欄干に点いている橙色の明かりが小津の顔を下から照らしだし、彼は近年まれに見るほどの不気味さを見せた。あたかも天狗のごとく、空を飛んで逃げるつもりかと思われた。
「僕に何かしようと言うんなら、ここから飛び降りてやる」
 小津はわけのわからないことを言った。「身の安全が保証されないかぎり、そちらへは降りないぞ」
「身の安全なんぞ要求できる立場だと思っているのか、このぼけなす」
 私は言った。
「自分のやったことを考えてみろ」と城ヶ崎氏が声を合わせる。
「明石さん、何とか言って下さいよ。僕は君の兄弟子だよ」
 小津は甘えた声で懇願したが、明石さんは肩をすくめた。
「弁護の余地がありません」
「そんな風にそっけない君が好きですよ、僕は」
「おだてても駄目です」
 小津は欄干の縁へ足をずらした。夜空へ飛び立とうとするかのように両手を広げた。「もういい。飛び降りてやる」と喚《わめ》いた。
「分かった。飛び降りろ。いますぐ飛び降りろ」私は言った。
 そのまま鴨川の濁流に呑まれてしまえ。それで私にもようやく静謐な日々が訪れる。
「飛び降りられるわけがない」と城ヶ崎氏が小馬鹿にしたように言った。「自分がいちばん可愛いくせに」
「なんの。飛び降りてみせる」小津は言い張った。
 言い張るわりには小津はなかなか飛び降りない。
 そうやって押し問答を続けていると、橋の北にある鴨川デルタで悲鳴が上がった。浮かれていた大学生たちが何か大騒ぎをして逃げ惑い始めた。
「あれは何?」
 小津が欄干に立ったまま首をかしげている。
 思わず欄干に手をかけて見ると、葵公園の森から鴨川デルタにかけて黒い靄《もや》のようなものがぞわぞわぞわと広がり、眼下にあるデルタの土手をすっぽり覆う勢いである。その黒い靄の中で若人たちが右往左往している。手をばたばた振り回したり、髪をかきむしったりして、半狂乱である。その黒い靄はそのまま川面を滑るように流れて、こちらへ向かってくるらしい。
 鴨川デルタの喧噪は一層激しくなる。
 松林からはどんどん黒い靄が噴きだしてくる。ただ事ではない。ぞわぞわぞわぞわぞわぞわぞわぞわぞわと蠢く黒い靄が絨毯《じゆうたん》のように眼下に広がったと思うと、川面からどんどんせり上がってきて、ぶわっと欄干を乗り越え、賀茂大橋に雪崩《なだ》れこんだ。
「ぎょええええ」と明石さんがマンガのような悲鳴を上げた。
 それは蛾の大群であった。
       ○
 翌日の京都新聞にも載ったことであるが、その蛾の異常発生について、詳しいことはよく分からなかった。蛾が飛んだ道筋を逆に辿ると、糺の森すなわち下鴨神社まで到達するらしいが、判然としない。糺の森に棲《す》んでいた蛾が何かの拍子でいっせいに移動を始めたとしたにせよ、納得のいく説明はない。公式の見解とは別に、どうも発生源は下鴨神社ではなく、その隣の下鴨泉川町だという噂もあるが、それだと話はますます不可解になる。その宵、ちょうど私の下宿のあるあたりの一角が蛾の大群でいっぱいになり、一時騒然としたという。
 その夜、下宿に戻ったとき、廊下のところどころに蛾の死骸《しがい》が落ちていた。鍵をかけ忘れてドアが半開きになっていた私の部屋も同様だったが、私はうやうやしく彼らの死骸を葬った。
       ○
 顔にばたばたとぶつかって鱗粉《りんぷん》をはね散らし、時には口の中まで押し入ろうとする蛾の大群を押しのけつつ、私は明石さんのそばに寄り、じつに紳士らしく彼女をかばった。こんな私もかつてはシティボーイであり、昆虫風情と同居することを潔しとしなかったが、二年間あの下宿で種々雑多な節足動物と慣れ親しむ機会を得て、すっかり虫に慣れていた。
 そうは言っても、そのときの蛾の大群は常識をはるかに越えていた。ものすごい羽音が我々を外界から遮断し、まるで蛾ではなく、羽根をもった小妖怪のたぐいが橋の上を通り抜けているように思われた。ほとんど何も見えない。うっすらと眼を開けた私が辛うじて見たものは、賀茂大橋の欄干にある橙色の電燈のまわりを乱舞する蛾の群れであり、明石さんの艶々《つやつや》光る黒髪であった。
 大群がようやく行き過ぎても、置いてけぼりをくらった蛾たちがばたばたとあちこちで飛び回っていた。明石さんは顔面|蒼白《そうはく》になりながら立ち上がり、狂ったように全身をはたいてまわり「くっついてませんかくっついてませんか」と叫び、それから路上でじたばたする蛾から逃れようと恐ろしい速さで賀茂大橋の西詰へ走っていった。そうして、夕闇の中へ柔らかな光を放つカフェの前でへたりこんだ。後ほど知ったことだが、明石さんは蛾が大嫌いだったらしい。
 蛾の大群はまた黒い絨毯となって、鴨川を四条の方へ下っていった。
 ふと気づけば、私の傍らに城ヶ崎氏が立ち尽くし、乱れた髪の毛にからまって暴れる蛾も気にならないようである。
 私は橙色の明かりが点々とならぶ、賀茂大橋の上を見回した。
 まるで蛾の大群に乗って華麗に飛び去ったかのように、欄干に立っていたはずの小津が消えていた。
「あいつ、本当に落ちた」
 城ヶ崎氏が呟き、欄干に駆け寄った。
       ○
 私と城ヶ崎氏は賀茂大橋の西詰から土手を駆け下りた。目の前を左から右へ、鴨川が滔々《とうとう》と流れている。水嵩が増してふだんは藪《やぶ》になっているところまで水に浸っており、いつもよりも川幅が広かった。
 我々はそこから水に入り、濡れそぼちながら賀茂大橋の橋下へ近づいていった。橋脚の蔭《かげ》で何かがうごうごしていた。小津はそこへ汚物のようにへばりついて、身動きがとれなくなっているらしい。水は深くないが、流れは急であり、城ヶ崎氏はつるりと足を滑らせて川下へ流されかけた。
 さんざん苦労して、我々は小津らしき物体のところへ辿り着いた。
「この阿呆め」
 私が水しぶきを浴びながら怒鳴ると、小津はひいひいと泣き笑いした。「この哀れな姿に免じて、許して下さい」
「いいから黙ってろ」城ヶ崎氏が言った。
「はい、先輩。なんだか右足がとても痛いです」
 小津は素直に言った。
 城ヶ崎氏の手を借りて、私は小津の身体を担ぎ上げた。「痛い痛い、もうちょっと丁寧に運んで下さい」と贅沢なことを要求するのを無視して、我々はとりあえず河原まで彼を運んだ。遅れて河原へ下りてきた明石さんは、蛾の大群に揉まれた衝撃で顔面蒼白ではあったものの、抜かりなく救急車を呼んでいた。119番へ電話をかけた後、彼女は河原のベンチに腰かけて青い頬を押えた。我々は小津を丸太のように転がし、濡れた衣服を乾かしながら寒さに震えた。
「痛いよう痛いよう。とても痛い。なんとかして」小津は呻いた。「うぎぎ」
「やかましい。欄干なんぞにのる方が悪い」
 私は言った。「もう少しで救急車が来るから我慢しろ」
 呻く小津の傍らに跪《ひざまず》いた城ヶ崎氏を見れば、怒りのやり場に困っている。さすがの私も、足の骨を折っている小津を下鴨幽水荘へ運んで珈琲挽きにかけて粉々にする気にはなれない。
 やがてふわりと河原に降り立ったのは小津の師匠である。下鴨幽水荘から悠々歩いて来たらしい。
「なんだ、どこにいるのかと思ったら」
「小津が怪我したよ、樋口。これは折れてるぞ」と城ケ崎氏。
「情けないやつめ」
「師匠、師匠のためにこんな目にあったのに」小津が情けない声で言った。
「小津、貴君はなかなか見所があるよ」
「師匠、ありがとうございます」
「しかし師匠のために骨を折るとはいったって、本当に折ることはないだろう。貴君は救いがたい阿呆だな」
 小津はしくしく泣いた。
 五分ほどして救急車が賀茂大橋のたもとへ到着した。
 城ヶ崎氏が橋へ駆け上がって救急隊員と共に降りてきた。救急隊員たちはプロの名に恥じぬ手際で小津をくるくると毛布に包んで担架に乗せた。そのまま鴨川に放りこんでくれれば愉快千万であったが、救急隊員は怪我をした人間には分け隔てなく哀憐《あいれん》の情を注いでくれる立派な方々である。小津は彼の悪行には見合わないほどうやうやしく救急車へ運び上げられた。
「小津には私がついていこう」
 小津の師匠が言い、悠々と救急車に乗りこんだ。
 やがて救急車は走り去った。城ヶ崎氏はすでに小津のことは頭から去ったらしく、香織さんを迎える車を準備すると言って河原から去っていった。
 後にはベンチに腰かけて蒼《あお》い顔を抱えている明石さんと、濡れた私だけが残された。
「大丈夫ですか?」
 私は彼女に尋ねた。
「蛾は本当にだめなのです」
 彼女は呻いた。
「お茶でも飲んで落ち着きますか?」
 決して卑怯《ひきよう》にも蛾が苦手という彼女の弱点を利用して、あわよくばなどと不埒なことを考えたわけではない。顔面蒼白になっている彼女のためを思えばこそである。
 私は手近な自動販売機で缶珈琲を買ってきて、彼女と二人で飲んだ。だんだん彼女も落ち着いてきたらしい。私は小津との腐れ縁について語った。そしてここ数日に判明した小津の悪行についても語った。樋口景子という架空の乙女の名を騙《かた》り、私の心をもてあそんだ罪は万死に値すると私は憤ったのであるが、「ごめんなさい」と彼女がふいに謝った。
「申し訳ないですが、それには私も荷担させていただきました。最近、小津さんに頼まれて代筆していたんです」
「なんと」
「お薦めになっていた『海底二万海里』も読みましたよ」
 彼女は涼やかに微笑んだ。
「あなたのお手紙は良いお手紙でした。嘘も多いようでしたが、お上手でした」
「ばれましたか」
「もちろん、こちらも嘘でしたからおあいこですね」
 彼女は言った。
 それから彼女は、まだ蒼ざめている頬に微笑みを浮かべ、「下鴨神社の古本市でお会いしましたね」と思いがけないことを言った。
「憶えていますか?」
       ○
 あれは一年前、夏の下鴨神社の古本市だった。
 参道のわきにある南北に長くのびた馬場に古本屋のテントがひしめき、本を漁《あさ》る人々が大勢歩いていた。下鴨幽水荘から足を延ばせばすぐということもあって、私は連日のごとく通ったのである。
 木漏れ日の中でラムネを飲んで、夏の風情を心ゆくまで味わったあと、両側に連なる古本屋の出店を冷やかしながら歩いていった。どこに目をやっても、古ぼけた書籍がみっちりと詰まった木箱が並んでいて、いささか目が廻る。毛氈《もうせん》を敷いた床机が並んでいて、私のように古本市酔いを発症したらしい人々が行き場を失ってうなだれていた。私もそこへ腰かけて放心した。八月のことなので蒸し暑く、私はハンカチで額の汗をぬぐっていた。
 目の前に河原町に店舗を持つ「峨眉書房」という古本屋が出店していた。店先に置いてあるパイプ椅子に腰かけて、理知的な眉《まゆ》をひそめて店番をしている女性がいた。
 私が床机を立って、峨眉書房の本棚を物色しながら彼女に目を合わせると、彼女は軽く頭を下げた。私はジュールヴェルヌの『海底二万海里』を買った。そのまま歩み去ろうとすると、彼女が立ち上がって追いついてきた。
「これ、お使い下さい」
 彼女はそう言って、古本市の文字が入った団扇《うちわ》をくれた。
 それが明石さんだったのである。
 汗に濡れた顔をぱたぱたと扇《あお》ぎながら、『海底二万海里』をぶら下げて、糺の森を抜けていったことを思いだした。
       ○
 城ヶ崎氏はその夜のうちに香織さんを取り戻して、ふたたび静謐な愛の生活を営み始めた。
 小津から聞くところによれば、彼は人間の女性にも人気が高く、サークルに所属していたときには思うままに女性遍歴を重ねていたという。彼の美貌ならば分からぬでもない。分からないのは、それほど現実の女性関係に事欠かない人間が、なぜ香織さんに執着するのかということである。香織さんと暮らすこと二年というから、筋金入りと言えよう。
「あれは人形を大切にして暮らすことに意味があるんです。だから女性と付き合うこととはまた別問題なのです。あなたのように性欲処理の道具にしか見ていない野人には分からないでしょうが、ひじょうに高尚な愛の形です」
 小津は講釈を垂れた。
 四日間香織さんと一緒に暮らした経験から考えてみれば、分かる気もするのだが、私のような不器用な人間が足を踏み入れるべき境地ではなかろう。私はやはり人間の黒髪の乙女を選ぶ。たとえば明石さんのような。
 小津の師匠は相変わらず下鴨幽水荘の二階に住んでいるので、ときおり顔を合わせる。紺色の浴衣を着こんで、悠然たる隠居ぶりである。明石さんは彼のもとへ出入りしている。「師匠はそれなりに立派です。あくまでそれなりに」というのは彼女の評価である。私も彼から「いっそ弟子になったらどうか」と言われたので、思案している。まず気に入らないのは、「何の弟子になるのか」ということが皆目分からない点である。次に気に入らないのは、小津の弟弟子になってしまうことだ。
 先日は樋口氏の部屋で鍋を喰い、羽貫さんとも顔を合わせた。
「スモールワールドね」
 羽貫さんは言った。
「香織さん誘拐事件」の原因となった、城ヶ崎氏と樋口氏の争いについては、私は詳しいことを知らない。ともあれ、香織さんを盗みだすのは「禁じ手」とされたようだ。小津が入院している間は、明石さんが小津の役割を華麗に代行し、城ヶ崎氏の自転車を一夜のうちに五輪車に作り替えてみせた。
       ○
 あの出来事以来、明石さんとは親しくなった。
 結果から見れば小津の悪行が吉と出たことになる。だからといって、彼の悪行の数々を許す気はない。英会話学校で喋る世間話の種を得たというだけでは、とうてい引き合わぬ。しかしクラスメイトたちは、この最新ニュースを拍手喝采で迎えることであろう。
 私と明石さんの関係がその後いかなる展開を見せたか、それはこの稿の主旨から逸脱する。したがって、そのうれしはずかしな妙味を逐一書くことはさし控えたい。読者もそんな唾棄すべきものを読んで、貴重な時間を溝《どぶ》に捨てたくはないだろう。
 成就した恋ほど語るに値しないものはない。
       ○
 今や多少の新展開が私の学生生活に見られたからと言って、私が過去を天真爛漫に肯定していると思われては心外である。私はそう易々と過去のあやまちを肯定するような男ではない。確かに、大いなる愛情をもって自分を抱きしめてやろうと思ったこともあったが、うら若き乙女ならばともかく、二十歳過ぎたむさ苦しい男を誰が抱きしめてやりたいものか。そういったやむにやまれぬ怒りに駆られて、私は過去の自分を救済することを断固拒否した。
 あの運命の時計台前で、ソフトボールサークル「ほんわか」を選んだことへの後悔の念は振り払えない。もしあのとき、ほかの道を選んでいればと考える。映画サークル「みそぎ」を選んでいれば、あるいはあの奇想天外な弟子募集に応じていたら、あるいは秘密機関〈福猫飯店〉に入っていたら、私はもっと別の二年間を送っていただろう。少なくとも今ほどねじくれていなかったのは明らかである。あわよくば幻の至宝と言われる「薔薇色のキャンパスライフ」をこの手に握っていたかもしれない。いくら目を逸《そ》らそうとて、あらゆる間違いを積み重ねて、二年間を棒に振ったという事実を否定することはできまい。
 なにより、小津と出会ってしまったという汚点は生涯残り続けることであろう。
       ○
 小津は大学のそばにある病院に入院していた。
 彼が真っ白なベッドに縛りつけられているのは、なかなか痛快な見物であった。もともと顔色が悪いので、まるで不治の病にかかっているように見えるのだが、その実は単なる骨折である。骨折だけで済んだのが幸いと言うべきだろう。彼が三度の飯よりも好きな悪行に手を染めることもできずにぶうぶう言っている傍らで、私はざまあみろと思ったのであるが、あまりぶうぶううるさいときには見舞いのカステラを口に詰めこんで黙らせた。
「これに懲りて、人にいらんちょっかいをだすのはやめるんだな」
 私がカステラを頬張りながら言うと、小津は首を振った。
「お断りです。それ以外に僕がすべきことなんか何もないですからな」
 どこまでも性根の腐ったやつ。
 いたいけな私をもてあそんで何が楽しいのかと詰問した。
       ○
 小津は例の妖怪めいた笑みを浮かべて、へらへらと笑った。
「僕なりの愛ですわい」
「そんな汚いもん、いらんわい」
 私は答えた。
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  最終話 八十日間四畳半一周
 大学三回生の春までの二年間、実益のあることなど何一つしていないことを断言しておこう。異性との健全な交際、学問への精進、肉体の鍛錬など、社会的有為の人材となるための布石の数々をことごとくはずし、異性からの孤立、学問の放棄、肉体の衰弱化などの打たんでも良い布石を狙い澄まして打ちまくってきたのは、なにゆえであるか。
 責任者に問いただす必要がある。責任者はどこか。
 私とて誕生以来こんな有様だったわけではない。
 生後間もない頃の私は純粋|無垢《むく》の権化であり、光源氏の赤子時代もかくやと思われる愛らしさ、邪念のかけらもないその笑顔は郷里の山野を愛の光で満たしたと言われる。それが今はどうであろう。鏡を眺めるたびに怒りに駆られる。なにゆえおまえはそんなことになってしまったのだ。これが現時点におけるおまえの総決算だというのか。
 まだ若いのだからと言う人もあろう。人間はいくらでも変わることができると。
 そんな馬鹿なことがあるものか。
 三つ子の魂百までと言うのに、当年とって二十と一つ、やがてこの世に生をうけて四半世紀になんなんとする立派な青年が、いまさら己の人格を変貌《へんぼう》させようとむくつけき努力を重ねたところで何となろう。すでにこちこちになって虚空に屹立《きつりつ》している人格を無理にねじ曲げようとすれば、ぽっきり折れるのが関の山だ。
 今ここにある己を引きずって、生涯をまっとうせねばならぬ。その事実に目をつぶってはならぬ。
 私は断固として目をつぶらぬ所存である。
 でも、いささか、見るに堪えない。
       ○
 三回生になったその春、私は四畳半に籠《こ》もって暮らしていた。
 五月病にかかったわけでもなく、世間が恐ろしくなったわけでもない。四畳半に立て籠もって外界と隔絶し、静謐《せいひつ》な空間において己を今一度鍛え直すためである。不毛な二年間を過ごして未来に泥を塗ったうえ、単位は決定的に足りなかった。漠然と三年目を迎えるにあたって、私が大学に求めるものは何もなかった。厳しい修行のすべてはここ、四畳半で行われなければならぬと信じた。
 寺山修司《てらやましゆうじ》はかつて、書を捨てて街へ出ろと言ったそうだ。
 しかし当時の私は思っていた―街に出て何をしろというのだ、この私に。
       ○
 この手記は、四畳半という存在について、世人にとってはきわめて不必要な思索を巡らせるために書かれる。先頃、妙な巡り合わせで数え切れない四畳半を延々と渡り歩く羽目になって、その間、華厳《けごん》の滝から飛び降りたくなるほど四畳半について考えることを余儀なくされたからである。
 四畳半をひどく愛する私は、一部で「四畳半主義者」という名をほしいままにしてきた。私の行くところ、敬意を払わぬ人はなく、誰もが憧《あこが》れの眼差しを向けた。「あの人が噂の四畳半主義者よ」「あらまあ、言われてみればどことなく高貴な……」などと黒髪の乙女たちは囁《ささや》きあった。
 しかし、そんな四畳半主義者の私も、ついに四畳半から外へ出る時が来た。
 これほど四畳半を支持してきた男が、なにゆえそこから追われることになったのか。
 その経緯を今から語ろうというわけである。
       ○
 この手記の主な登場人物は私である。
 まことにやるせないことながら、ほとんど私だけである。
       ○
 大学三回生になった五月の終わりである。
 私が起居していたのは、下鴨泉川町にある下鴨幽水荘という下宿である。聞いたところによると幕末の混乱期に焼失して再建以後そのままであるという。窓から明かりが漏れていなければ、廃墟《はいきよ》同然である。入学したばかりの頃、大学生協の紹介でここを訪れたとき、九龍城に迷いこんだのかと思ったのも無理からぬ話だ。今にも倒壊しそうな木造三階建て、見る人をやきもきさせるおんぼろぶりはもはや重要文化財の境地へ到達していると言っても過言でないが、これが焼失しても気にする人は誰もいないであろうことは想像に難くない。東隣に住んでいる大家ですら、いっそせいせいするに違いない。
 忘れもしない、あの「冒険旅行」に出る前夜のことであった。下鴨幽水荘110号室にて、一人でふくれっ面をして遊んでいた私を、小津が訪ねてきた。
 小津とは一回生の頃に知り合って以来、腐れ縁が続いていた。秘密組織〈福猫飯店〉から足を洗い、他人と交わることを潔しとせず孤高の地位を保っている私にとって、長く付き合っているのはこの腐れへっぽこ妖怪《ようかい》のような男のみであった。私は彼によって自分の魂が汚染されることを厭《いと》いながらも、なかなか袂《たもと》を分かつことができないでいた。
 彼は下鴨幽水荘の二階に住んでいる樋口清太郎という人物を「師匠」と呼んで足繁く通っていたのだが、そのついでにいちいち私の部屋へ顔をだすのであった。
「相変わらずむっつりしてますな」と小津は言った。「恋人もいない、大学にも行かない、友だちもいない、あなたはいったいどういうつもりだ」
「おまえ、口に気をつけないとぶち殺すぞ」
「ぶって、しかも殺すなんてあなた。そんなひどいことを」
 小津はにやにやした。
「そういえばおとといの夜、あなたいなかったでしょう。わざわざ来たのに」
「おとといの夜は、たしか漫画喫茶へ出かけて勉強に励んでいた」
「香織さんっていう女性を紹介しようと思って連れて来たんだけど、あなたはいないし、仕方がないからほかに連れて行きました。残念でしたね」
「おまえの紹介なんかいらぬ」
「まあまあ、そんなにふてくされないで。そうだ、これあげます」
「なんだこれ」
「カステラです。樋口師匠からたくさんもらったので、おすそ分け」
「珍しいな。おまえがものをくれるなんて」
「大きなカステラを一人で切り分けて食べるというのは孤独の極地ですからね。人恋しさをしみじみ味わって欲しくて」
「そういうことか。ああ、味わってやる。飽きるほど味わってやるとも」
「そういえば羽貫さんから聞きましたぜ。歯医者に行ったそうじゃないですか」
「うむ。ちょっとな」
「やっぱり虫歯だったんでしょ」
「いや、違う。もっと深遠な病だ」
「嘘つけ。羽貫さんが言ってましたよ、あんなになるまで放っておくのは阿呆《あほ》だって。親《おや》不知《しらず》が半分無くなってたそうじゃないですか」
 私が逃げだした組織〈福猫飯店〉に小津はまだ在籍していて、今は頂点に君臨している。そのうえ、ほかにも幅広く活動していることを仄《ほの》めかす。その精力を世のため人のために役立てることができればと誰もが考えるであろうが、彼は「世のため人のため」と考えたとたんに手足の関節が動かなくなると言った。
「どうやって育ったら、そんな風になるのだ」
「これも師匠の教育のたまものですよ」
「なんの師匠なんだよ」
「一言ではとても言えませんなあ。深遠ですから」
 小津はあくびをして言った。
「そうそう、師匠がタツノオトシゴを欲しがったときにね、ゴミ捨て場で大きな水槽を見つけて、持っていったのです。試しに水を入れてみたら、途中で水が怒濤《どとう》のように漏れだして大変な騒ぎになっちゃった。師匠の四畳半が水浸し」
「待てよ、おまえの師匠の部屋は何号室だったっけ?」
「この真上です」
 私はふいに怒り心頭に発した。
 いつか、私の留守中に二階から水漏れがしたことがあった。帰ってきてみれば、したたり落ちた水が貴重な書籍類を猥褻《わいせつ》非猥褻のへだてなくふやけさせていた。被害はそれだけにとどまらず、水に浸ったパソコンからは貴重なデータが猥褻非猥褻のへだてなく電子の藻屑《もくず》と消えた。この出来事が、私の学問的退廃に追い打ちをかけたことは言うまでもない。よっぽど抗議に行こうかと思ったが、私は正体不明の二階の住民とかかわり合いになる面倒を厭い、あのときはうやむやにしてしまった。
「あれはおまえの仕業か」
「猥褻図書館が水浸しになったぐらい大した被害じゃないでしょ」
 小津はぬけぬけと言うのであった。
「もう、とっとと出て行け。俺は忙しいんだ」
「出て行きますとも。今宵《こよい》は師匠のところで闇鍋《やみなべ》の会があるのです」
 にやにや笑う小津を廊下の外へ蹴《け》りだして、ようやく心の平安を得た。
 そうして、一回生の春のことを思いだした。
       ○
 当時、私はぴかぴかの一回生であった。すっかり花の散りきった桜の葉が青々として、すがすがしかったことを思いだす。
 新入生が大学構内を歩いていればとにかくビラを押しつけられるもので、私は個人の情報処理能力を遥《はる》かに凌駕《りようが》するビラを抱えて途方に暮れていた。その内容は様々であったが、私が興味を惹《ひ》かれたのは次の四つであった。映画サークル「みそぎ」、「弟子求ム」という奇想天外なビラ、ソフトボールサークル「ほんわか」、そして秘密機関〈福猫飯店〉である。おのおの胡散臭《うさんくさ》さには濃淡があるものの、どれもが未知の大学生活への扉であり、私は好奇心でいっぱいになった。どれを選んでも面白い未来が開かれると考えていたのは、手の施しようのない阿呆だったからである。
 講義が終わってから、私は大学の時計台へ足を向けた。色々なサークルが新歓説明会の待ち合わせ場所にしているからだ。
 時計台の周辺は湧き上がる希望に頬を染めた新入生たちと、それを餌食《えじき》にしようと手ぐすねひいているサークルの勧誘員たちで賑《にぎ》わっていた。幻の至宝と言われる「薔薇色《ばらいろ》のキャンパスライフ」への入り口が、今ここに無数に開かれているように思われ、私は半ば朦朧《もうろう》としながら歩いていた。
 そこで出会ったのが、秘密機関〈福猫飯店〉であった。秘密機関と大々的にビラに書く秘密機関があるわけがないのだが、驚くなかれ、本当に秘密機関であることが後になって分かった。
 時計台前で私に声をかけたのは、〈福猫飯店〉の下部組織の一つである〈図書館警察〉幹部、相島先輩であった。いかにも頭が切れそうで、眼鏡の奥には涼しげな眼がある。物腰は柔らかいが、どことなく慇懃無礼《いんぎんぶれい》な印象も受けた。
「色々な人たちと付き合えるからね。面白い経験ができるよ」
 相島先輩は私を法学部中庭へ誘いこんでそう説得した。
 私は考えた。自分の世間が狭いことは確かである。大学にいる間に、構内を蠢《うごめ》くさまざまな人間たちと交わって見聞を広めることは重要だ。そうして積み重ねた経験こそが、輝かしい未来への布石となるであろう。もちろん、そういった真面目なことを考えただけではなくて、その秘密めいた雰囲気になんとなく魅力を感じてしまったという事実は否めない。繰り返すが、手の施しようのない阿呆だったのだ。
〈福猫飯店〉とは何か。
 その目的は謎に包まれている。
 しかし断言しよう。目的はおそらくない。
 それは複数の下部組織をまとめる一つの漠然とした名称であった。その下部組織たるや、名前と活動内容を述べても、簡単には信じてもらえないようなものばかりである。
 主なものだけでも、優秀な学生を軟禁状態にしてレポートを大量に代筆させる〈印刷所〉、図書館の返却期限切れ図書の強制回収をなりわいとする〈図書館警察〉、キャンパス内の自転車をひたすら整理することに奉仕する〈自転車にこやか整理軍〉など多岐にわたる。ほかにも、学園祭事務局の一部、「叡山《えいざん》電鉄研究会」「閨房《けいぼう》調査団青年部」「詭弁論部《きべんろんぶ》」などの風変わりなクラブや研究会、怪しい活動を展開する宗教系サークルともつながりを持っていた。
 歴史的に見て、「〈福猫飯店〉の母体は〈印刷所〉であった」というのが共通の見解であった。したがって「印刷所長」と呼ばれる人物が組織全体の最高指揮権を持っているとされたが、本当にそんな人物がいるのかどうか分からなかった。様々な憶測があった。うら若き黒髪の乙女であるとも言われ、古株の法学部教授であるとも言われ、あるいは二十年前から時計台地下に巣喰《すく》う仮面をつけた乳好きの怪人であるとも言われた。いずれにせよ、〈図書館警察〉の下っ端として走り回っていたに過ぎない私は、そんな人物と接触する機会をもたなかった。
 相島先輩の誘いで〈図書館警察〉へ所属することになった私は、「とりあえず、こいつと組め」と言われて、法学部中庭で一人の男を紹介された。葉桜の下に、ひどく縁起の悪そうな顔をした不気味な男が立っていた。繊細な私だけが見ることができる地獄からの使者かと思った。
 それが小津と私の出会いである。
       ○
 平凡な男がある朝目覚めると一匹の毒虫になっていたというのは、有名な小説の冒頭である。私の場合、そこまで劇的ではなかった。私は相変わらず私のままであったし、我が男汁を吸いこんできた四畳半にも、一見何ら変わったところはなかった。むろん、私がもともと毒虫同然であったという意見もあろう。
 時計は六時をさしていたが、朝の六時なのか、夕方の六時なのか判然としない。布団の中で思案してみたが、どれぐらい眠ったのか分からない。
 私は布団の上で毒虫のようにもぞもぞしてから、のっそりと起きあがった。
 静かである。
 私は珈琲《コーヒー》を沸かし、カステラを食べることにした。殺伐とした食事を済まして、尿意を催した。廊下へ出て、玄関脇にある共用便所へ向かおうとした。
 ドアを開けた私は四畳半へ踏みこんでいた。
 奇怪なり。
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