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草枕 夏目漱石

_2 夏目漱石(日)
 やけに頬の肉をつまみ上げた手を、残念そうに放した親方は、棚(たな)の上から、薄(うす)っ片(ぺら)な赤い石鹸を取り卸(お)ろして、水のなかにちょっと浸(ひた)したと思ったら、それなり余の顔をまんべんなく一応撫で廻わした。裸石鹸を顔へ塗りつけられた事はあまりない。しかもそれを濡(ぬ)らした水は、幾日前(いくにちまえ)に汲(く)んだ、溜め置きかと考えると、余りぞっとしない。
 すでに髪結床(かみゆいどこ)である以上は、御客の権利として、余は鏡に向わなければならん。しかし余はさっきからこの権利を放棄したく考えている。鏡と云う道具は平(たい)らに出来て、なだらかに人の顔を写さなくては義理が立たぬ。もしこの性質が具(そな)わらない鏡を懸(か)けて、これに向えと強(し)いるならば、強いるものは下手(へた)な写真師と同じく、向うものの器量を故意に損害したと云わなければならぬ。虚栄心を挫(くじ)くのは修養上一種の方便かも知れぬが、何も己(おの)れの真価以下の顔を見せて、これがあなたですよと、こちらを侮辱(ぶじょく)するには及ぶまい。今余が辛抱(しんぼう)して向き合うべく余儀なくされている鏡はたしかに最前から余を侮辱している。右を向くと顔中鼻になる。左を出すと口が耳元まで裂ける。仰向(あおむ)くと蟇蛙(ひきがえる)を前から見たように真平(まったいら)に圧(お)し潰(つぶ)され、少しこごむと福禄寿(ふくろくじゅ)の祈誓児(もうしご)のように頭がせり出してくる。いやしくもこの鏡に対する間(あいだ)は一人でいろいろな化物(ばけもの)を兼勤(けんきん)しなくてはならぬ。写るわが顔の美術的ならぬはまず我慢するとしても、鏡の構造やら、色合や、銀紙の剥(は)げ落ちて、光線が通り抜ける模様などを総合して考えると、この道具その物からが醜体を極(きわ)めている。小人(しょうじん)から罵詈(ばり)されるとき、罵詈それ自身は別に痛痒(つうよう)を感ぜぬが、その小人(しょうじん)の面前に起臥(きが)しなければならぬとすれば、誰しも不愉快だろう。
 その上この親方がただの親方ではない。そとから覗(のぞ)いたときは、胡坐(あぐら)をかいて、長煙管(ながぎせる)で、おもちゃの日英同盟(にちえいどうめい)国旗の上へ、しきりに煙草(たばこ)を吹きつけて、さも退屈気(たいくつげ)に見えたが、這入(はい)って、わが首の所置を托する段になって驚ろいた。髭(ひげ)を剃(そ)る間は首の所有権は全く親方の手にあるのか、はた幾分かは余の上にも存するのか、一人で疑がい出したくらい、容赦(ようしゃ)なく取り扱われる。余の首が肩の上に釘付(くぎづ)けにされているにしてもこれでは永く持たない。
 彼は髪剃(かみそり)を揮(ふる)うに当って、毫(ごう)も文明の法則を解しておらん。頬にあたる時はがりりと音がした。揉(も)み上(あげ)の所ではぞきりと動脈が鳴った。顋(あご)のあたりに利刃(りじん)がひらめく時分にはごりごり、ごりごりと霜柱(しもばしら)を踏みつけるような怪しい声が出た。しかも本人は日本一の手腕を有する親方をもって自任している。
 最後に彼は酔っ払っている。旦那えと云うたんびに妙な臭(にお)いがする。時々は異(い)な瓦斯(ガス)を余が鼻柱へ吹き掛ける。これではいつ何時(なんどき)、髪剃がどう間違って、どこへ飛んで行くか解らない。使う当人にさえ判然たる計画がない以上は、顔を貸した余に推察のできようはずがない。得心ずくで任せた顔だから、少しの怪我(けが)なら苦情は云わないつもりだが、急に気が変って咽喉笛(のどぶえ)でも掻(か)き切られては事だ。
「石鹸(しゃぼん)なんぞを、つけて、剃(す)るなあ、腕が生(なま)なんだが、旦那のは、髭が髭だから仕方があるめえ」と云いながら親方は裸石鹸を、裸のまま棚の上へ放(ほう)り出すと、石鹸は親方の命令に背(そむ)いて地面の上へ転(ころ)がり落ちた。
「旦那あ、あんまり見受けねえようだが、何ですかい、近頃来なすったのかい」
「二三日(にさんち)前来たばかりさ」
「へえ、どこにいるんですい」
「志保田(しほだ)に逗(とま)ってるよ」
「うん、あすこの御客さんですか。おおかたそんな事(こっ)たろうと思ってた。実あ、私(わっし)もあの隠居さんを頼(たよっ)て来たんですよ。――なにね、あの隠居が東京にいた時分、わっしが近所にいて、――それで知ってるのさ。いい人でさあ。ものの解ったね。去年御新造(ごしんぞ)が死んじまって、今じゃ道具ばかり捻(ひね)くってるんだが――何でも素晴らしいものが、有るてえますよ。売ったらよっぽどな金目(かねめ)だろうって話さ」
「奇麗(きれい)な御嬢さんがいるじゃないか」
「あぶねえね」
「何が?」
「何がって。旦那の前(めえ)だが、あれで出返(でもど)りですぜ」
「そうかい」
「そうかいどころの騒(さわぎ)じゃねえんだね。全体なら出て来なくってもいいところをさ。――銀行が潰(つぶ)れて贅沢(ぜいたく)が出来ねえって、出ちまったんだから、義理が悪(わ)るいやね。隠居さんがああしているうちはいいが、もしもの事があった日にゃ、法返(ほうがえ)しがつかねえ訳(わけ)になりまさあ」
「そうかな」
「当(あた)り前(めえ)でさあ。本家の兄(あにき)たあ、仲がわるしさ」
「本家があるのかい」
「本家は岡の上にありまさあ。遊びに行って御覧なさい。景色のいい所ですよ」
「おい、もう一遍石鹸(しゃぼん)をつけてくれないか。また痛くなって来た」
「よく痛くなる髭(ひげ)だね。髭が硬過(こわす)ぎるからだ。旦那の髭じゃ、三日に一度は是非剃(そり)を当てなくっちゃ駄目ですぜ。わっしの剃で痛けりゃ、どこへ行ったって、我慢出来っこねえ」
「これから、そうしよう。何なら毎日来てもいい」
「そんなに長く逗留(とうりゅう)する気なんですか。あぶねえ。およしなせえ。益もねえ事(こ)った。碌(ろく)でもねえものに引っかかって、どんな目に逢うか解りませんぜ」
「どうして」
「旦那あの娘は面(めん)はいいようだが、本当はき印(じる)しですぜ」
「なぜ」
「なぜって、旦那。村のものは、みんな気狂(きちげえ)だって云ってるんでさあ」
「そりゃ何かの間違だろう」
「だって、現(げん)に証拠があるんだから、御よしなせえ。けんのんだ」
「おれは大丈夫だが、どんな証拠があるんだい」
「おかしな話しさね。まあゆっくり、煙草(たばこ)でも呑(の)んで御出(おいで)なせえ話すから。――頭あ洗いましょうか」
「頭はよそう」
「頭垢(ふけ)だけ落して置くかね」
 親方は垢(あか)の溜(たま)った十本の爪を、遠慮なく、余が頭蓋骨(ずがいこつ)の上に並べて、断わりもなく、前後に猛烈なる運動を開始した。この爪が、黒髪の根を一本ごとに押し分けて、不毛の境(きょう)を巨人の熊手(くまで)が疾風の速度で通るごとくに往来する。余が頭に何十万本の髪の毛が生(は)えているか知らんが、ありとある毛がことごとく根こぎにされて、残る地面がべた一面に蚯蚓腫(めめずばれ)にふくれ上った上、余勢が地磐(じばん)を通して、骨から脳味噌(のうみそ)まで震盪(しんとう)を感じたくらい烈(はげ)しく、親方は余の頭を掻き廻わした。
「どうです、好い心持でしょう」
「非常な辣腕(らつわん)だ」
「え? こうやると誰でもさっぱりするからね」
「首が抜けそうだよ」
「そんなに倦怠(けったる)うがすかい。全く陽気の加減だね。どうも春てえ奴(やつ)あ、やに身体(からだ)がなまけやがって――まあ一ぷく御上(おあ)がんなさい。一人で志保田にいちゃ、退屈でしょう。ちと話しに御出(おいで)なせえ。どうも江戸っ子は江戸っ子同志でなくっちゃ、話しが合わねえものだから。何ですかい、やっぱりあの御嬢さんが、御愛想に出てきますかい。どうもさっぱし、見境(みさけえ)のねえ女だから困っちまわあ」
「御嬢さんが、どうとか、したところで頭垢が飛んで、首が抜けそうになったっけ」
「違(ちげえ)ねえ、がんがらがんだから、からっきし、話に締りがねえったらねえ。――そこでその坊主が逆(のぼ)せちまって……」
「その坊主たあ、どの坊主だい」
「観海寺(かんかいじ)の納所坊主(なっしょぼうず)がさ……」
「納所(なっしょ)にも住持(じゅうじ)にも、坊主はまだ一人も出て来ないんだ」
「そうか、急勝(せっかち)だから、いけねえ。苦味走(にがんばし)った、色の出来そうな坊主だったが、そいつが御前(おまえ)さん、レコに参っちまって、とうとう文(ふみ)をつけたんだ。――おや待てよ。口説(くどい)たんだっけかな。いんにゃ文だ。文に違(ちげ)えねえ。すると――こうっと――何だか、行(い)きさつが少し変だぜ。うん、そうか、やっぱりそうか。するてえと奴(やっこ)さん、驚ろいちまってからに……」
「誰が驚ろいたんだい」
「女がさ」
「女が文を受け取って驚ろいたんだね」
「ところが驚ろくような女なら、殊勝(しお)らしいんだが、驚ろくどころじゃねえ」
「じゃ誰が驚ろいたんだい」
「口説た方がさ」
「口説ないのじゃないか」
「ええ、じれってえ。間違ってらあ。文(ふみ)をもらってさ」
「それじゃやっぱり女だろう」
「なあに男がさ」
「男なら、その坊主だろう」
「ええ、その坊主がさ」
「坊主がどうして驚ろいたのかい」
「どうしてって、本堂で和尚(おしょう)さんと御経を上げてると、突然(いきなり)あの女が飛び込んで来て――ウフフフフ。どうしても狂印(きじるし)だね」
「どうかしたのかい」
「そんなに可愛(かわい)いなら、仏様の前で、いっしょに寝ようって、出し抜けに、泰安(たいあん)さんの頸(くび)っ玉(たま)へかじりついたんでさあ」
「へええ」
「面喰(めんくら)ったなあ、泰安さ。気狂(きちげえ)に文をつけて、飛んだ恥を掻(か)かせられて、とうとう、その晩こっそり姿を隠して死んじまって……」
「死んだ?」
「死んだろうと思うのさ。生きちゃいられめえ」
「何とも云えない」
「そうさ、相手が気狂じゃ、死んだって冴(さ)えねえから、ことによると生きてるかも知れねえね」
「なかなか面白い話だ」
「面白いの、面白くないのって、村中大笑いでさあ。ところが当人だけは、根(ね)が気が違ってるんだから、洒唖洒唖(しゃあしゃあ)して平気なもんで――なあに旦那のようにしっかりしていりゃ大丈夫ですがね、相手が相手だから、滅多(めった)にからかったり何(なん)かすると、大変な目に逢いますよ」
「ちっと気をつけるかね。ははははは」
 生温(なまぬる)い磯(いそ)から、塩気のある春風(はるかぜ)がふわりふわりと来て、親方の暖簾(のれん)を眠(ねむ)たそうに煽(あお)る。身を斜(はす)にしてその下をくぐり抜ける燕(つばめ)の姿が、ひらりと、鏡の裡(うち)に落ちて行く。向うの家(うち)では六十ばかりの爺さんが、軒下に蹲踞(うずく)まりながら、だまって貝をむいている。かちゃりと、小刀があたるたびに、赤い味(み)が笊(ざる)のなかに隠れる。殻(から)はきらりと光りを放って、二尺あまりの陽炎(かげろう)を向(むこう)へ横切る。丘のごとくに堆(うずた)かく、積み上げられた、貝殻は牡蠣(かき)か、馬鹿(ばか)か、馬刀貝(まてがい)か。崩(くず)れた、幾分は砂川(すながわ)の底に落ちて、浮世の表から、暗(く)らい国へ葬られる。葬られるあとから、すぐ新しい貝が、柳の下へたまる。爺さんは貝の行末(ゆくえ)を考うる暇さえなく、ただ空(むな)しき殻を陽炎(かげろう)の上へ放(ほう)り出す。彼(か)れの笊(ざる)には支(ささ)うべき底なくして、彼れの春の日は無尽蔵に長閑(のど)かと見える。
 砂川は二間に足らぬ小橋の下を流れて、浜の方へ春の水をそそぐ。春の水が春の海と出合うあたりには、参差(しんし)として幾尋(いくひろ)の干網が、網の目を抜けて村へ吹く軟風に、腥(なまぐさ)き微温(ぬくもり)を与えつつあるかと怪しまれる。その間から、鈍刀(どんとう)を溶(と)かして、気長にのたくらせたように見えるのが海の色だ。
 この景色とこの親方とはとうてい調和しない。もしこの親方の人格が強烈で四辺(しへん)の風光と拮抗(きっこう)するほどの影響を余の頭脳に与えたならば、余は両者の間に立ってすこぶる円方鑿(えんぜいほうさく)の感に打たれただろう。幸(さいわい)にして親方はさほど偉大な豪傑ではなかった。いくら江戸っ子でも、どれほどたんかを切っても、この渾然(こんぜん)として駘蕩(たいとう)たる天地の大気象には叶(かな)わない。満腹の饒舌(にょうぜつ)を弄(ろう)して、あくまでこの調子を破ろうとする親方は、早く一微塵(いちみじん)となって、怡々(いい)たる春光(しゅんこう)の裏(うち)に浮遊している。矛盾とは、力において、量において、もしくは意気体躯(たいく)において氷炭相容(ひょうたんあいい)るる能(あた)わずして、しかも同程度に位する物もしくは人の間に在(あ)って始めて、見出し得べき現象である。両者の間隔がはなはだしく懸絶するときは、この矛盾はようやく磨(しじんろうま)して、かえって大勢力の一部となって活動するに至るかも知れぬ。大人(たいじん)の手足(しゅそく)となって才子が活動し、才子の股肱(ここう)となって昧者(まいしゃ)が活動し、昧者の心腹(しんぷく)となって牛馬が活動し得るのはこれがためである。今わが親方は限りなき春の景色を背景として、一種の滑稽(こっけい)を演じている。長閑(のどか)な春の感じを壊(こわ)すべきはずの彼は、かえって長閑な春の感じを刻意に添えつつある。余は思わず弥生半(やよいなか)ばに呑気(のんき)な弥次(やじ)と近づきになったような気持ちになった。この極(きわ)めて安価なる気家(きえんか)は、太平の象(しょう)を具したる春の日にもっとも調和せる一彩色である。
 こう考えると、この親方もなかなか画(え)にも、詩にもなる男だから、とうに帰るべきところを、わざと尻(しり)を据(す)えて四方八方(よもやま)の話をしていた。ところへ暖簾(のれん)を滑(すべ)って小さな坊主頭が
「御免、一つ剃(そ)って貰おうか」
と這入(はい)って来る。白木綿の着物に同じ丸絎(まるぐけ)の帯をしめて、上から蚊帳(かや)のように粗(あら)い法衣(ころも)を羽織って、すこぶる気楽に見える小坊主であった。
「了念(りょうねん)さん。どうだい、こないだあ道草あ、食って、和尚(おしょう)さんに叱(しか)られたろう」
「いんにゃ、褒(ほ)められた」
「使に出て、途中で魚なんか、とっていて、了念は感心だって、褒められたのかい」
「若いに似ず了念は、よく遊んで来て感心じゃ云うて、老師が褒められたのよ」
「道理(どうれ)で頭に瘤(こぶ)が出来てらあ。そんな不作法な頭あ、剃(す)るなあ骨が折れていけねえ。今日は勘弁するから、この次から、捏(こ)ね直して来ねえ」
「捏ね直すくらいなら、ますこし上手な床屋へ行きます」
「はははは頭は凹凸(ぼこでこ)だが、口だけは達者なもんだ」
「腕は鈍いが、酒だけ強いのは御前(おまえ)だろ」
「箆棒(べらぼう)め、腕が鈍いって……」
「わしが云うたのじゃない。老師が云われたのじゃ。そう怒るまい。年甲斐(としがい)もない」
「ヘン、面白くもねえ。――ねえ、旦那」
「ええ?」
「全体(ぜんてえ)坊主なんてえものは、高い石段の上に住んでやがって、屈托(くったく)がねえから、自然に口が達者になる訳ですかね。こんな小坊主までなかなか口幅(くちはば)ってえ事を云いますぜ――おっと、もう少し頭(どたま)を寝かして――寝かすんだてえのに、――言う事を聴(き)かなけりゃ、切るよ、いいか、血が出るぜ」
「痛いがな。そう無茶をしては」
「このくらいな辛抱が出来なくって坊主になれるもんか」
「坊主にはもうなっとるがな」
「まだ一人前(いちにんめえ)じゃねえ。――時にあの泰安さんは、どうして死んだっけな、御小僧さん」
「泰安さんは死にはせんがな」
「死なねえ? はてな。死んだはずだが」
「泰安さんは、その後(のち)発憤して、陸前(りくぜん)の大梅寺(だいばいじ)へ行って、修業三昧(しゅぎょうざんまい)じゃ。今に智識(ちしき)になられよう。結構な事よ」
「何が結構だい。いくら坊主だって、夜逃をして結構な法はあるめえ。御前(おめえ)なんざ、よく気をつけなくっちゃいけねえぜ。とかく、しくじるなあ女だから――女ってえば、あの狂印(きじるし)はやっぱり和尚(おしょう)さんの所へ行くかい」
「狂印(きじるし)と云う女は聞いた事がない」
「通じねえ、味噌擂(みそすり)だ。行くのか、行かねえのか」
「狂印(きじるし)は来んが、志保田の娘さんなら来る」
「いくら、和尚さんの御祈祷(ごきとう)でもあればかりゃ、癒(なお)るめえ。全く先(せん)の旦那が祟(たた)ってるんだ」
「あの娘さんはえらい女だ。老師がよう褒(ほ)めておられる」
「石段をあがると、何でも逆様(さかさま)だから叶(かな)わねえ。和尚さんが、何て云ったって、気狂(きちげえ)は気狂(きちげえ)だろう。――さあ剃(す)れたよ。早く行って和尚さんに叱られて来めえ」
「いやもう少し遊んで行って賞(ほ)められよう」
「勝手にしろ、口の減(へ)らねえ餓鬼(がき)だ」
「咄(とつ)この乾屎(かんしけつ)」
「何だと?」
 青い頭はすでに暖簾(のれん)をくぐって、春風(しゅんぷう)に吹かれている。

 夕暮の机に向う。障子も襖(ふすま)も開(あ)け放(はな)つ。宿の人は多くもあらぬ上に、家は割合に広い。余が住む部屋は、多くもあらぬ人の、人らしく振舞(ふるま)う境(きょう)を、幾曲(いくまがり)の廊下に隔てたれば、物の音さえ思索の煩(わずらい)にはならぬ。今日は一層(ひとしお)静かである。主人も、娘も、下女も下男も、知らぬ間(ま)に、われを残して、立ち退(の)いたかと思われる。立ち退いたとすればただの所へ立ち退きはせぬ。霞(かすみ)の国か、雲の国かであろう。あるいは雲と水が自然に近づいて、舵(かじ)をとるさえ懶(ものう)き海の上を、いつ流れたとも心づかぬ間に、白い帆が雲とも水とも見分け難き境(さかい)に漂(ただよ)い来て、果(は)ては帆みずからが、いずこに己(おの)れを雲と水より差別すべきかを苦しむあたりへ――そんな遥(はる)かな所へ立ち退いたと思われる。それでなければ卒然と春のなかに消え失せて、これまでの四大(しだい)が、今頃は目に見えぬ霊氛(れいふん)となって、広い天地の間に、顕微鏡(けんびきょう)の力を藉(か)るとも、些(さ)の名残(なごり)を留(とど)めぬようになったのであろう。あるいは雲雀(ひばり)に化して、菜(な)の花の黄(き)を鳴き尽したる後(のち)、夕暮深き紫のたなびくほとりへ行ったかも知れぬ。または永き日を、かつ永くする虻(あぶ)のつとめを果したる後、蕋(ずい)に凝(こ)る甘き露を吸い損(そこ)ねて、落椿(おちつばき)の下に、伏せられながら、世を香(かん)ばしく眠っているかも知れぬ。とにかく静かなものだ。
 空(むな)しき家を、空しく抜ける春風(はるかぜ)の、抜けて行くは迎える人への義理でもない。拒(こば)むものへの面当(つらあて)でもない。自(おのず)から来(きた)りて、自から去る、公平なる宇宙の意(こころ)である。掌(たなごころ)に顎(あご)を支(ささ)えたる余の心も、わが住む部屋のごとく空(むな)しければ、春風は招かぬに、遠慮もなく行き抜けるであろう。
 踏むは地と思えばこそ、裂けはせぬかとの気遣(きづかい)も起(おこ)る。戴(いただ)くは天と知る故に、稲妻(いなずま)の米噛(こめかみ)に震(ふる)う怖(おそれ)も出来る。人と争(あらそ)わねば一分(いちぶん)が立たぬと浮世が催促するから、火宅(かたく)の苦(く)は免かれぬ。東西のある乾坤(けんこん)に住んで、利害の綱を渡らねばならぬ身には、事実の恋は讎(あだ)である。目に見る富は土である。握る名と奪える誉(ほまれ)とは、小賢(こざ)かしき蜂(はち)が甘く醸(かも)すと見せて、針を棄(す)て去る蜜のごときものであろう。いわゆる楽(たのしみ)は物に着(ちゃく)するより起るが故(ゆえ)に、あらゆる苦しみを含む。ただ詩人と画客(がかく)なるものあって、飽(あ)くまでこの待対(たいたい)世界の精華を嚼(か)んで、徹骨徹髄(てっこつてつずい)の清きを知る。霞(かすみ)を餐(さん)し、露を嚥(の)み、紫(し)を品(ひん)し、紅(こう)を評(ひょう)して、死に至って悔いぬ。彼らの楽は物に着(ちゃく)するのではない。同化してその物になるのである。その物になり済ました時に、我を樹立すべき余地は茫々(ぼうぼう)たる大地を極(きわ)めても見出(みいだ)し得ぬ。自在(じざい)に泥団(でいだん)を放下(ほうげ)して、破笠裏(はりつり)に無限(むげん)の青嵐(せいらん)を盛(も)る。いたずらにこの境遇を拈出(ねんしゅつ)するのは、敢(あえ)て市井(しせい)の銅臭児(どうしゅうじ)の鬼嚇(きかく)して、好んで高く標置(ひょうち)するがためではない。ただ這裏(しゃり)の福音(ふくいん)を述べて、縁ある衆生(しゅじょう)を麾(さしまね)くのみである。有体(ありてい)に云えば詩境と云い、画界と云うも皆人々具足(にんにんぐそく)の道である。春秋(しゅんじゅう)に指を折り尽して、白頭(はくとう)に呻吟(しんぎん)するの徒(と)といえども、一生を回顧して、閲歴の波動を順次に点検し来るとき、かつては微光の臭骸(しゅうがい)に洩(も)れて、吾(われ)を忘れし、拍手(はくしゅ)の興(きょう)を喚(よ)び起す事が出来よう。出来ぬと云わば生甲斐(いきがい)のない男である。
 されど一事(いちじ)に即(そく)し、一物(いちぶつ)に化(か)するのみが詩人の感興とは云わぬ。ある時は一弁(いちべん)の花に化し、あるときは一双(いっそう)の蝶(ちょう)に化し、あるはウォーヅウォースのごとく、一団の水仙に化して、心を沢風(たくふう)の裏(うち)に撩乱(りょうらん)せしむる事もあろうが、何(なん)とも知れぬ四辺(しへん)の風光にわが心を奪われて、わが心を奪えるは那物(なにもの)ぞとも明瞭(めいりょう)に意識せぬ場合がある。ある人は天地の耿気(こうき)に触るると云うだろう。ある人は無絃(むげん)の琴(きん)を霊台(れいだい)に聴くと云うだろう。またある人は知りがたく、解しがたき故に無限の域に(せんかい)して、縹緲(ひょうびょう)のちまたに彷徨(ほうこう)すると形容するかも知れぬ。何と云うも皆その人の自由である。わが、唐木(からき)の机に憑(よ)りてぽかんとした心裡(しんり)の状態は正(まさ)にこれである。
 余は明(あきら)かに何事をも考えておらぬ。またはたしかに何物をも見ておらぬ。わが意識の舞台に著るしき色彩をもって動くものがないから、われはいかなる事物に同化したとも云えぬ。されども吾は動いている。世の中に動いてもおらぬ、世の外にも動いておらぬ。ただ何となく動いている。花に動くにもあらず、鳥に動くにもあらず、人間に対して動くにもあらず、ただ恍惚(こうこつ)と動いている。
 強(し)いて説明せよと云わるるならば、余が心はただ春と共に動いていると云いたい。あらゆる春の色、春の風、春の物、春の声を打って、固めて、仙丹(せんたん)に練り上げて、それを蓬莱(ほうらい)の霊液(れいえき)に溶(と)いて、桃源(とうげん)の日で蒸発せしめた精気が、知らぬ間(ま)に毛孔(けあな)から染(し)み込んで、心が知覚せぬうちに飽和(ほうわ)されてしまったと云いたい。普通の同化には刺激がある。刺激があればこそ、愉快であろう。余の同化には、何と同化したか不分明(ふぶんみょう)であるから、毫(ごう)も刺激がない。刺激がないから、窈然(ようぜん)として名状しがたい楽(たのしみ)がある。風に揉(も)まれて上(うわ)の空(そら)なる波を起す、軽薄で騒々しい趣(おもむき)とは違う。目に見えぬ幾尋(いくひろ)の底を、大陸から大陸まで動いている洋(こうよう)たる蒼海(そうかい)の有様と形容する事が出来る。ただそれほどに活力がないばかりだ。しかしそこにかえって幸福がある。偉大なる活力の発現は、この活力がいつか尽き果てるだろうとの懸念(けねん)が籠(こも)る。常の姿にはそう云う心配は伴わぬ。常よりは淡きわが心の、今の状態には、わが烈(はげ)しき力の銷磨(しょうま)しはせぬかとの憂(うれい)を離れたるのみならず、常の心の可もなく不可もなき凡境をも脱却している。淡しとは単に捕(とら)え難しと云う意味で、弱きに過ぎる虞(おそれ)を含んではおらぬ。冲融(ちゅうゆう)とか澹蕩(たんとう)とか云う詩人の語はもっともこの境(きょう)を切実に言い了(おお)せたものだろう。
 この境界(きょうがい)を画(え)にして見たらどうだろうと考えた。しかし普通の画にはならないにきまっている。われらが俗に画と称するものは、ただ眼前(がんぜん)の人事風光をありのままなる姿として、もしくはこれをわが審美眼に漉過(ろくか)して、絵絹(えぎぬ)の上に移したものに過ぎぬ。花が花と見え、水が水と映り、人物が人物として活動すれば、画の能事(のうじ)は終ったものと考えられている。もしこの上に一頭地(いっとうち)を抜けば、わが感じたる物象を、わが感じたるままの趣(おもむき)を添えて、画布の上に淋漓(りんり)として生動(せいどう)させる。ある特別の感興を、己(おの)が捕えたる森羅(しんら)の裡(うち)に寓するのがこの種の技術家の主意であるから、彼らの見たる物象観が明瞭(めいりょう)に筆端に迸(ほとば)しっておらねば、画を製作したとは云わぬ。己(おの)れはしかじかの事を、しかじかに観(み)、しかじかに感じたり、その観方(みかた)も感じ方も、前人(ぜんじん)の籬下(りか)に立ちて、古来の伝説に支配せられたるにあらず、しかももっとも正しくして、もっとも美くしきものなりとの主張を示す作品にあらざれば、わが作と云うをあえてせぬ。
 この二種の製作家に主客(しゅかく)深浅の区別はあるかも知れぬが、明瞭なる外界の刺激を待って、始めて手を下すのは双方共同一である。されど今、わが描かんとする題目は、さほどに分明(ぶんみょう)なものではない。あらん限りの感覚を鼓舞(こぶ)して、これを心外に物色したところで、方円の形、紅緑(こうろく)の色は無論、濃淡の陰、洪繊(こうせん)の線(すじ)を見出しかねる。わが感じは外から来たのではない、たとい来たとしても、わが視界に横(よこた)わる、一定の景物でないから、これが源因(げんいん)だと指を挙(あ)げて明らかに人に示す訳(わけ)に行かぬ。あるものはただ心持ちである。この心持ちを、どうあらわしたら画になるだろう――否(いや)この心持ちをいかなる具体を藉(か)りて、人の合点(がてん)するように髣髴(ほうふつ)せしめ得るかが問題である。
 普通の画は感じはなくても物さえあれば出来る。第二の画は物と感じと両立すればできる。第三に至っては存するものはただ心持ちだけであるから、画にするには是非共この心持ちに恰好(かっこう)なる対象を択(えら)ばなければならん。しかるにこの対象は容易に出て来ない。出て来ても容易に纏(まとま)らない。纏っても自然界に存するものとは丸(まる)で趣(おもむき)を異(こと)にする場合がある。したがって普通の人から見れば画とは受け取れない。描(えが)いた当人も自然界の局部が再現したものとは認めておらん、ただ感興の上(さ)した刻下の心持ちを幾分でも伝えて、多少の生命を(しょうきょう)しがたきムードに与うれば大成功と心得ている。古来からこの難事業に全然の績(いさおし)を収め得たる画工があるかないか知らぬ。ある点までこの流派(りゅうは)に指を染め得たるものを挙(あ)ぐれば、文与可(ぶんよか)の竹である。雲谷(うんこく)門下の山水である。下って大雅堂(たいがどう)の景色(けいしょく)である。蕪村(ぶそん)の人物である。泰西(たいせい)の画家に至っては、多く眼を具象(ぐしょう)世界に馳(は)せて、神往(しんおう)の気韻(きいん)に傾倒せぬ者が大多数を占めているから、この種の筆墨に物外(ぶつがい)の神韻(しんいん)を伝え得るものははたして幾人あるか知らぬ。
 惜しい事に雪舟(せっしゅう)、蕪村らの力(つと)めて描出(びょうしゅつ)した一種の気韻は、あまりに単純でかつあまりに変化に乏しい。筆力の点から云えばとうていこれらの大家に及ぶ訳はないが、今わが画(え)にして見ようと思う心持ちはもう少し複雑である。複雑であるだけにどうも一枚のなかへは感じが収まりかねる。頬杖(ほおづえ)をやめて、両腕を机の上に組んで考えたがやはり出て来ない。色、形、調子が出来て、自分の心が、ああここにいたなと、たちまち自己を認識するようにかかなければならない。生き別れをした吾子(わがこ)を尋ね当てるため、六十余州を回国(かいこく)して、寝(ね)ても寤(さ)めても、忘れる間(ま)がなかったある日、十字街頭にふと邂逅(かいこう)して、稲妻(いなずま)の遮(さえ)ぎるひまもなきうちに、あっ、ここにいた、と思うようにかかなければならない。それがむずかしい。この調子さえ出れば、人が見て何と云っても構わない。画でないと罵(ののし)られても恨(うらみ)はない。いやしくも色の配合がこの心持ちの一部を代表して、線の曲直(きょくちょく)がこの気合の幾分を表現して、全体の配置がこの風韻(ふういん)のどれほどかを伝えるならば、形にあらわれたものは、牛であれ馬であれ、ないしは牛でも馬でも、何でもないものであれ、厭(いと)わない。厭わないがどうも出来ない。写生帖を机の上へ置いて、両眼が帖(じょう)のなかへ落ち込むまで、工夫(くふう)したが、とても物にならん。
 鉛筆を置いて考えた。こんな抽象的(ちゅうしょうてき)な興趣を画にしようとするのが、そもそもの間違である。人間にそう変りはないから、多くの人のうちにはきっと自分と同じ感興に触れたものがあって、この感興を何らの手段かで、永久化せんと試みたに相違ない。試みたとすればその手段は何だろう。
 たちまち音楽の二字がぴかりと眼に映った。なるほど音楽はかかる時、かかる必要に逼(せま)られて生まれた自然の声であろう。楽(がく)は聴(き)くべきもの、習うべきものであると、始めて気がついたが、不幸にして、その辺の消息はまるで不案内である。
 次に詩にはなるまいかと、第三の領分に踏み込んで見る。レッシングと云う男は、時間の経過を条件として起る出来事を、詩の本領であるごとく論じて、詩画は不一にして両様なりとの根本義を立てたように記憶するが、そう詩を見ると、今余の発表しようとあせっている境界(きょうがい)もとうてい物になりそうにない。余が嬉しいと感ずる心裏(しんり)の状況には時間はあるかも知れないが、時間の流れに沿うて、逓次(ていじ)に展開すべき出来事の内容がない。一が去り、二が来(きた)り、二が消えて三が生まるるがために嬉(うれ)しいのではない。初から窈然(ようぜん)として同所(どうしょ)に把住(はじゅう)する趣(おもむ)きで嬉しいのである。すでに同所に把住する以上は、よしこれを普通の言語に翻訳したところで、必ずしも時間的に材料を按排(あんばい)する必要はあるまい。やはり絵画と同じく空間的に景物を配置したのみで出来るだろう。ただいかなる景情(けいじょう)を詩中に持ち来って、この曠然(こうぜん)として倚托(きたく)なき有様を写すかが問題で、すでにこれを捕(とら)え得た以上はレッシングの説に従わんでも詩として成功する訳だ。ホーマーがどうでも、ヴァージルがどうでも構わない。もし詩が一種のムードをあらわすに適しているとすれば、このムードは時間の制限を受けて、順次に進捗(しんちょく)する出来事の助けを藉(か)らずとも、単純に空間的なる絵画上の要件を充(み)たしさえすれば、言語をもって描(えが)き得るものと思う。
 議論はどうでもよい。ラオコーンなどは大概忘れているのだから、よく調べたら、こっちが怪しくなるかも知れない。とにかく、画(え)にしそくなったから、一つ詩にして見よう、と写生帖の上へ、鉛筆を押しつけて、前後に身をゆすぶって見た。しばらくは、筆の先の尖(と)がった所を、どうにか運動させたいばかりで、毫(ごう)も運動させる訳(わけ)に行かなかった。急に朋友(ほうゆう)の名を失念して、咽喉(のど)まで出かかっているのに、出てくれないような気がする。そこで諦(あきら)めると、出損(でそく)なった名は、ついに腹の底へ収まってしまう。
 葛湯(くずゆ)を練るとき、最初のうちは、さらさらして、箸(はし)に手応(てごたえ)がないものだ。そこを辛抱(しんぼう)すると、ようやく粘着(ねばり)が出て、攪(か)き淆(ま)ぜる手が少し重くなる。それでも構わず、箸を休ませずに廻すと、今度は廻し切れなくなる。しまいには鍋(なべ)の中の葛が、求めぬに、先方から、争って箸に附着してくる。詩を作るのはまさにこれだ。
 手掛(てがか)りのない鉛筆が少しずつ動くようになるのに勢を得て、かれこれ二三十分したら、
青春二三月。愁随芳草長。閑花落空庭。素琴横虚堂。蛸掛不動。篆煙繞竹梁。
と云う六句だけ出来た。読み返して見ると、みな画になりそうな句ばかりである。これなら始めから、画にすればよかったと思う。なぜ画よりも詩の方が作り易(やす)かったかと思う。ここまで出たら、あとは大した苦もなく出そうだ。しかし画に出来ない情(じょう)を、次には咏(うた)って見たい。あれか、これかと思い煩(わずら)った末とうとう、
独坐無隻語。方寸認微光。人間徒多事。此境孰可忘。会得一日静。正知百年忙。遐懐寄何処。緬白雲郷。
と出来た。もう一返(いっぺん)最初から読み直して見ると、ちょっと面白く読まれるが、どうも、自分が今しがた入(はい)った神境を写したものとすると、索然(さくぜん)として物足りない。ついでだから、もう一首作って見ようかと、鉛筆を握ったまま、何の気もなしに、入口の方を見ると、襖(ふすま)を引いて、開(あ)け放(はな)った幅三尺の空間をちらりと、奇麗な影が通った。はてな。
 余が眼を転じて、入口を見たときは、奇麗なものが、すでに引き開けた襖の影に半分かくれかけていた。しかもその姿は余が見ぬ前から、動いていたものらしく、はっと思う間に通り越した。余は詩をすてて入口を見守る。
 一分と立たぬ間に、影は反対の方から、逆にあらわれて来た。振袖姿(ふりそですがた)のすらりとした女が、音もせず、向う二階の椽側(えんがわ)を寂然(じゃくねん)として歩行(あるい)て行く。余は覚えず鉛筆を落して、鼻から吸いかけた息をぴたりと留めた。
 花曇(はなぐも)りの空が、刻一刻に天から、ずり落ちて、今や降ると待たれたる夕暮の欄干(らんかん)に、しとやかに行き、しとやかに帰る振袖の影は、余が座敷から六間(けん)の中庭を隔てて、重き空気のなかに蕭寥(しょうりょう)と見えつ、隠れつする。
 女はもとより口も聞かぬ。傍目(わきめ)も触(ふ)らぬ。椽(えん)に引く裾(すそ)の音さえおのが耳に入らぬくらい静かに歩行(ある)いている。腰から下にぱっと色づく、裾模様(すそもよう)は何を染め抜いたものか、遠くて解(わ)からぬ。ただ無地(むじ)と模様のつながる中が、おのずから暈(ぼか)されて、夜と昼との境のごとき心地(ここち)である。女はもとより夜と昼との境をあるいている。
 この長い振袖を着て、長い廊下を何度往き何度戻る気か、余には解からぬ。いつ頃からこの不思議な装(よそおい)をして、この不思議な歩行(あゆみ)をつづけつつあるかも、余には解らぬ。その主意に至ってはもとより解らぬ。もとより解るべきはずならぬ事を、かくまでも端正に、かくまでも静粛に、かくまでも度を重ねて繰り返す人の姿の、入口にあらわれては消え、消えてはあらわるる時の余の感じは一種異様である。逝(ゆ)く春の恨(うらみ)を訴うる所作(しょさ)ならば何が故(ゆえ)にかくは無頓着(むとんじゃく)なる。無頓着なる所作ならば何が故にかくは綺羅(きら)を飾れる。
 暮れんとする春の色の、嬋媛(せんえん)として、しばらくは冥(めいばく)の戸口をまぼろしに彩(いろ)どる中に、眼も醒(さ)むるほどの帯地(おびじ)は金襴(きんらん)か。あざやかなる織物は往きつ、戻りつ蒼然(そうぜん)たる夕べのなかにつつまれて、幽闃(ゆうげき)のあなた、遼遠(りょうえん)のかしこへ一分ごとに消えて去る。燦(きら)めき渡る春の星の、暁(あかつき)近くに、紫深き空の底に陥(おち)いる趣(おもむき)である。
 太玄(たいげん)の(もん)おのずから開(ひら)けて、この華(はな)やかなる姿を、幽冥(ゆうめい)の府(ふ)に吸い込まんとするとき、余はこう感じた。金屏(きんびょう)を背に、銀燭(ぎんしょく)を前に、春の宵の一刻を千金と、さざめき暮らしてこそしかるべきこの装(よそおい)の、厭(いと)う景色(けしき)もなく、争う様子も見えず、色相(しきそう)世界から薄れて行くのは、ある点において超自然の情景である。刻々と逼(せま)る黒き影を、すかして見ると女は粛然として、焦(せ)きもせず、狼狽(うろたえ)もせず、同じほどの歩調をもって、同じ所を徘徊(はいかい)しているらしい。身に落ちかかる災(わざわい)を知らぬとすれば無邪気の極(きわみ)である。知って、災と思わぬならば物凄(ものすご)い。黒い所が本来の住居(すまい)で、しばらくの幻影(まぼろし)を、元(もと)のままなる冥漠(めいばく)の裏(うち)に収めればこそ、かように間(かんせい)の態度で、有(う)と無(む)の間(あいだ)に逍遥(しょうよう)しているのだろう。女のつけた振袖に、紛(ふん)たる模様の尽きて、是非もなき磨墨(するすみ)に流れ込むあたりに、おのが身の素性(すじょう)をほのめかしている。
 またこう感じた。うつくしき人が、うつくしき眠りについて、その眠りから、さめる暇もなく、幻覚(うつつ)のままで、この世の呼吸(いき)を引き取るときに、枕元に病(やまい)を護(まも)るわれらの心はさぞつらいだろう。四苦八苦を百苦に重ねて死ぬならば、生甲斐(いきがい)のない本人はもとより、傍(はた)に見ている親しい人も殺すが慈悲と諦(あき)らめられるかも知れない。しかしすやすやと寝入る児に死ぬべき何の科(とが)があろう。眠りながら冥府(よみ)に連れて行かれるのは、死ぬ覚悟をせぬうちに、だまし打ちに惜しき一命を果(はた)すと同様である。どうせ殺すものなら、とても逃(のが)れぬ定業(じょうごう)と得心もさせ、断念もして、念仏を唱(とな)えたい。死ぬべき条件が具(そな)わらぬ先に、死ぬる事実のみが、ありありと、確かめらるるときに、南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)と回向(えこう)をする声が出るくらいなら、その声でおういおういと、半ばあの世へ足を踏み込んだものを、無理にも呼び返したくなる。仮(か)りの眠りから、いつの間(ま)とも心づかぬうちに、永い眠りに移る本人には、呼び返される方が、切れかかった煩悩(ぼんのう)の綱をむやみに引かるるようで苦しいかも知れぬ。慈悲だから、呼んでくれるな、穏(おだや)かに寝かしてくれと思うかも知れぬ。それでも、われわれは呼び返したくなる。余は今度女の姿が入口にあらわれたなら、呼びかけて、うつつの裡(うち)から救ってやろうかと思った。しかし夢のように、三尺の幅を、すうと抜ける影を見るや否(いな)や、何だか口が聴(き)けなくなる。今度はと心を定めているうちに、すうと苦もなく通ってしまう。なぜ何とも云えぬかと考うる途端(とたん)に、女はまた通る。こちらに窺(うかが)う人があって、その人が自分のためにどれほどやきもき思うているか、微塵(みじん)も気に掛からぬ有様で通る。面倒にも気の毒にも、初手(しょて)から、余のごときものに、気をかねておらぬ有様で通る。今度は今度はと思うているうちに、こらえかねた、雲の層が、持ち切れぬ雨の糸を、しめやかに落し出して、女の影を、蕭々(しょうしょう)と封じ了(おわ)る。

 寒い。手拭(てぬぐい)を下げて、湯壺(ゆつぼ)へ下(くだ)る。
 三畳へ着物を脱いで、段々を、四つ下りると、八畳ほどな風呂場へ出る。石に不自由せぬ国と見えて、下は御影(みかげ)で敷き詰めた、真中を四尺ばかりの深さに掘り抜いて、豆腐屋(とうふや)ほどな湯槽(ゆぶね)を据(す)える。槽(ふね)とは云うもののやはり石で畳んである。鉱泉と名のつく以上は、色々な成分を含んでいるのだろうが、色が純透明だから、入(はい)り心地(ごこち)がよい。折々は口にさえふくんで見るが別段の味も臭(におい)もない。病気にも利(き)くそうだが、聞いて見ぬから、どんな病に利くのか知らぬ。もとより別段の持病もないから、実用上の価値はかつて頭のなかに浮んだ事がない。ただ這入(はい)る度に考え出すのは、白楽天(はくらくてん)の温泉(おんせん)水滑(みずなめらかにして)洗凝脂(ぎょうしをあらう)と云う句だけである。温泉と云う名を聞けば必ずこの句にあらわれたような愉快な気持になる。またこの気持を出し得ぬ温泉は、温泉として全く価値がないと思ってる。この理想以外に温泉についての注文はまるでない。
 すぽりと浸(つ)かると、乳のあたりまで這入(はい)る。湯はどこから湧(わ)いて出るか知らぬが、常でも槽(ふね)の縁(ふち)を奇麗に越している。春の石は乾(かわ)くひまなく濡(ぬ)れて、あたたかに、踏む足の、心は穏(おだ)やかに嬉しい。降る雨は、夜の目を掠(かす)めて、ひそかに春を潤(うる)おすほどのしめやかさであるが、軒のしずくは、ようやく繁(しげ)く、ぽたり、ぽたりと耳に聞える。立て籠(こ)められた湯気は、床(ゆか)から天井を隈(くま)なく埋(うず)めて、隙間(すきま)さえあれば、節穴(ふしあな)の細きを厭(いと)わず洩(も)れ出(い)でんとする景色(けしき)である。
 秋の霧は冷やかに、たなびく靄(もや)は長閑(のどか)に、夕餉炊(ゆうげた)く、人の煙は青く立って、大いなる空に、わがはかなき姿を托す。様々の憐(あわ)れはあるが、春の夜(よ)の温泉(でゆ)の曇りばかりは、浴(ゆあみ)するものの肌を、柔(やわ)らかにつつんで、古き世の男かと、われを疑わしむる。眼に写るものの見えぬほど、濃くまつわりはせぬが、薄絹を一重(ひとえ)破れば、何の苦もなく、下界の人と、己(おの)れを見出すように、浅きものではない。一重破り、二重破り、幾重を破り尽すともこの煙りから出す事はならぬ顔に、四方よりわれ一人を、温(あたた)かき虹(にじ)の中(うち)に埋(うず)め去る。酒に酔うと云う言葉はあるが、煙りに酔うと云う語句を耳にした事がない。あるとすれば、霧には無論使えぬ、霞には少し強過ぎる。ただこの靄に、春宵(しゅんしょう)の二字を冠したるとき、始めて妥当なるを覚える。
 余は湯槽(ゆぶね)のふちに仰向(あおむけ)の頭を支(ささ)えて、透(す)き徹(とお)る湯のなかの軽(かろ)き身体(からだ)を、出来るだけ抵抗力なきあたりへ漂(ただよ)わして見た。ふわり、ふわりと魂(たましい)がくらげのように浮いている。世の中もこんな気になれば楽(らく)なものだ。分別(ふんべつ)の錠前(じょうまえ)を開(あ)けて、執着(しゅうじゃく)の栓張(しんばり)をはずす。どうともせよと、湯泉(ゆ)のなかで、湯泉(ゆ)と同化してしまう。流れるものほど生きるに苦は入らぬ。流れるもののなかに、魂まで流していれば、基督(キリスト)の御弟子となったよりありがたい。なるほどこの調子で考えると、土左衛門(どざえもん)は風流(ふうりゅう)である。スウィンバーンの何とか云う詩に、女が水の底で往生して嬉しがっている感じを書いてあったと思う。余が平生から苦にしていた、ミレーのオフェリヤも、こう観察するとだいぶ美しくなる。何であんな不愉快な所を択(えら)んだものかと今まで不審に思っていたが、あれはやはり画(え)になるのだ。水に浮んだまま、あるいは水に沈んだまま、あるいは沈んだり浮んだりしたまま、ただそのままの姿で苦なしに流れる有様は美的に相違ない。それで両岸にいろいろな草花をあしらって、水の色と流れて行く人の顔の色と、衣服の色に、落ちついた調和をとったなら、きっと画になるに相違ない。しかし流れて行く人の表情が、まるで平和ではほとんど神話か比喩(ひゆ)になってしまう。痙攣的(けいれんてき)な苦悶(くもん)はもとより、全幅の精神をうち壊(こ)わすが、全然色気(いろけ)のない平気な顔では人情が写らない。どんな顔をかいたら成功するだろう。ミレーのオフェリヤは成功かも知れないが、彼の精神は余と同じところに存するか疑わしい。ミレーはミレー、余は余であるから、余は余の興味を以(もっ)て、一つ風流な土左衛門(どざえもん)をかいて見たい。しかし思うような顔はそうたやすく心に浮んで来そうもない。
 湯のなかに浮いたまま、今度は土左衛門(どざえもん)の賛(さん)を作って見る。
雨が降ったら濡(ぬ)れるだろう。
霜(しも)が下(お)りたら冷(つめ)たかろ。
土のしたでは暗かろう。
浮かば波の上、
沈まば波の底、
春の水なら苦はなかろ。
と口のうちで小声に誦(じゅ)しつつ漫然(まんぜん)と浮いていると、どこかで弾(ひ)く三味線の音(ね)が聞える。美術家だのにと云われると恐縮するが、実のところ、余がこの楽器における智識はすこぶる怪しいもので二が上がろうが、三が下がろうが、耳には余り影響を受けた試(ため)しがない。しかし、静かな春の夜に、雨さえ興を添える、山里の湯壺(ゆつぼ)の中で、魂(たましい)まで春の温泉(でゆ)に浮かしながら、遠くの三味を無責任に聞くのははなはだ嬉しい。遠いから何を唄(うた)って、何を弾いているか無論わからない。そこに何だか趣(おもむき)がある。音色(ねいろ)の落ちついているところから察すると、上方(かみがた)の検校(けんぎょう)さんの地唄(じうた)にでも聴かれそうな太棹(ふとざお)かとも思う。
 小供の時分、門前に万屋(よろずや)と云う酒屋があって、そこに御倉(おくら)さんと云う娘がいた。この御倉さんが、静かな春の昼過ぎになると、必ず長唄の御浚(おさら)いをする。御浚が始まると、余は庭へ出る。茶畠の十坪余りを前に控(ひか)えて、三本の松が、客間の東側に並んでいる。この松は周(まわ)り一尺もある大きな樹で、面白い事に、三本寄って、始めて趣のある恰好(かっこう)を形つくっていた。小供心にこの松を見ると好い心持になる。松の下に黒くさびた鉄灯籠(かなどうろう)が名の知れぬ赤石の上に、いつ見ても、わからず屋の頑固爺(かたくなじじい)のようにかたく坐っている。余はこの灯籠を見詰めるのが大好きであった。灯籠の前後には、苔(こけ)深き地を抽(ぬ)いて、名も知らぬ春の草が、浮世の風を知らぬ顔に、独(ひと)り匂うて独り楽しんでいる。余はこの草のなかに、わずかに膝(ひざ)を容(い)るるの席を見出して、じっと、しゃがむのがこの時分の癖であった。この三本の松の下に、この灯籠を睨(にら)めて、この草の香(か)を臭(か)いで、そうして御倉さんの長唄を遠くから聞くのが、当時の日課であった。
 御倉さんはもう赤い手絡(てがら)の時代さえ通り越して、だいぶんと世帯(しょたい)じみた顔を、帳場へ曝(さら)してるだろう。聟(むこ)とは折合(おりあい)がいいか知らん。燕(つばくろ)は年々帰って来て、泥(どろ)を啣(ふく)んだ嘴(くちばし)を、いそがしげに働かしているか知らん。燕と酒の香(か)とはどうしても想像から切り離せない。
 三本の松はいまだに好(い)い恰好(かっこう)で残っているかしらん。鉄灯籠はもう壊れたに相違ない。春の草は、昔(むか)し、しゃがんだ人を覚えているだろうか。その時ですら、口もきかずに過ぎたものを、今に見知ろうはずがない。御倉(おくら)さんの旅の衣は鈴懸のと云う、日(ひ)ごとの声もよも聞き覚えがあるとは云うまい。
 三味(しゃみ)の音(ね)が思わぬパノラマを余の眼前(がんぜん)に展開するにつけ、余は床(ゆか)しい過去の面(ま)のあたりに立って、二十年の昔に住む、頑是(がんぜ)なき小僧と、成り済ましたとき、突然風呂場の戸がさらりと開(あ)いた。
 誰か来たなと、身を浮かしたまま、視線だけを入口に注(そそ)ぐ。湯槽(ゆぶね)の縁(ふち)の最も入口から、隔(へだ)たりたるに頭を乗せているから、槽(ふね)に下(くだ)る段々は、間(あいだ)二丈を隔てて斜(なな)めに余が眼に入る。しかし見上げたる余の瞳にはまだ何物も映らぬ。しばらくは軒を遶(めぐ)る雨垂(あまだれ)の音のみが聞える。三味線はいつの間(ま)にかやんでいた。
 やがて階段の上に何物かあらわれた。広い風呂場を照(てら)すものは、ただ一つの小さき釣(つ)り洋灯(ランプ)のみであるから、この隔りでは澄切った空気を控(ひか)えてさえ、確(しか)と物色(ぶっしょく)はむずかしい。まして立ち上がる湯気の、濃(こまや)かなる雨に抑(おさ)えられて、逃場(にげば)を失いたる今宵(こよい)の風呂に、立つを誰とはもとより定めにくい。一段を下り、二段を踏んで、まともに、照らす灯影(ほかげ)を浴びたる時でなくては、男とも女とも声は掛けられぬ。
 黒いものが一歩を下へ移した。踏む石は天鵞(びろうど)のごとく柔(やわら)かと見えて、足音を証(しょう)にこれを律(りっ)すれば、動かぬと評しても差支(さしつかえ)ない。が輪廓は少しく浮き上がる。余は画工だけあって人体の骨格については、存外(ぞんがい)視覚が鋭敏である。何とも知れぬものの一段動いた時、余は女と二人、この風呂場の中に在(あ)る事を覚(さと)った。
 注意をしたものか、せぬものかと、浮きながら考える間に、女の影は遺憾(いかん)なく、余が前に、早くもあらわれた。漲(みな)ぎり渡る湯煙りの、やわらかな光線を一分子(ぶんし)ごとに含んで、薄紅(うすくれない)の暖かに見える奥に、漾(ただよ)わす黒髪を雲とながして、あらん限りの背丈(せたけ)を、すらりと伸(の)した女の姿を見た時は、礼儀の、作法(さほう)の、風紀(ふうき)のと云う感じはことごとく、わが脳裏(のうり)を去って、ただひたすらに、うつくしい画題を見出し得たとのみ思った。
 古代希臘(ギリシャ)の彫刻はいざ知らず、今世仏国(きんせいふっこく)の画家が命と頼む裸体画を見るたびに、あまりに露骨(あからさま)な肉の美を、極端まで描がき尽そうとする痕迹(こんせき)が、ありありと見えるので、どことなく気韻(きいん)に乏(とぼ)しい心持が、今までわれを苦しめてならなかった。しかしその折々はただどことなく下品だと評するまでで、なぜ下品であるかが、解らぬ故(ゆえ)、吾知らず、答えを得るに煩悶(はんもん)して今日(こんにち)に至ったのだろう。肉を蔽(おお)えば、うつくしきものが隠れる。かくさねば卑(いや)しくなる。今の世の裸体画と云うはただかくさぬと云う卑しさに、技巧を留(とど)めておらぬ。衣(ころも)を奪いたる姿を、そのままに写すだけにては、物足らぬと見えて、飽(あ)くまでも裸体(はだか)を、衣冠の世に押し出そうとする。服をつけたるが、人間の常態なるを忘れて、赤裸にすべての権能を附与せんと試みる。十分(じゅうぶん)で事足るべきを、十二分(じゅうにぶん)にも、十五分(じゅうごぶん)にも、どこまでも進んで、ひたすらに、裸体であるぞと云う感じを強く描出(びょうしゅつ)しようとする。技巧がこの極端に達したる時、人はその観者(かんじゃ)を強(し)うるを陋(ろう)とする。うつくしきものを、いやが上に、うつくしくせんと焦(あ)せるとき、うつくしきものはかえってその度(ど)を減ずるが例である。人事についても満は損を招くとの諺(ことわざ)はこれがためである。
 放心(ほうしん)と無邪気とは余裕を示す。余裕は画(え)において、詩において、もしくは文章において、必須(ひっすう)の条件である。今代芸術(きんだいげいじゅつ)の一大弊竇(へいとう)は、いわゆる文明の潮流が、いたずらに芸術の士を駆って、拘々(くく)として随処に齷齪(あくそく)たらしむるにある。裸体画はその好例であろう。都会に芸妓(げいぎ)と云うものがある。色を売りて、人に媚(こ)びるを商売にしている。彼らは嫖客(ひょうかく)に対する時、わが容姿のいかに相手の瞳子(ひとみ)に映ずるかを顧慮(こりょ)するのほか、何らの表情をも発揮(はっき)し得ぬ。年々に見るサロンの目録はこの芸妓に似たる裸体美人を以て充満している。彼らは一秒時も、わが裸体なるを忘るる能(あた)わざるのみならず、全身の筋肉をむずつかして、わが裸体なるを観者に示さんと力(つと)めている。
 今余が面前に娉(ひょうてい)と現われたる姿には、一塵もこの俗埃(ぞくあい)の眼に遮(さえ)ぎるものを帯びておらぬ。常の人の纏(まと)える衣装(いしょう)を脱ぎ捨てたる様(さま)と云えばすでに人界(にんがい)に堕在(だざい)する。始めより着るべき服も、振るべき袖も、あるものと知らざる神代(かみよ)の姿を雲のなかに呼び起したるがごとく自然である。
 室を埋(うず)むる湯煙は、埋めつくしたる後(あと)から、絶えず湧(わ)き上がる。春の夜(よ)の灯(ひ)を半透明に崩(くず)し拡げて、部屋一面の虹霓(にじ)の世界が濃(こまや)かに揺れるなかに、朦朧(もうろう)と、黒きかとも思わるるほどの髪を暈(ぼか)して、真白な姿が雲の底から次第に浮き上がって来る。その輪廓(りんかく)を見よ。
 頸筋(くびすじ)を軽(かろ)く内輪に、双方から責めて、苦もなく肩の方へなだれ落ちた線が、豊かに、丸く折れて、流るる末は五本の指と分(わか)れるのであろう。ふっくらと浮く二つの乳の下には、しばし引く波が、また滑(なめ)らかに盛り返して下腹の張りを安らかに見せる。張る勢(いきおい)を後(うし)ろへ抜いて、勢の尽くるあたりから、分れた肉が平衡を保つために少しく前に傾(かたむ)く。逆(ぎゃく)に受くる膝頭(ひざがしら)のこのたびは、立て直して、長きうねりの踵(かかと)につく頃、平(ひら)たき足が、すべての葛藤(かっとう)を、二枚の蹠(あしのうら)に安々と始末する。世の中にこれほど錯雑(さくざつ)した配合はない、これほど統一のある配合もない。これほど自然で、これほど柔(やわ)らかで、これほど抵抗の少い、これほど苦にならぬ輪廓は決して見出せぬ。
 しかもこの姿は普通の裸体のごとく露骨に、余が眼の前に突きつけられてはおらぬ。すべてのものを幽玄に化する一種の霊氛(れいふん)のなかに髣髴(ほうふつ)として、十分(じゅうぶん)の美を奥床(おくゆか)しくもほのめかしているに過ぎぬ。片鱗(へんりん)を溌墨淋漓(はつぼくりんり)の間(あいだ)に点じて、竜(きゅうりょう)の怪(かい)を、楮毫(ちょごう)のほかに想像せしむるがごとく、芸術的に観じて申し分のない、空気と、あたたかみと、冥(めいばく)なる調子とを具(そな)えている。六々三十六鱗(りん)を丁寧に描きたる竜(りゅう)の、滑稽(こっけい)に落つるが事実ならば、赤裸々(せきらら)の肉を浄洒々(じょうしゃしゃ)に眺めぬうちに神往の余韻(よいん)はある。余はこの輪廓の眼に落ちた時、桂(かつら)の都(みやこ)を逃れた月界(げっかい)の嫦娥(じょうが)が、彩虹(にじ)の追手(おって)に取り囲まれて、しばらく躊躇(ちゅうちょ)する姿と眺(なが)めた。
 輪廓は次第に白く浮きあがる。今一歩を踏み出せば、せっかくの嫦娥(じょうが)が、あわれ、俗界に堕落するよと思う刹那(せつな)に、緑の髪は、波を切る霊亀(れいき)の尾のごとくに風を起して、莽(ぼう)と靡(なび)いた。渦捲(うずま)く煙りを劈(つんざ)いて、白い姿は階段を飛び上がる。ホホホホと鋭どく笑う女の声が、廊下に響いて、静かなる風呂場を次第に向(むこう)へ遠退(とおの)く。余はがぶりと湯を呑(の)んだまま槽(ふね)の中に突立(つった)つ。驚いた波が、胸へあたる。縁(ふち)を越す湯泉(ゆ)の音がさあさあと鳴る。

 御茶の御馳走(ごちそう)になる。相客(あいきゃく)は僧一人、観海寺(かんかいじ)の和尚(おしょう)で名は大徹(だいてつ)と云うそうだ。俗(ぞく)一人、二十四五の若い男である。
 老人の部屋は、余が室(しつ)の廊下を右へ突き当って、左へ折れた行(い)き留(どま)りにある。大(おおき)さは六畳もあろう。大きな紫檀(したん)の机を真中に据(す)えてあるから、思ったより狭苦しい。それへと云う席を見ると、布団(ふとん)の代りに花毯(かたん)が敷いてある。無論支那製だろう。真中を六角に仕切(しき)って、妙な家と、妙な柳が織り出してある。周囲(まわり)は鉄色に近い藍(あい)で、四隅(よすみ)に唐草(からくさ)の模様を飾った茶の輪(わ)を染め抜いてある。支那ではこれを座敷に用いたものか疑わしいが、こうやって布団に代用して見るとすこぶる面白い。印度(インド)の更紗(さらさ)とか、ペルシャの壁掛(かべかけ)とか号するものが、ちょっと間(ま)が抜けているところに価値があるごとく、この花毯もこせつかないところに趣(おもむき)がある。花毯ばかりではない、すべて支那の器具は皆抜けている。どうしても馬鹿で気の長い人種の発明したものとほか取れない。見ているうちに、ぼおっとするところが尊(とう)とい。日本は巾着切(きんちゃくき)りの態度で美術品を作る。西洋は大きくて細(こま)かくて、そうしてどこまでも娑婆気(しゃばっけ)がとれない。まずこう考えながら席に着く。若い男は余とならんで、花毯の半(なかば)を占領した。
 和尚は虎の皮の上へ坐った。虎の皮の尻尾が余の膝(ひざ)の傍を通り越して、頭は老人の臀(しり)の下に敷かれている。老人は頭の毛をことごとく抜いて、頬と顎(あご)へ移植したように、白い髯(ひげ)をむしゃむしゃと生(は)やして、茶托(ちゃたく)へ載(の)せた茶碗を丁寧に机の上へならべる。
「今日(きょう)は久し振りで、うちへ御客が見えたから、御茶を上げようと思って、……」と坊さんの方を向くと、
「いや、御使(おつかい)をありがとう。わしも、だいぶ御無沙汰(ごぶさた)をしたから、今日ぐらい来て見ようかと思っとったところじゃ」と云う。この僧は六十近い、丸顔の、達磨(だるま)を草書(そうしょ)に崩(くず)したような容貌(ようぼう)を有している。老人とは平常(ふだん)からの昵懇(じっこん)と見える。
「この方(かた)が御客さんかな」
 老人は首肯(うなずき)ながら、朱泥(しゅでい)の急須(きゅうす)から、緑を含む琥珀色(こはくいろ)の玉液(ぎょくえき)を、二三滴ずつ、茶碗の底へしたたらす。清い香(かお)りがかすかに鼻を襲(おそ)う気分がした。
「こんな田舎(いなか)に一人(ひとり)では御淋(おさみ)しかろ」と和尚(おしょう)はすぐ余に話しかけた。
「はああ」となんともかとも要領を得ぬ返事をする。淋(さび)しいと云えば、偽(いつわ)りである。淋しからずと云えば、長い説明が入る。
「なんの、和尚さん。このかたは画(え)を書かれるために来られたのじゃから、御忙(おいそ)がしいくらいじゃ」
「おお左様(さよう)か、それは結構だ。やはり南宗派(なんそうは)かな」
「いいえ」と今度は答えた。西洋画だなどと云っても、この和尚にはわかるまい。
「いや、例の西洋画じゃ」と老人は、主人役に、また半分引き受けてくれる。
「ははあ、洋画か。すると、あの久一(きゅういち)さんのやられるようなものかな。あれは、わしこの間始めて見たが、随分奇麗にかけたのう」
「いえ、詰らんものです」と若い男がこの時ようやく口を開いた。
「御前何ぞ和尚さんに見ていただいたか」と老人が若い男に聞く。言葉から云うても、様子から云うても、どうも親類らしい。
「なあに、見ていただいたんじゃないですが、鏡(かがみ)が池(いけ)で写生しているところを和尚さんに見つかったのです」
「ふん、そうか――さあ御茶が注(つ)げたから、一杯」と老人は茶碗を各自(めいめい)の前に置く。茶の量は三四滴に過ぎぬが、茶碗はすこぶる大きい。生壁色(なまかべいろ)の地へ、焦(こ)げた丹(たん)と、薄い黄(き)で、絵だか、模様だか、鬼の面の模様になりかかったところか、ちょっと見当のつかないものが、べたに描(か)いてある。
「杢兵衛(もくべえ)です」と老人が簡単に説明した。
「これは面白い」と余も簡単に賞(ほ)めた。
「杢兵衛はどうも偽物(にせもの)が多くて、――その糸底(いとぞこ)を見て御覧なさい。銘(めい)があるから」と云う。
 取り上げて、障子(しょうじ)の方へ向けて見る。障子には植木鉢の葉蘭(はらん)の影が暖かそうに写っている。首を曲(ま)げて、覗(のぞ)き込むと、杢(もく)の字が小さく見える。銘は観賞の上において、さのみ大切のものとは思わないが、好事者(こうずしゃ)はよほどこれが気にかかるそうだ。茶碗を下へ置かないで、そのまま口へつけた。濃く甘(あま)く、湯加減(ゆかげん)に出た、重い露を、舌の先へ一しずくずつ落して味(あじわ)って見るのは閑人適意(かんじんてきい)の韻事(いんじ)である。普通の人は茶を飲むものと心得ているが、あれは間違だ。舌頭(ぜっとう)へぽたりと載(の)せて、清いものが四方へ散れば咽喉(のど)へ下(くだ)るべき液はほとんどない。ただ馥郁(ふくいく)たる匂(におい)が食道から胃のなかへ沁(し)み渡るのみである。歯を用いるは卑(いや)しい。水はあまりに軽い。玉露(ぎょくろ)に至っては濃(こまや)かなる事、淡水(たんすい)の境(きょう)を脱して、顎(あご)を疲らすほどの硬(かた)さを知らず。結構な飲料である。眠られぬと訴うるものあらば、眠らぬも、茶を用いよと勧めたい。
 老人はいつの間にやら、青玉(せいぎょく)の菓子皿を出した。大きな塊(かたまり)を、かくまで薄く、かくまで規則正しく、刳(く)りぬいた匠人(しょうじん)の手際(てぎわ)は驚ろくべきものと思う。すかして見ると春の日影は一面に射(さ)し込んで、射し込んだまま、逃(の)がれ出(い)ずる路(みち)を失ったような感じである。中には何も盛らぬがいい。
「御客さんが、青磁(せいじ)を賞(ほ)められたから、今日はちとばかり見せようと思うて、出して置きました」
「どの青磁を――うん、あの菓子鉢かな。あれは、わしも好(すき)じゃ。時にあなた、西洋画では襖(ふすま)などはかけんものかな。かけるなら一つ頼みたいがな」
 かいてくれなら、かかぬ事もないが、この和尚(おしょう)の気に入(い)るか入らぬかわからない。せっかく骨を折って、西洋画は駄目だなどと云われては、骨の折栄(おりばえ)がない。
「襖には向かないでしょう」
「向かんかな。そうさな、この間(あいだ)の久一さんの画(え)のようじゃ、少し派手(はで)過ぎるかも知れん」
「私のは駄目です。あれはまるでいたずらです」と若い男はしきりに、恥(はず)かしがって謙遜(けんそん)する。
「その何とか云う池はどこにあるんですか」と余は若い男に念のため尋ねて置く。
「ちょっと観海寺の裏の谷の所で、幽邃(ゆうすい)な所です。――なあに学校にいる時分、習ったから、退屈まぎれに、やって見ただけです」
「観海寺と云うと……」
「観海寺と云うと、わしのいる所じゃ。いい所じゃ、海を一目(ひとめ)に見下(みおろ)しての――まあ逗留(とうりゅう)中にちょっと来て御覧。なに、ここからはつい五六丁よ。あの廊下から、そら、寺の石段が見えるじゃろうが」
「いつか御邪魔に上(あが)ってもいいですか」
「ああいいとも、いつでもいる。ここの御嬢さんも、よう、来られる。――御嬢さんと云えば今日は御那美(おなみ)さんが見えんようだが――どうかされたかな、隠居さん」
「どこぞへ出ましたかな、久一(きゅういち)、御前の方へ行きはせんかな」
「いいや、見えません」
「また独(ひと)り散歩かな、ハハハハ。御那美さんはなかなか足が強い。この間(あいだ)法用で礪並(となみ)まで行ったら、姿見橋(すがたみばし)の所で――どうも、善く似とると思ったら、御那美さんよ。尻を端折(はしょ)って、草履(ぞうり)を穿(は)いて、和尚(おしょう)さん、何をぐずぐず、どこへ行きなさると、いきなり、驚ろかされたて、ハハハハ。御前はそんな形姿(なり)で地体(じたい)どこへ、行ったのぞいと聴くと、今芹摘(せりつ)みに行った戻りじゃ、和尚さん少しやろうかと云うて、いきなりわしの袂(たもと)へ泥(どろ)だらけの芹を押し込んで、ハハハハハ」
「どうも、……」と老人は苦笑(にがわら)いをしたが、急に立って「実はこれを御覧に入れるつもりで」と話をまた道具の方へそらした。
 老人が紫檀(したん)の書架から、恭(うやうや)しく取り下(おろ)した紋緞子(もんどんす)の古い袋は、何だか重そうなものである。
「和尚さん、あなたには、御目に懸(か)けた事があったかな」
「なんじゃ、一体」
「硯(すずり)よ」
「へえ、どんな硯かい」
「山陽(さんよう)の愛蔵したと云う……」
「いいえ、そりゃまだ見ん」
「春水(しゅんすい)の替え蓋(ぶた)がついて……」
「そりゃ、まだのようだ。どれどれ」
 老人は大事そうに緞子の袋の口を解くと、小豆色(あずきいろ)の四角な石が、ちらりと角(かど)を見せる。
「いい色合(いろあい)じゃのう。端渓(たんけい)かい」
「端渓で眼(くよくがん)が九(ここの)つある」
「九つ?」と和尚大(おおい)に感じた様子である。
「これが春水の替え蓋」と老人は綸子(りんず)で張った薄い蓋を見せる。上に春水の字で七言絶句(しちごんぜっく)が書いてある。
「なるほど。春水はようかく。ようかくが、書(しょ)は杏坪(きょうへい)の方が上手(じょうず)じゃて」
「やはり杏坪の方がいいかな」
「山陽(さんよう)が一番まずいようだ。どうも才子肌(さいしはだ)で俗気(ぞくき)があって、いっこう面白うない」
「ハハハハ。和尚(おしょう)さんは、山陽が嫌(きら)いだから、今日は山陽の幅(ふく)を懸け替(か)えて置いた」
「ほんに」と和尚さんは後(うし)ろを振り向く。床(とこ)は平床(ひらどこ)を鏡のようにふき込んで、気(さびけ)を吹いた古銅瓶(こどうへい)には、木蘭(もくらん)を二尺の高さに、活(い)けてある。軸(じく)は底光りのある古錦襴(こきんらん)に、装幀(そうてい)の工夫(くふう)を籠(こ)めた物徂徠(ぶっそらい)の大幅(たいふく)である。絹地ではないが、多少の時代がついているから、字の巧拙に論なく、紙の色が周囲のきれ地とよく調和して見える。あの錦襴も織りたては、あれほどのゆかしさも無かったろうに、彩色(さいしき)が褪(あ)せて、金糸(きんし)が沈んで、華麗(はで)なところが滅(め)り込んで、渋いところがせり出して、あんないい調子になったのだと思う。焦茶(こげちゃ)の砂壁(すなかべ)に、白い象牙(ぞうげ)の軸(じく)が際立(きわだ)って、両方に突張っている、手前に例の木蘭がふわりと浮き出されているほかは、床(とこ)全体の趣(おもむき)は落ちつき過ぎてむしろ陰気である。
「徂徠(そらい)かな」と和尚(おしょう)が、首を向けたまま云う。
「徂徠もあまり、御好きでないかも知れんが、山陽よりは善かろうと思うて」
「それは徂徠の方が遥(はる)かにいい。享保(きょうほ)頃の学者の字はまずくても、どこぞに品(ひん)がある」
「広沢(こうたく)をして日本の能書(のうしょ)ならしめば、われはすなわち漢人の拙(せつ)なるものと云うたのは、徂徠だったかな、和尚さん」
「わしは知らん。そう威張(いば)るほどの字でもないて、ワハハハハ」
「時に和尚さんは、誰を習われたのかな」
「わしか。禅坊主(ぜんぼうず)は本も読まず、手習(てならい)もせんから、のう」
「しかし、誰ぞ習われたろう」
「若い時に高泉(こうせん)の字を、少し稽古(けいこ)した事がある。それぎりじゃ。それでも人に頼まれればいつでも、書きます。ワハハハハ。時にその端渓(たんけい)を一つ御見せ」と和尚が催促する。
 とうとう緞子(どんす)の袋を取り除(の)ける。一座の視線はことごとく硯(すずり)の上に落ちる。厚さはほとんど二寸に近いから、通例のものの倍はあろう。四寸に六寸の幅も長さもまず並(なみ)と云ってよろしい。蓋(ふた)には、鱗(うろこ)のかたに研(みが)きをかけた松の皮をそのまま用いて、上には朱漆(しゅうるし)で、わからぬ書体が二字ばかり書いてある。
「この蓋が」と老人が云う。「この蓋が、ただの蓋ではないので、御覧の通り、松の皮には相違ないが……」
 老人の眼は余の方を見ている。しかし松の皮の蓋にいかなる因縁(いんねん)があろうと、画工として余はあまり感服は出来んから、
「松の蓋は少し俗ですな」
と云った。老人はまあと云わぬばかりに手を挙(あ)げて、
「ただ松の蓋と云うばかりでは、俗でもあるが、これはその何ですよ。山陽(さんよう)が広島におった時に庭に生えていた松の皮を剥(は)いで山陽が手ずから製したのですよ」
 なるほど山陽(さんよう)は俗な男だと思ったから、
「どうせ、自分で作るなら、もっと不器用に作れそうなものですな。わざとこの鱗(うろこ)のかたなどをぴかぴか研(と)ぎ出さなくっても、よさそうに思われますが」と遠慮のないところを云って退(の)けた。
「ワハハハハ。そうよ、この蓋(ふた)はあまり安っぽいようだな」と和尚(おしょう)はたちまち余に賛成した。
 若い男は気の毒そうに、老人の顔を見る。老人は少々不機嫌の体(てい)に蓋を払いのけた。下からいよいよ硯(すずり)が正体(しょうたい)をあらわす。
 もしこの硯について人の眼を峙(そばだ)つべき特異の点があるとすれば、その表面にあらわれたる匠人(しょうじん)の刻(こく)である。真中(まんなか)に袂時計(たもとどけい)ほどな丸い肉が、縁(ふち)とすれすれの高さに彫(ほ)り残されて、これを蜘蛛(くも)の背(せ)に象(かた)どる。中央から四方に向って、八本の足が彎曲(わんきょく)して走ると見れば、先には各(おのおの)眼(くよくがん)を抱(かか)えている。残る一個は背の真中に、黄(き)な汁(しる)をしたたらしたごとく煮染(にじ)んで見える。背と足と縁を残して余る部分はほとんど一寸余の深さに掘り下げてある。墨を湛(たた)える所は、よもやこの塹壕(ざんごう)の底ではあるまい。たとい一合の水を注ぐともこの深さを充(み)たすには足らぬ。思うに水盂(すいう)の中(うち)から、一滴の水を銀杓(ぎんしゃく)にて、蜘蛛(くも)の背に落したるを、貴(とうと)き墨に磨(す)り去るのだろう。それでなければ、名は硯でも、その実は純然たる文房用(ぶんぼうよう)の装飾品に過ぎぬ。
 老人は涎(よだれ)の出そうな口をして云う。
「この肌合(はだあい)と、この眼(がん)を見て下さい」
 なるほど見れば見るほどいい色だ。寒く潤沢(じゅんたく)を帯びたる肌の上に、はっと、一息懸(ひといきか)けたなら、直(ただ)ちに凝(こ)って、一朶(いちだ)の雲を起すだろうと思われる。ことに驚くべきは眼の色である。眼の色と云わんより、眼と地の相交(あいまじ)わる所が、次第に色を取り替えて、いつ取り替えたか、ほとんど吾眼(わがめ)の欺(あざむ)かれたるを見出し得ぬ事である。形容して見ると紫色の蒸羊羹(むしようかん)の奥に、隠元豆(いんげんまめ)を、透(す)いて見えるほどの深さに嵌(は)め込んだようなものである。眼と云えば一個二個でも大変に珍重される。九個と云ったら、ほとんど類(るい)はあるまい。しかもその九個が整然と同距離に按排(あんばい)されて、あたかも人造のねりものと見違えらるるに至ってはもとより天下の逸品(いっぴん)をもって許さざるを得ない。
「なるほど結構です。観(み)て心持がいいばかりじゃありません。こうして触(さわ)っても愉快です」と云いながら、余は隣りの若い男に硯を渡した。
「久一(きゅういち)に、そんなものが解るかい」と老人が笑いながら聞いて見る。久一君は、少々自棄(やけ)の気味で、
「分りゃしません」と打ち遣(や)ったように云い放ったが、わからん硯を、自分の前へ置いて、眺(なが)めていては、もったいないと気がついたものか、また取り上げて、余に返した。余はもう一遍(ぺん)丁寧に撫(な)で廻わした後(のち)、とうとうこれを恭(うやうや)しく禅師(ぜんじ)に返却した。禅師はとくと掌(て)の上で見済ました末、それでは飽(あ)き足らぬと考えたと見えて、鼠木綿(ねずみもめん)の着物の袖(そで)を容赦なく蜘蛛(くも)の背へこすりつけて、光沢(つや)の出た所をしきりに賞翫(しょうがん)している。
「隠居さん、どうもこの色が実に善(よ)いな。使うた事があるかの」
「いいや、滅多(めった)には使いとう、ないから、まだ買うたなりじゃ」
「そうじゃろ。こないなのは支那(しな)でも珍らしかろうな、隠居さん」
「左様(さよう)」
「わしも一つ欲しいものじゃ。何なら久一さんに頼もうか。どうかな、買うて来ておくれかな」
「へへへへ。硯(すずり)を見つけないうちに、死んでしまいそうです」
「本当に硯どころではないな。時にいつ御立ちか」
「二三日(にさんち)うちに立ちます」
「隠居さん。吉田まで送って御やり」
「普段なら、年は取っとるし、まあ見合(みあわ)すところじゃが、ことによると、もう逢(あ)えんかも、知れんから、送ってやろうと思うております」
「御伯父(おじ)さんは送ってくれんでもいいです」
 若い男はこの老人の甥(おい)と見える。なるほどどこか似ている。
「なあに、送って貰うがいい。川船(かわふね)で行けば訳はない。なあ隠居さん」
「はい、山越(やまごし)では難義だが、廻り路でも船なら……」
 若い男は今度は別に辞退もしない。ただ黙っている。
「支那の方へおいでですか」と余はちょっと聞いて見た。
「ええ」
 ええの二字では少し物足らなかったが、その上掘って聞く必要もないから控(ひか)えた。障子(しょうじ)を見ると、蘭(らん)の影が少し位置を変えている。
「なあに、あなた。やはり今度の戦争で――これがもと志願兵をやったものだから、それで召集されたので」
 老人は当人に代って、満洲の野(や)に日ならず出征すべきこの青年の運命を余に語(つ)げた。この夢のような詩のような春の里に、啼(な)くは鳥、落つるは花、湧(わ)くは温泉(いでゆ)のみと思い詰(つ)めていたのは間違である。現実世界は山を越え、海を越えて、平家(へいけ)の後裔(こうえい)のみ住み古るしたる孤村にまで逼(せま)る。朔北(さくほく)の曠野(こうや)を染むる血潮の何万分の一かは、この青年の動脈から迸(ほとばし)る時が来るかも知れない。この青年の腰に吊(つ)る長き剣(つるぎ)の先から煙りとなって吹くかも知れない。しかしてその青年は、夢みる事よりほかに、何らの価値を、人生に認め得ざる一画工の隣りに坐っている。耳をそばだつれば彼が胸に打つ心臓の鼓動さえ聞き得るほど近くに坐っている。その鼓動のうちには、百里の平野を捲(ま)く高き潮(うしお)が今すでに響いているかも知れぬ。運命は卒然(そつぜん)としてこの二人を一堂のうちに会したるのみにて、その他には何事をも語らぬ。

「御勉強ですか」と女が云う。部屋に帰った余は、三脚几(さんきゃくき)に縛(しば)りつけた、書物の一冊を抽(ぬ)いて読んでいた。
「御這入(おはい)りなさい。ちっとも構いません」
 女は遠慮する景色(けしき)もなく、つかつかと這入る。くすんだ半襟(はんえり)の中から、恰好(かっこう)のいい頸(くび)の色が、あざやかに、抽(ぬ)き出ている。女が余の前に坐った時、この頸とこの半襟の対照が第一番に眼についた。
「西洋の本ですか、むずかしい事が書いてあるでしょうね」
「なあに」
「じゃ何が書いてあるんです」
「そうですね。実はわたしにも、よく分らないんです」
「ホホホホ。それで御勉強なの」
「勉強じゃありません。ただ机の上へ、こう開(あ)けて、開いた所をいい加減に読んでるんです」
「それで面白いんですか」
「それが面白いんです」
「なぜ?」
「なぜって、小説なんか、そうして読む方が面白いです」
「よっぽど変っていらっしゃるのね」
「ええ、ちっと変ってます」
「初から読んじゃ、どうして悪るいでしょう」
「初から読まなけりゃならないとすると、しまいまで読まなけりゃならない訳になりましょう」
「妙な理窟(りくつ)だ事。しまいまで読んだっていいじゃありませんか」
「無論わるくは、ありませんよ。筋を読む気なら、わたしだって、そうします」
「筋を読まなけりゃ何を読むんです。筋のほかに何か読むものがありますか」
 余は、やはり女だなと思った。多少試験してやる気になる。
「あなたは小説が好きですか」
「私が?」と句を切った女は、あとから「そうですねえ」と判然(はっきり)しない返事をした。あまり好きでもなさそうだ。
「好きだか、嫌(きらい)だか自分にも解らないんじゃないですか」
「小説なんか読んだって、読まなくったって……」
と眼中にはまるで小説の存在を認めていない。
「それじゃ、初から読んだって、しまいから読んだって、いい加減な所をいい加減に読んだって、いい訳じゃありませんか。あなたのようにそう不思議がらないでもいいでしょう」
「だって、あなたと私とは違いますもの」
「どこが?」と余は女の眼の中(うち)を見詰めた。試験をするのはここだと思ったが、女の眸(ひとみ)は少しも動かない。
「ホホホホ解りませんか」
「しかし若いうちは随分御読みなすったろう」余は一本道で押し合うのをやめにして、ちょっと裏へ廻った。
「今でも若いつもりですよ。可哀想(かわいそう)に」放した鷹(たか)はまたそれかかる。すこしも油断がならん。
「そんな事が男の前で云えれば、もう年寄のうちですよ」と、やっと引き戻した。
「そう云うあなたも随分の御年じゃあ、ありませんか。そんなに年をとっても、やっぱり、惚(ほ)れたの、腫(は)れたの、にきびが出来たのってえ事が面白いんですか」
「ええ、面白いんです、死ぬまで面白いんです」
「おやそう。それだから画工(えかき)なんぞになれるんですね」
「全くです。画工だから、小説なんか初からしまいまで読む必要はないんです。けれども、どこを読んでも面白いのです。あなたと話をするのも面白い。ここへ逗留(とうりゅう)しているうちは毎日話をしたいくらいです。何ならあなたに惚れ込んでもいい。そうなるとなお面白い。しかしいくら惚れてもあなたと夫婦になる必要はないんです。惚れて夫婦になる必要があるうちは、小説を初からしまいまで読む必要があるんです」
「すると不人情(ふにんじょう)な惚れ方をするのが画工なんですね」
「不人情じゃありません。非人情な惚れ方をするんです。小説も非人情で読むから、筋なんかどうでもいいんです。こうして、御籤(おみくじ)を引くように、ぱっと開(あ)けて、開いた所を、漫然と読んでるのが面白いんです」
「なるほど面白そうね。じゃ、今あなたが読んでいらっしゃる所を、少し話してちょうだい。どんな面白い事が出てくるか伺いたいから」
「話しちゃ駄目です。画(え)だって話にしちゃ一文の価値(ねうち)もなくなるじゃありませんか」
「ホホホそれじゃ読んで下さい」
「英語でですか」
「いいえ日本語で」
「英語を日本語で読むのはつらいな」
「いいじゃありませんか、非人情で」
 これも一興(いっきょう)だろうと思ったから、余は女の乞(こい)に応じて、例の書物をぽつりぽつりと日本語で読み出した。もし世界に非人情な読み方があるとすればまさにこれである。聴(き)く女ももとより非人情で聴いている。
「情(なさ)けの風が女から吹く。声から、眼から、肌(はだえ)から吹く。男に扶(たす)けられて舳(とも)に行く女は、夕暮のヴェニスを眺(なが)むるためか、扶くる男はわが脈(みゃく)に稲妻(いなずま)の血を走らすためか。――非人情だから、いい加減ですよ。ところどころ脱けるかも知れません」
「よござんすとも。御都合次第で、御足(おた)しなすっても構いません」
「女は男とならんで舷(ふなばた)に倚(よ)る。二人の隔(へだた)りは、風に吹かるるリボンの幅よりも狭い。女は男と共にヴェニスに去らばと云う。ヴェニスなるドウジの殿楼(でんろう)は今第二の日没のごとく、薄赤く消えて行く。……」
「ドージとは何です」
「何だって構やしません。昔(むか)しヴェニスを支配した人間の名ですよ。何代つづいたものですかね。その御殿が今でもヴェニスに残ってるんです」
「それでその男と女と云うのは誰の事なんでしょう」
「誰だか、わたしにも分らないんだ。それだから面白いのですよ。今までの関係なんかどうでもいいでさあ。ただあなたとわたしのように、こういっしょにいるところなんで、その場限りで面白味があるでしょう」
「そんなものですかね。何だか船の中のようですね」
「船でも岡でも、かいてある通りでいいんです。なぜと聞き出すと探偵(たんてい)になってしまうです」
「ホホホホじゃ聴きますまい」
「普通の小説はみんな探偵が発明したものですよ。非人情なところがないから、ちっとも趣(おもむき)がない」
「じゃ非人情の続きを伺いましょう。それから?」
「ヴェニスは沈みつつ、沈みつつ、ただ空に引く一抹(いちまつ)の淡き線となる。線は切れる。切れて点となる。蛋白石(とんぼだま)の空のなかに円(まる)き柱が、ここ、かしこと立つ。ついには最も高く聳(そび)えたる鐘楼(しゅろう)が沈む。沈んだと女が云う。ヴェニスを去る女の心は空行く風のごとく自由である。されど隠れたるヴェニスは、再び帰らねばならぬ女の心に覊絏(きせつ)の苦しみを与う。男と女は暗き湾の方(かた)に眼を注ぐ。星は次第に増す。柔らかに揺(ゆら)ぐ海は泡(あわ)を濺(そそ)がず。男は女の手を把(と)る。鳴りやまぬ弦(ゆづる)を握った心地(ここち)である。……」
「あんまり非人情でもないようですね」
「なにこれが非人情的に聞けるのですよ。しかし厭(いや)なら少々略しましょうか」
「なに私は大丈夫ですよ」
「わたしは、あなたよりなお大丈夫です。――それからと、ええと、少しく六(む)ずかしくなって来たな。どうも訳し――いや読みにくい」
「読みにくければ、御略(おりゃく)しなさい」
「ええ、いい加減にやりましょう。――この一夜(ひとよ)と女が云う。一夜? と男がきく。一と限るはつれなし、幾夜(いくよ)を重ねてこそと云う」
「女が云うんですか、男が云うんですか」
「男が云うんですよ。何でも女がヴェニスへ帰りたくないのでしょう。それで男が慰める語(ことば)なんです。――真夜中の甲板(かんぱん)に帆綱を枕にして横(よこた)わりたる、男の記憶には、かの瞬時、熱き一滴の血に似たる瞬時、女の手を確(しか)と把(と)りたる瞬時が大濤(おおなみ)のごとくに揺れる。男は黒き夜を見上げながら、強(し)いられたる結婚の淵(ふち)より、是非に女を救い出さんと思い定めた。かく思い定めて男は眼を閉(と)ずる。――」
「女は?」
「女は路に迷いながら、いずこに迷えるかを知らぬ様(さま)である。攫(さら)われて空行く人のごとく、ただ不可思議の千万無量――あとがちょっと読みにくいですよ。どうも句にならない。――ただ不可思議の千万無量――何か動詞はないでしょうか」
「動詞なんぞいるものですか、それで沢山です」
「え?」
 轟(ごう)と音がして山の樹(き)がことごとく鳴る。思わず顔を見合わす途端(とたん)に、机の上の一輪挿(いちりんざし)に活(い)けた、椿(つばき)がふらふらと揺れる。「地震!」と小声で叫んだ女は、膝(ひざ)を崩(くず)して余の机に靠(よ)りかかる。御互(おたがい)の身躯(からだ)がすれすれに動く。キキーと鋭(する)どい羽摶(はばたき)をして一羽の雉子(きじ)が藪(やぶ)の中から飛び出す。
「雉子が」と余は窓の外を見て云う。
「どこに」と女は崩した、からだを擦寄(すりよ)せる。余の顔と女の顔が触れぬばかりに近づく。細い鼻の穴から出る女の呼吸(いき)が余の髭(ひげ)にさわった。
「非人情ですよ」と女はたちまち坐住居(いずまい)を正しながら屹(きっ)と云う。
「無論」と言下(ごんか)に余は答えた。
 岩の凹(くぼ)みに湛(たた)えた春の水が、驚ろいて、のたりのたりと鈍(ぬる)く揺(うご)いている。地盤の響きに、満泓(まんおう)の波が底から動くのだから、表面が不規則に曲線を描くのみで、砕(くだ)けた部分はどこにもない。円満に動くと云う語があるとすれば、こんな場合に用いられるのだろう。落ちついて影を(ひた)していた山桜が、水と共に、延びたり縮んだり、曲がったり、くねったりする。しかしどう変化してもやはり明らかに桜の姿を保(たも)っているところが非常に面白い。
「こいつは愉快だ。奇麗(きれい)で、変化があって。こう云う風に動かなくっちゃ面白くない」
「人間もそう云う風にさえ動いていれば、いくら動いても大丈夫ですね」
「非人情でなくっちゃ、こうは動けませんよ」
「ホホホホ大変非人情が御好きだこと」
「あなた、だって嫌(きらい)な方じゃありますまい。昨日(きのう)の振袖(ふりそで)なんか……」と言いかけると、
「何か御褒美(ごほうび)をちょうだい」と女は急に甘(あま)えるように云った。
「なぜです」
「見たいとおっしゃったから、わざわざ、見せて上げたんじゃありませんか」
「わたしがですか」
「山越(やまごえ)をなさった画(え)の先生が、茶店の婆さんにわざわざ御頼みになったそうで御座います」
 余は何と答えてよいやらちょっと挨拶(あいさつ)が出なかった。女はすかさず、
「そんな忘れっぽい人に、いくら実(じつ)をつくしても駄目ですわねえ」と嘲(あざ)けるごとく、恨(うら)むがごとく、また真向(まっこう)から切りつけるがごとく二の矢をついだ。だんだん旗色(はたいろ)がわるくなるが、どこで盛り返したものか、いったん機先を制せられると、なかなか隙(すき)を見出しにくい。
「じゃ昨夕(ゆうべ)の風呂場も、全く御親切からなんですね」と際(きわ)どいところでようやく立て直す。
 女は黙っている。
「どうも済みません。御礼に何を上げましょう」と出来るだけ先へ出て置く。いくら出ても何の利目(ききめ)もなかった。女は何喰わぬ顔で大徹和尚(だいてつおしょう)の額を眺(なが)めている。やがて、
「竹影(ちくえい)払階(かいをはらって)塵不動(ちりうごかず)」
と口のうちで静かに読み了(おわ)って、また余の方へ向き直ったが、急に思い出したように、
「何ですって」
と、わざと大きな声で聞いた。その手は喰わない。
「その坊主にさっき逢(あ)いましたよ」と地震に揺(ゆ)れた池の水のように円満な動き方をして見せる。
「観海寺(かんかいじ)の和尚ですか。肥(ふと)ってるでしょう」
「西洋画で唐紙(からかみ)をかいてくれって、云いましたよ。禅坊さんなんてものは随分訳(わけ)のわからない事を云いますね」
「それだから、あんなに肥れるんでしょう」
「それから、もう一人若い人に逢いましたよ。……」
「久一(きゅういち)でしょう」
「ええ久一君です」
「よく御存じです事」
「なに久一君だけ知ってるんです。そのほかには何にも知りゃしません。口を聞くのが嫌(きらい)な人ですね」
「なに、遠慮しているんです。まだ小供ですから……」
「小供って、あなたと同じくらいじゃありませんか」
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